アイアンソーン[Isolation]

詩亜/犬職人

第1話

小気味よい、車輪がレールの上を走る音も、慣れてしまうともはやただの騒音だった。くすんだ黄色の客車の木造りの床が、車輪の発する衝撃を伝えて軋む。垂直な壁に板を突き刺しただけの粗雑な座席は、僕に経験したことのない疲労感を与えた。『動力車』って奴が、こんなにも疲れるなんて。初めて乗る僕に倦怠感を抱かせるには十分だった。

窓の外を見ると、どこまでもムグ麦(大味で美味しくないが安い、病気に強い)畑と雲のない乾いた青空が広がっている。僕は走るのが一番苦手だから、こうやって有り得ないスピードで過ぎていく風景を見るととても楽しくなる。それが現状、唯一の救いだった。


一週間前、祖父が病に倒れ、そのまま逝ってしまった。そばにいる僕にすら一切、辛そうなな表情を浮かべることはせず、仕事を続けていた。

祖父と僕は山奥の工房で、銃鍛治をしていた。僕が生まれた時、両親は流行病で死んでしまったそうだ。だから、僕はあの山奥の、祖父の家に引き取られた。祖父は僕に、文字の書き方や読み方、そして山の歩き方や魔物のやり過ごし方を教えてくれた。

彼は、若い頃からここで、銃の『原型マスタータイプ』を組み立てる仕事をしていた。それは、新しい銃を設計することと同じで、色々な人たちが祖父に依頼をしていた。だから、書類とお金をどっさりと置いていくおじさんたちのことはよく覚えている。

祖父はその書類の山とにらめっこしながら、丁寧に溶けた鉄を打ち込んで、冷やして、また熱してを繰り返して少しずつ伸縮性の高い鋼にしていく。

その工程に魔法こそ使われていなかったが、僕から見れば十分、魔法と同じように、神秘的に見えていた。なにせ、ただの溶けた金属って奴は飴みたいにドロドロしてるのに、祖父がハンマーで叩くと、それは完璧に縁取られていって、最後は複雑で精密な動きをする『銃』に変身するからだ。僕もその工程を幾度となく眺めていたし、何をしているか理解していたので、一応何をしているかは理解している。


祖父は-最近だったが-死ぬ前に、僕に言っていた。


『オレが死んだら、ここを出て帝国へいけ。そうすりゃ、オレのお得意さんの銃器店ガンショップがある。そこへ働きにいくんだ』


この言葉に忠実に従うと、あの店は畳まなければいけなくなってしまう。これはすごく寂しいことだけれど、祖父の言葉を無視する気にはなれない。世界で唯一、僕が尊敬してやまない人物の言葉だったのだから。

そうして僕は、あの山奥の工房を後にして、最寄りの-といっても片道4日かかるが-動力車駅に馬車で向かって、今は帝国都である『セト』に一番近い駅に向かう最中だ。


あともう一つ、生まれて初めて見たものがある。美しい夕陽を浴びて黄金に輝くムグ麦だ。家から出て僕が歩いて行ける距離にこんなものはなかった。風に揉まれてうねる麦が、まるで生き物のように盛り上がっては伏せるなんて風景、見れるようになるにはまだまだ時間がある。眠ってしまおうか、そう思った。服や色々なものがたくさん入ったバックパックを枕代わりに、この狭い客室で微睡んだ。無意識だったが、左手で祖父のブレスレット-お守り-を握っていた。



誰かの怒鳴り声で覚醒する。最悪な気分だった。こんなところでなんでそんな声がするんだろう?

少し寒い、一体どうなってるんだ?さっきまで暑いくらいだったのに。まぶたを開けて、あたりを見渡す。


まず僕は、デタラメな姿勢で個室の座席からずり落ちていることがわかった。それに、寝る前まで窓のあった壁が、抉れて吹きさらしになっているではないか。上を見上げると、星空が高速で通り過ぎていっている。天井も同様に吹き飛ばされていた。


「うわっ」


思わず僕は声を上げ、で座席の一部だった残骸を掴んで立とうとした。でも失敗した。あれ?


足元を見て、そして左腕を見た。


ドックン…ドックン…ドックン。


服にこびりついた乾いた大量の鮮血。僕は理解した。左腕を失ったのだ。

体が思い出したように、その痛みを感じ始めた。感覚が完全に覚醒して、想像を絶する痛みが迸る。

絞り出されるように叫んだ。


-ドックン!!


