五
そのまま歩き続け、なんて事ない日常の会話やお祖父ちゃんの昔話をしながら谷の前に着いた。
谷の入り口はどれだけ星が輝いても真っ暗で、それは生える苔も足元の砂利も何もかもが黒いからかもしれない。
「ここに入るの?」
「うん。恐怖兎はこの奥に行ってしまったらしいからね」
ケンが答える。
すると一緒に来ている神様たちが、ケンに厳しい声で言う。
「もう七日目だぞ。浄化しきれぬのだから、斬るしかないのだぞ。よいな?」
「そうですね……やはり斬るしかありませんよね」
「越える力を信じるのだ」
神様たちとケンの会話は、どうやら雑兎の事ではないらしい。それはこの谷の奥にいる黒い怪物たちの事だ。
できる限り浄化をしたいケンが、斬るに斬れなかった感情たちがこの先にいるのだ。
それらが放つ重い空気が、谷の入り口のこんな所にまで伝わってくる。
思わず尻込みする私の手を、誰かが掴んだ。お母さんだ。
「私には……これが精一杯よ。さっさと行くわよ!」
お父さんは私たちの前を歩きながらも「何か武器が必要ではないか」とか「丸腰では死にに行くようなものではないか」などと言っている。
その様子があんまりにも情けなくて、お母さんと一緒に思わず笑ってしまった。
それを恨めしそうに振り返ったお父さんが嬉しそうだ。
ようやく私たちは家族になれる気がしていた。そんな気分で浮かれていて、この先にどんな恐ろしいものが待っているかなんて気にしていなかった。
そんな私たちが谷の最奥で見たのは、おびただしい数の黒い怪物。
彼らは呻き、泣き叫び、発狂する。罵詈雑言を吐くモノもいる。谷の最奥の袋小路に、そんな奴らが折り重なるようにして溜まっているのだ。
「ケン……これって……本当に人間たちの感情なの? だってこんなに……」
醜い。そう言おうとして飲み込む。
醜い事なんて初めから分かっているのだ。これは間違いなく人間たちの歪んで絡まった感情だ。もうすぐ祟り神になってしまうだろう感情の塊だ。
人間の心はすぐ歪む。真っ白だからこそすぐに真っ黒になるんだ。だからいつも細い糸を大事に抱きしめて生きているのに、それさえ絡まって解けない。
神様たちがヒュン、ヒュンと飛び出して斬り捨てる。
一体、二体。終わりがないように思えるけれど斬り続ける。
天狗がカラスの姿に戻り、私に言う。
「この中に兎が紛れている。我々が事を終えるまで、ケンのそばを離れぬように」
「分かった。気を付けてね」
「コヤネも気を付けろ。まぁ、もう心まで取り込まれる事はないと思うがな」
飛び去る天狗を見ながら、ケンがお玉を構える。
「あんた何やってんのよ?」
お母さんがケンに言う。確かに、ふざけている様にしか見えないだろう。
「僕も斬ろうと思って」
「だから何でお玉なのよ」
「だから、斬ろうと思って。お玉で」
ぷっとお父さんもお母さんも同時に噴き出す。
お父さんなんか、木の枝を拾ってきた方がマシだとまで言い出す。
「僕は茶碗の付喪神だから、お玉でいいんだよ。だいたい、イヒカがいつもお玉を振り回してたんじゃないか。だから僕はお玉は強いってイメージが抜けなくなっちゃって……」
こんな時にも笑える私たちがいる。
さっき、あったか亭にいた時には考えられなかった事だ。
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