第3話小さな夜

いまはむかし

小夜子さんは小さな夜を連れてきました


ねえ、今夜は泊まっていく


と、口の中で金平糖を転がしながら

そうやってよくわたしを誘惑したもんです


カーテンの囲いの中

寝台にやっと座っている

憎たらしきその体躯は

突つけばすぐに倒れてしまうのに

床とのあわいに夜を遊ぶ小さなあんよが

ひっそりと楽しく浮かんでいるのです


真白の離れ小島に一人

今宵の月が小夜子さんの半身に影をつくる


小夜子さんと出会ってからお別れするまで

とうとうわたしは一度も添い寝をしてやらなかった

せめて夢の中では

小夜子さんがずっと帰りたがっていた自宅の軒下の花壇に水を遣る

そんな幸せで目覚めた朝があったかどうか

小夜子さんは一度もわたしに夢を語らなかったのでわかりません


病棟にいた間

小夜子さんは奪われた自由を奪還するべく

よく泣きわめいたものでした

世話人から罵られようとも

気高き花のような小夜子さん

泣いていてもわたしを見つけると ふふんと言っていた

そんな反骨の女がしだいに活気を失い

抵抗を諦め

理想の患者になる様を

わたしは見てることしかできなかったのです


いまはいま

小さな夜は静かに去りつつ

明日にはすっかりいなくなる


ねえ 今夜こそは泊まっていく


と、小夜子さんは人形みたく言った

わたしは影と一緒に小さくなりながら

小夜子さんをただ見つめていた

もうずいぶん小夜子さんが笑ったのを見ていないなと思っていました


いまはそこに

底冷えの白い朝があるだけです

小夜子さんの消えた寝台は

シーツの皺一つなく

夜を捨て

ひっそりと浮かんでいるのでした



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