「うああああああああああ!!!ああああっあああ!!!」


思わず抱え込んだ左腕は、肘関節に続く5センチほどを残してぐちゃぐちゃに切断され、骨と筋肉が露出していた。そして、心臓の鼓動に合わせて、焼け付くような痛みがのたうちまわる。もはや叫ぶことしかできなかった。

枕代わりにしていたはずのバックは無くなっていた。残されたのは、僕のブレスレットだけだ。何も無い。カクつく両足で僕はなんとか立ち上がった。

あまりの緊急事態に、僕は一気に興奮して、脈拍が上がっていた。性的なものではなく、痛みが遠くなって思考のスピードが上昇していく。

ここでまず思い浮かんだのは、この床に広がる大量の出血痕を見る限りでは、このまま止血しなければ死んでしまうことだろう、ということ。そして、おそらくだが、生き残りは僕しかいないらしいことも。


とりあえず、止血をするために、上着の右の長袖を引き千切ろうと思った。しかし、思ったようにはならず、上手く千切れそうにもない。だから、残った窓枠にある尖ったガラスの破片を使おうと思った。上着のボタンを右手だけで外し、少し手こずったが脱ぐことができた。それの袖を肘のあたりで、ガラスを使って切り裂く。ビッ、と音がしていびつに引き千切れた。引き千切れたそれを、左腕の傷口に押さえつけると、じんわりと僕の血で濡れていく。生ぬるい感覚が手のひらに広がった。

何か縛るものが無いと、血を止めることができない。ズボンのウエストを調節していた紐を、脇に近い上腕部で縛り付けた。きつく縛るとさらに痛んだので、緩めに、でも袖が落ちないように縛り付けた。


そして、吹きさらしになった廊下を、列車末端側、部屋を出てすぐから左側に、ゆっくりと歩いて行った。それも、先頭に近い列車は貨物車らしく、駅で乗り込む時に駅員に注意されていたことを覚えていたからだ。途中、つま先でなにかを蹴ってしまった。見れば、廊下は少し焦げたような跡と、薬莢が大量に転がって、線路の出す衝撃に当てられて小刻みに揺れていた。寒さが体の芯に流れ込んで、鈍い痛みに変わっていく。自分でも驚く、獣のようなうめき声が口から漏れ出ていた。

薄暗い廊下は、パチパチと魔力灯がショートしていて、屋根が根こそぎ壁ごと吹き飛ばされていた。それは殆どの客室の壁を吹き飛ばしてしまっていることも意味していた。ゆっくり歩いていくと、壁だった残骸に大量の血痕を見つけた。薄暗さに紛れて隠れていたけど、確実にそれは存在していた。

これをよく見てみよう。体の痛みとは反比例して冴える視界で、この血痕に目を凝らした。この血痕はだいぶ乾いている。つまり、時間が経っているということで、血痕の持ち主も見つからないから、移動させたか捨てたかしたのだと思った。引き摺ったような血痕もないから、捨てた線が濃い。まあ簡単だったことだろう。高速移動している車窓から死体を投げ捨てるだけでよかったのだから。

……、いや、違うかもしれない。この血痕には続きがあるんだ。まるで、祖父の本の中で見たような、古代遺跡の壁画のように、もっと上に、天井の方に。だけど、壁といっしょに吹き飛んだから、死体もないんだ。


そうなると襲撃者は、銃でひとしきり撃ってから爆破したことになる。じゃあなぜ、僕を銃撃しなかったんだ?きっと、ドア越しに、客室を開けることなく銃撃して、偶然投げ出された僕の左腕に当たったんだ。そして、そのあと爆弾で全部の部屋を爆破したんだ。適当に撃てば当たると思って撃ったんだ。作業みたいに、冷酷に。一際吹き抜ける冷たい風が、僕の体を突き抜けた。


