第24話 地の戯れ
その日の夜。
俺は後払いの報酬であるバンダナを手に、アドルフからもらった魔導書と契約を試みることにした。
なにせ知己の精霊であるから、瞑想をしたら会いに来てくれるのではないかという期待だ。
ついでに、後払いの報酬も渡してしまいたい。
精神汚染?
まぁ、乱用しなければたぶん大丈夫だろう。
大き目の黒板を用意してもらうと、俺はそこにアドルフ・ローマンと記す。
いや、たぶん記した。
表現があいまいなのは、その文字を俺が知らないからである。
まぁ、別に文字を知らなくても問題ないし。
地属性なのはあらかじめ知っているので、あとはスタニスラーヴァから精霊の名前らしき部分を教えてもらえば準備は完了だ。
あとは読み方なのだが……なにせ自分でつけた名前だから、文字が読めなくとも間違えるはずが無い。
これで失敗したら、スタニスラーヴァが間違えたということになるのだが、たぶんそんなことにはならないだろう。
あの性格は別として、その能力は信頼しているのだ。
俺は黒板をにらみつけ、文字をまぶたに焼き付けてから目を閉じる。
瞑想開始すると、即座に周囲の景色がかわった。
そこは解体された建物の瓦礫と建築資材が山済みになっている、なんとも土臭い場所。
屋根はなく、上には青空が広がっていた。
すぐ近くには道具箱がいくつもあり、なるほど建物を修理する魔導書にふさわしい抽象イメージだとおもえる。
箱には何が入っているのかな……と好奇心の赴くままに手をつけていると、ふいに後ろから人のような気配を感じた。
「おいおい、そいつは子供が触っていいものじゃない。
下手に触ると怪我をするぞ」
聞き覚えのある声に振り向くと、そこにはアドルフが腕を組んで立っていた。
予想はしていたが、本当にきたな。
「どうも、アドルフ。
わざわざ、会いに来てくれてとても嬉しい」
「んな堅苦しいしゃべり方じゃなくていい。
そういうのあまり好きじゃないんだ」
ため息混じりにそう告げると、アドルフはまっすぐ手を伸ばして俺の髪に手を突っ込んだ。
「おぉ、思った以上にやらけぇな。
すげぇ、モフモフしてる」
おい、ペット扱いかよ。
「その扱いはわりと傷つくんだが?」
「悪ぃ、悪ぃ、なんかお前の毛並みって、見ているとつい触りたくなるんだよ」
おれがジト目で抗議すると、アドルフは悪びれも無くそう言い放つ。
これ、ぜんぜん悪いと思ってないヤツの面だ。
「というか、悪いと思ってるなら手をどけろ。
……っ、耳はさわるな!
今、全身にビクッときたぞ!!」
「いや、なんか触り始めたらつい癖になっちまってな。
あれだな、弟とかいたらこんな感じなんかねぇ」
「俺はアドルフの弟でもペットでもない」
思いっきりすねた顔をしてみせると、それでようやくアドルフは俺の頭からしぶしぶ手を引いた。
壮絶美人のスタニスラーヴァに触られるのですらいろいろと微妙なのに、なんで野郎に撫で回されにゃならんのだ。
「ははは、俺がお前に障るほど魔導書の内容が理解できるようになるってことで勘弁してくれ」
「わかった。
それで我慢しよう。
それより、後払いの報酬を用意してあるんだが、」
「おぅ。
渋染めのバンダナか。
いい色合いだな。
遠慮なくもらっておくぜ」
俺の用意したバンダナは、いつのまにかアドルフの手に握られていた。
そしてアドルフは、いま巻いているバンダナをはずして新しいバンダナを頭に巻く。
「どうだ、似合うか?」
「まぁ、悪くはないって感じじゃねぇの?」
俺が適当に答えると、なぜかかえってきたのは苦笑いだった。
「そこは素直に褒めろよ。
自分で用意したバンダナだろ」
それを言われるとつらいのだが、それなりの理由はある。
「用意できたのがそんな感じだっただけだ。
いっそ、新しい染物なんかをこの世界に広めるのも悪くないな」
この世界、刺繍は存在するが染めで模様をつくる技術はなぜか発達してないかった。
ろうけつ染めについて尋ねたが、一緒にいた
そいうえば、明かりに使われているろうそくも、臭いと煤のきつい獣脂の蝋燭だった気がするぞ。
もしかして、植物性の蝋が発明されていないのだろうか?
「それはさておき、さっきの接触でどれぐらい魔導書が読めるようになったんだ?」
いろいろと我慢をしたのだから、それなりの成果はあってほしい。
あんなのを何度も繰り返したら、それこそ身がもたんわ。
すると、アドルフは斜め上を向いたまましばらく考え込むと、ポツリともらした。
「第一巻はたぶん全部読めるだろうな」
「そっか……なかなかに厳しいな。
はやいところ全巻読めるようになりたいんだが」
まぁ、地道に文字を覚えることからすれば破格の成果だが、それでももう少し欲張りたかったというのが本音である。
すると、アドルフの奴はとんでもないことを言い出した。
「なんだお前、俺にキスされたいのか?」
「いらん! 激しくいらん!!」
間髪をいれずに拒否である。
断じて否である。
だが、アドルフはなぜかニヤッと笑った。
「そう嫌がるなよ。
名誉なことなんだぜ?」
「別の問題が発生するわいっ!」
身の危険を感じて瞑想を解……解けない。
まて、アドルフ!
ニヤニヤしながらにじり寄ってくるな!!
「やめっ……いやだ、男に唇を奪われたくないっ!!」
「はっはっは、覚悟しろ」
あわてて逃げ出そうとする俺だが、完全に悪乗りしたアドルフにあっけなくつかまる。
足の長さが違いすぎて、走ってもスピードが出ないのだ。
あ、空を飛べばよかった!
ちくしょう、自分の体のこと忘れていたしっ!!
「ほら、もう逃げられねぇぞ」
「む……無念」
抵抗むなしくアドルフの顔が近づき、死んだ目をした俺の口から敗北宣言がこぼれた瞬間。
海外の男性が自分の子供にするように、おでこにキスが落された。
次の瞬間、俺は瞑想から醒める。
「完全に遊ばれた」
夜の静寂の中でポツリとつぶやかれた言葉は、砂漠の砂のように乾いていた。
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