8本目 肉体という制限



「ひえきゃあああおぇああああ!!!!!」


 不知火さんが今まで聞いたことのないような叫び声を上げながら、僕たちの上空を通過して行く。


「向こうは何やら楽しそうなことをしていますわね」

「そ、そうですわね」


 九条院さんの無邪気な発言に、一瞬顔が引きつりそうになる。「これのどこが楽しそうなんだよ!」とツッコミを入れそうになったものの、すんでのところで理性が耐えた。危なかった。


 僕たちは近距離職と遠距離職で別々に立ち回りを教えようという話で二手に別れたはずなのに、なぜかみみこさんと不知火さんは七色龍に生身で乗り始めるというクレイジーなことをし始めたようである。

 狂ったお嬢様たちの様子には、さすがの僕も閉口せざるを得ない。



「なんだか妙にテンション高そうですけれど、夕凪さまはいつもゲーム中ああいった感じですの?」

「まあ、割とそうかもしれないですわね。あとナイン・フラワーさま、ゲーム内ではできれば名前は出さないようにいたしましょう」

「あらまあ、そうなのですわね」


 九条院さんはあまりインターネット文化には詳しく無さそうだ。これでこそお嬢様である。


「むむこさまらしいと言えばむむこさまらしいとは思いませんこと?」

「確かにそうですわね」


 僕たちはお互いに顔を見合わせて苦笑する。九条院さんも、みみこさんに対するイメージは同じだったようだ。


 遠くから細々と聞こえてくる会話内容によると、どうやらみみこさんは、アスレチックeスポーツでの人間のポテンシャルを引き出す方法を教えたいようだ。初心者に何を教えているんだ、と最初は思った。けれどもみみこさんのことだ。何か考えがあるのだろう。

 みみこさんは想いの力を使いこなすのが非常に上手だ。脳をコントロール下に置くと言う意味において、彼女は日本の配信者の中でもトップクラスと言えるだろう。何ならプロゲーマーにも比肩するか、相手によっては凌駕する勢いである。


 それが、初心者を生身で空に送り出しちゃうような感性ゆえになせる技なのか、あるいは別の何かから来ているのかはわからない。

 ただ、確かな事実として、彼女はアスレチックeスポーツゲームがめちゃくちゃにうまいのだ。


 そんな彼女だからこそ、想いの力の難しさも理解しているはずだ。


「なぜあんなことをしてらっしゃるのでしょうね」

「さあ……」


 なぜあんな鬼畜極まりないことをさせているのか。詳しくはよくわからないが、おそらくこれが関係しているのだろうなということの想像はついている。


 鍵は二つ。さきほどゲームをするために四人全員が部屋に揃ったとき、不知火さんから少しだけ憑き物が落ちたように感じたこと。それからみみこさんが妙に張り切っていたことだ。

 あのときのみみこさんはすごかった。呆れまじりの笑顔を見せる不知火さんの腕を引きながら部屋へ悠々と入ってきたかと思うと、いつもの三倍くらいのテンションで「さあ、行きますわよ!!!」と勢いよく言っていた。

 この時点ですでに、みみこさんの頭の中ではこうやって二組に分かれて練習をする算段を立てていたのだろう。なにせ別々で練習しようという話はみみこさんが最初に提案したのだ。


 二人の間でどんなやり取りがあったのかわからないが、これで不知火さんの悩みが解決すると言うのなら、それは嬉しいことだ。


 願わくは、僕たちにもその悩みの内容を打ち明けてくれると嬉しいのだけど……それはのんびり待つことにしよう。


「さあ、ナイン・フラワーさま、私たちも負けちゃいられないですわよね」

「そうですわよね! あちらのお二人と合流する頃には、棍棒マスターになって見せつけて差し上げましょう!」

「棍棒マスターって……」


 こちらはこちらで、何か問題があるような気がしなくもないが、まあ九条院さんが楽しそうにしているのだから良いのだろう。


 良いの、かな……?



++++ ++++




 結論から言ってしまえば、不夜さん荒療治大作戦はうまく行った。


 正直なところ、想いの力を十分に引き出せるようになる可能性はとても低いと思っていた。せいぜいゲームで夢中になる感覚を思い出すきっかけになればいいな、という程度の気持ちであった。


 けれども、彼女は成し遂げたのだ。さすがはプロゲーマーである。

 わたくしが野良のモンスターが練習場所に近づかないようひたすら駆除していると、いつの間にか不夜さんは悲鳴を上げなくなっていたのだ。


「むむこさまー! これ、すっごい楽しいですー! 空の乗り物って気持ち良いですねー!」


 それどころか、楽しそうに七色龍の背中に乗っていた。


 しばらく空の旅を楽しんで、スキルの効果時間のため降りてきた不夜さんが語るには、気づいたら恐怖よりも美しい景色に夢中になっていたようだった。

 最初はもう恐怖が限界を超えて、「どうにでもなれ」という気持ちで顔を上げたらしい。そして、しがみつくのをやめて七色龍に跨るように座り、現実逃避とばかりにあたりを見渡した。

 すると、強く吹き付ける風、七色龍の躍動、眼前に広がる美しい自然を全身で感じたのだそうだ。その一瞬の感動の瞬間、世界が変わったのだろう。


 詳しくは本人も覚えていないとのことだが、飛んでいる状態のあのドラゴンに座り続けるのは容易ではない。

 強靭な足と腕先の力、それと驚異的なバランス感覚が無ければなし得ない所業だ。素の人間アバターでは極めて困難なことであり、脳を上手にコントロールしたからこそできたことである。


 感動で恐怖が消え、この美しい景色を見続けたいという想いが、自然と身体を操ったのだろう。


 おそらくは不夜さんが開き直った時、生きるか死ぬかのによって肉体という制限が解除されていた。脳にとって、そんな制限を解除せざるを得ないところまで追い込まれていた。火事場の馬鹿ぢからと同じ原理だ。


 生き残るために必要だったこの制限の解除だが、景色を見るという急激な感動体験で生まれたによって、解除状態を引き継いで意図的にコントロールできたのだとわたくしは考えた。


 脳の仕様をある意味で悪用して行うことなのだから、グリッチ――ゲームにおいて、バグや仕様の穴を悪用する行為――と大差はないように見える。

 けれどもこれは正式に認められた仕様だ。人間のポテンシャルなのだ。やるだけ得なのである。


 彼女ならもう大丈夫だろう。eモータースポーツでもアスレチックeスポーツならみんな同じだ。

 きっと一歩先へ進めるに違いない。一本芯が通っている彼女なら、スランプだろうと乗り越えていくに違いないと信じよう。



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