でも、それでも歩みを進めるしかない。痛む左腕を抑えて、ふらふらと歩く。付いてくるのは、僕の止まりかけの足音と、ちっぽけで薄い影法師だけ。

5、6歩行ったところだろうか。人を見つけた。旅行者だろうか。でたらめに四肢を広げ、白目を向けて、血まみれの服を着て寝ている。いや、『寝ている』いうよりか、『転がっている』が正解か。爆風に当てられて吹き飛んでしまったのだろう。もうきっと死んでしまっているに違いないと思った。だが僕と違って、体のどこも欠損していなかった。

そうして再び歩みを続けると、次の列車に続く、まるで芋虫の体節のつなぎ目のような部分、つまり小さな連絡通路のようなものがあった。僕は手洗い行くために-手洗いは隣の列車にしか無かった-ここの重たい扉を開けたのを覚えていた。この扉には窓があったが、古びた屋根裏に張った蜘蛛の巣のようにヒビ割れていて、内側の様子は分からなかった。

僕は横開きのこの扉に右手をかけて、思い切り引っ張ったが、自分が思うよりはるかに重く、とんでもない力が必要に感じた。おそらく、僕もあの死体のように転がってしまうようになるのが近いってことだ。なんとか力を振り絞って開けると、奥で話し声が聞こえた。朦朧とする意識に反比例して、五感は鋭くなっているのだ。


「煩わしい連中だ!」


「ひいぃぃ!お助けをぉ」


ここも酷い有様だった。天井は吹き飛んであちこち焦げた跡がある。人の声は、怒っているような声を上げる連中と、それに命乞いをするような連中とで分かれているようだ。音を立てないように歩いて、よかった、まだこっちに気づいてない、このままどこまでいけるだろうか。

銃創に穿たれた壁にうずくまると、もう少し耳をそばだてた。


「お前たち、いい加減に吐いた方が身のためだぞ。『アレ』はどこだ!」


バガンッ!どうやら誰か、天井に向かって一発放ったようだ。暗い中に銃弾の光はよく目立つ。


「ひぇええええ!そんなぁ、わかりませんん!一体全体、『ソレ』とは何のことなのですかぁ?!そんなお客様はお見受けしておりませんん!!」


か細い女性の声がするが、恐怖で発狂寸前だ。おそらく、銃を突きつけられているんだ。しゃがみながら、半ば這うように前進する。

彼らのいう『アレ』や『ソレ』とは何のことなんだろう?人について言ってるのか?


「どうしても吐かないというのなら、死んでもらう!」


短い装填音、おそらくメルトランス(長い銃身にストックのついた一般的なロングライフル)の類だ。

残念だけど、僕にできることは何も無い。思わず目を瞑った。女性の悲鳴。そして−再び一発。返り血が撒かれる乾いた音がした。

なんてことだ。奴ら、僕らの命をなんとも思ってないぞ。僕も見つかれば殺されてしまう。あんな風に。


僕は後悔した。どうしてここに来てしまったんだろう。もうどうしようもない。もう、前に進むしか。


「ふん、この女のようになりたくなければ、『アレ』の居場所を吐け!どこに隠れている!」


僕は芋虫のような動きで、壁から頭を出して、どういう状況なのかを確認した。


こちらに顔を向けて跪き、後ろ手を縄で縛られている、客室乗務員らしき人影が4つ。誰もかしこもボロボロだ。あんなに綺麗だった制服はくすんで煤まみれになってしまっている。


そして、こちらに背を向けて立ち、ライフルを彼らに突きつけている人影が5つ。鎧をガッチリと着込んでおり、どれも気配に隙がない。薄暗くてどんな鎧を着ているのかまではよくわからないが、とかく殺気立っている。


僕はやっぱり、交代しておそらく無人であろう貨物車まで逃げようと思った。

殺されるなんて冗談じゃないぞ。くそっ。


そうしてもう一度、背後の扉に手をかけ、ゆっくりと、音を立てないように細心の注意を払いながら、扉を開け、さっきの車両に移動した。死体もそのままだった。


前の車両へと続く通路に着いた。もう一度だ。扉を開けて中の様子を探ろう。扉は、爆発の衝撃で鍵が壊れ、半開きになっていた。


ドアノブに手-


んん、あれ?体が震えて、視界が狭くなった。


「かはっ」


呼吸が浅く早くなる。なんでこんな……ああ、くそっ。意識が……いっちまう。ここじゃまずい。せめて………、となりの車両へ………。


体重をかけて扉を開けると、僕はばったりと倒れ込んだ。

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