六
神様たちがどんどんと絡まった感情たちを斬っていくと、岩陰で震えている雑兎が見えた。何も変わっていないんだ。
雑兎は、私はいつも怖くて震えているんだ。
それは信じられなかったからなのだと思う。
私自身を、お母さんとお母さんを。それから女の人を、男の人を、大人を、子供を、他人を。神様さえ信じられないから震えていたんだ。
私が一歩前に踏み出すと、雑兎がちらりとこちらを見る。
大きくなってしまったその背で黒い影が揺れていた。私は雑兎が飲み込まれてしまうと思って大きな声で叫んだ。けれどそれは雑兎自身だったのだ。
「私、もう怖くないよ! お母さんもお父さんも、少し変わってるけど怖くないんだよ!」
「嘘だな。イヒカなんか、すぐにその繋いだ手を握りつぶすんだぜ。だいたい今まで自分を守るために娘を放っておいたサギリが変われるもんか」
雑兎は悲痛な声で訴えかけるように言う。
あれは自分の姿だからよく分かる。傷つきたくないのだ。だから信じたくないんだ。
「皆うまく言葉にできなくて、伝わらないから絡まっただけなんだよ。本当は、最初は酷い人じゃなかったかもしれないし、傷つけたくてやってる訳じゃないんだよ。それに神様たちがいるじゃん! 見えてるし、聞こえてるでしょ? もうすぐ聞こえなくなっちゃうけど、それでもいた事を知ってるんだから信じていられるよ!」
雑兎の耳がぴくっと動いた。
「神々の七日間が終わったって私は平気だよ! だって見えなくてもいるんだもん。サグメの事だって……寂しいけど怖くない! 乗り越えて私は笑っていられるよ!」
「お前のせいで自殺したかもしれなんだぞ。また自分のせいで誰かが死ぬかもしれないのに……怖くて生きてなんかいられるもんか」
そうかもしれない、と思う。私が言った言葉が原因だったかもしれない。けれど私が他の言葉を選んでいたってそうなったかもしれないとも思う。
結局は自分以外の誰かなのだ。完全に知る事なんかできない。
そうは言っても、私は弱いから自分を責めてしまう。今はそれでもいいから生きようと思う。生きてみなければ分からない事もあるだろうから。
「私は弱いんだよ。だから信じることが怖くて、生きる事の全部が怖くなってたけど、今なら信じられるよ! 弱いままでもいいって分かったから。みんな弱いままで必死に生きてたんだよ! 私たちと同じなんだよ!」
雑兎はゆっくりと私の目を見て聞く。
「本心なんだな?」
「本心だよ」
私がそう答えると、雑兎の体はシュルシュルと小さくなっていく。
そこへケンがお玉を振り上げ、光を放つ。その姿はなんとも滑稽なのだけれど、何だかとても神々しかった。
光に包まれた雑兎はキラキラとそれを纏って私の頭上から落ちてくる。
すっぽりと腕の中に納まった雑兎は、初めに会った時よりも小さい気がした。
「俺はお前だ。お前が言えないもんを吐き出すために、俺に言葉が与えられたんだ」
「うん。ありがとう」
「おぅ。じゃあな」
「じゃあね。雑兎」
雑兎が光の粒になって消えて行く。七日目だ。最後の日にようやく恐怖が拭われた。
それなのに胸がキュッとする。
雑兎が最後の一粒になってしまうまで、ずっと消えて行く空を見ていた。
気が付くと朝だった。台所庭に日が昇る。
谷には黒い感情は一つも無くなっていた。神様たちはそれぞれ勝手口から帰って行き、私たちとケンが明るくなった谷に残っている。
「朝になっちゃったね」
何と言っていいのか分からなくて、私はそんな言葉を呟いた。
お父さんとお母さんが疲れたと言って座り込んでしまうと、ケンはどこで作ったのか私たちにスープをくれた。
差し出されたスープを見て驚く。
「ケン。これ、いつもと違うよ」
「あぁ。悲しみ鳥と寂しさトマトが収穫できなかったんだよ。諦め麦もね。だから楽しそうな感情のスープを作ってみたんだ」
お母さんの前向きエビと、お父さんの息抜き豆、それから私の希望ミルクで作ったスープだとケンは言った。
それはお腹がじんわりと温かくなる、甘いスープだった。
「もう終わっちゃうね」
そう言うと、自然と涙が零れた。終わっても平気だ。それが本心なら、寂しいけど怖くないというのも本心なのだ。
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