鈍感ロミオ



 お兄ちゃんの高校の学園祭から三週間ほどが過ぎた土曜日。ぼくは急きょ、次郎さんの自宅アパートへ行くことになった。

 一清さんと広美さんが、それぞれの仕事の出張で金曜日からいないし、お兄ちゃんはスイミングの合宿で土曜日から県外へ行く。善之さんも、バイト先の慰安旅行でその日は留守になる。

 つまり、ぼくは一人になってしまうから、それを心配した一清さんが、面倒を見てほしいと次郎さんにお願いしたのだ。

 もちろん、お兄ちゃんにバカにされると思って、一晩くらい一人でも平気だと訴えた。でも、内心では不安だったし、なにより次郎さんの家にお泊まりできるということで、本当の本当は嬉しかった。

 次郎さんとルームシェアをしている小林先生も快諾してくれたし。

 そして、その土曜日がやってきた。

 十月も中旬を過ぎると一気に寒くなる。

 六時前、まだ薄めのダウンジャケットを羽織り、真っ暗い家を出た。しかし、外の寒さに負け、また家へ戻ると、マフラーを巻いた。

 自転車で行くには、次郎さんの自宅アパートは遠かった。前に一回だけ行ったことがあるけど、そのときは車だった。それに次郎さんの家としてではなく、小林先生の家だった。

 バッグを抱え直し、呼び鈴を鳴らす。

 この時間は、次郎さんはまだお店にいると思う。閉店はたしか七時半だ。

 次郎さんの同居人である小林先生が笑顔でドアを開けた。


「やあ、いらっしゃい」

「すみません。急に泊まることになって」

「篠原が一人になるのは俺だって心配だ。気にするな。さあ、上がって。大したもんは出せないけど」

「おじゃまします」


 学校での先生はいつもスーツ姿で、びしっと決まっている。きょうはトレーナーにデニムというラフな格好で、もっと若く見えた。

 前掛けもしている。コンタクトなのか眼鏡はなく、それも若さに一役買っていた。

 前と同じで、奥のリビングへぼくを案内すると、先生はキッチンに立った。


「その辺で適当に寛いでて」

「なにか手伝います」

「大丈夫。もう、ほとんど終わってるから」


 バッグを下ろし、ダウンジャケットを脱いで、ぼくがキッチンへ入ると、先生はお鍋をさして、ポトフを作ったと言った。

 あとはちょっとした揚げ物と、必ず食卓に上がるという漬け物がきょうのメニューだそう。

 ぼくはリビングへ戻り、前に来たときの記憶と、目の前の景色を当てはめてみた。

 次郎さんは、この春にフランスから帰ってきて、お店を始めている。それから先生と一緒に住んでいるらしいから、前のときは、まだ家具も落ち着いていない、引っ越して間もなくだったんだ。

 それでも、ぼくはあのとき、この部屋に生活感を見ていた。

 なんとも言えない、居心地のよさも。


「篠原。先に食べててって、次郎は言ってたから、食べてしまおう」


 食卓を整え、先生が言った。

 ぼくとしては、次郎さんが帰ってくるまで待って、一緒に食べたかったけど、先にすませたほうが先生のじゃまにならないと思って、椅子に腰かけた。

 ぼくのレパートリーにポトフはなかったから、食事を進めながら先生に作り方を聞いた。

 食べ終わり、ごちそうさまでしたと箸を置いたところで、前から先生に訊いてみたかったことを、ぼくは切り出した。

 

「先生と次郎さんは、やっぱり、一清さんを通じてお友だちになったんですか?」


 先生と一清さんは大学の先輩後輩の間柄だ。

 ぼくは先生に会ったとき、一清さんより年下だと思っていた。

 でも実際は逆と聞いて、びっくりした記憶がある。といっても、一つしか違わないんだけれど。

 先生はお茶を一口飲んだあと、湯呑みを持ったまま「ああ」と頷いた。


「大学でできた同期の友だちが一清の中高の先輩だったんだ。それで、一清とも自然と話すようになって、学食でも一緒にメシ食ったりしてた」


 ぼくは食卓から身を乗り出すようにして、うんうんと首を振った。


「ある日、べつの友だちと飲み会があって、その店に、一清が次郎と一緒に来てたんだ。そこで偶然、顔を合わせた」

「次郎さんの第一印象はどんな感じでした?」

「あんまり一清に似てなかったから、最初はあいつの弟だとは思わなかった。そのあと、どこでだったかな。次郎に声をかけられたんだ。一回しか会ってないのに、俺のこと覚えてて、しかも、友だちと話すみたいにしてくるから、なんだこいつって思ってた」


 先生はときおり遠くを見て、そのころを懐かしむように目を細めながら話していた。

 でも、改めてぼくに目をやると、慌てた感じで食器を片付け始めた。

 ぼくは立ち上がり先生の横に並んで、後片づけは手伝わせてくださいと頼んだ。

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