第20話 私に精通がきた。
アパートに帰ってきた。今間は落ち着かない様子で部屋の中を見回している。
「普通の家とは違うと思うよ。若い男だけで住んでる家だから」
言ってから、「ちょっと待ってて。風呂沸かしてくる」と風呂場に向かった。
戻ってみると、今間がパソコンの前で身体をモジモジさせている。
「トイレならそこ。見りゃ判るだろうけど」
「男二人なら……見てるよね?」
「ああ、エロ動画? 見る?」
とっくに予想はついていた。からかわずに、古びたパソコンの電源を入れる。
このパソコンは、智也がバーの常連さんから譲ってもらったお下がりだ。私のためにもらってきたものだが、彼もデジカメのデータ保存や編集で使っている。一度好奇心を起こしてパソコン内を調べてみたけど、それ以外で使われている痕跡はなかった。私が賢いから警戒しているのだろう。それにわざわざパソコンで見なくても、今は携帯電話で見られる時代だ。
パソコンは古いながらも私が知っているものよりずっと早く立ち上がる。適当なアダルトサイトのページを開くと、「すご、初めて見た……」と掠れた呟きが聞こえてきた。やはり今間は誰かの家に遊びにいったことがないのだ。あんなに友達がいても、一度も。
「施設にパソコンないの?」
「みんなで使えるのがあるけど、こういうサイトにはアクセスできなくされてる」
「だろうな。はい、どれでも好きなの見ろよ。変なリンクは踏むなよ」
パソコンの前を譲った。が、今間は私に性癖を知られるのが恥ずかしいらしい。「よく判んないから、尚くん選んでよ」と返される。人気女優らしい動画を再生してやった。
「うっわ……すげえ……動いてる……」
「胸でかいよな」
すっかり語彙力を失くしている彼に無感動に返す。
「尚くん慣れてるね。あ、もしかしてもう……」
エイリアンに遭遇したみたいな目で見られた。
「まさか。童貞だよ」笑い飛ばす。「単に動画見慣れてるだけ。藤咲さん仕事でほとんど家いないし」
「いいなあ……。オレも藤咲さんみたいな里親欲しい……」
今間は羨ましそうに呟きながらも、目は肌色の画面を食い入るように見つめている。
オーソドックスなアダルト動画でも、彼には刺激が強いのだろう。額にうっすら汗を掻き、肩が上下していた。身体に現れる反応を必死に抑えこもうとしている様子を見ながら、やっぱり男ってこういうのに興奮するんだなあと内心で感心する。
夏休みに入ってすぐ、私に精通がきた。望まない精通は夢精の形で現れた。智也を起こさないようにこっそり下着を洗いながら、どうにかせねばと考えて、一度アダルト動画を見ながら自己処理してみた。だけど射精の予兆どころか、快感ひとつ感じられなかった。
私は男でもないし、当然女でもない。女だった頃はアダルトビデオを目にすると、ある種の心のざわめきがあった。それは興奮ではなく、見てはいけないものを見ている罪悪感、性に対する嫌悪感が強かったように思う。
今はただ、居心地が悪い。興奮できない自分はやはり男にはなりきれないのだと思い知らされて、底なしに冷静になってゆく。そんな状態で達することなどできるはずがない。
「そろそろ風呂沸いたかな。オレ、先に入るよ。20分くらいかかるから、好きにしてて」
テーブルに置いてあったティッシュ箱を今間の隣に置いた。「え」と彼が動揺する。
「見るだけなんて生殺しだろ。あ、ティッシュの後始末に困る? なら、トイレットペーパーでも使ってよ。トイレに流せばいいし」
「……藤咲さんともそんなノリなの?」
――今間少年、未知との遭遇再び。
思わず脳内でテロップを入れながら、「さすがにそれはない」と笑う。
「あの人、あれでもオレの保護者だし。案外真面目だよ、ああ見えて」
「尚くんって結構不良なんだね……」
「今間はウブだな」
「だって僕、施設では小3の子と相部屋なんだよ?」
おっと、『僕』呼びだ。これが普段の口調なのだろう。施設のスタッフ、つまり仕事で世話をする大人たちに囲まれていれば、確かにこうなるかもしれない。
「じゃあ君、普段まともにオナニーもできないんじゃない? 今日はのびのびやったらいいよ。オレ風呂出るとき、大声で歌いながら出てきてあげるから。あ、やり方判る?」
「それくらい判るよ! 僕、尚くんより友達多いんだから!」
顔を真っ赤にして今間が怒る。大半は照れ隠しなんだろうけど。
「言うようになってきたな。じゃ、ごゆっくり」
私は微笑ましさに笑いながら手を振って、大人しく脱衣所へと引っこんだ。
「お、やっぱまだ起きてたか。青春だねえ」
今間と動画投稿サイト――エロじゃないほう――を見たり、パソコンのフリーゲームをプレイして遊んでいると、智也が帰ってきた。
フラフラと部屋に上がってどっかり腰を下ろし、両手に持っていたコンビニのレジ袋の中身を畳にぶちまける。
「恋バナとかしてんだろ。ほら、これやるから、お兄さんも仲間に入れてくれよ~」
「あ、また酔ってコンビニで買い物してる。割高なのに。ズボンも脱がないと皺になりますよ。シャツも先に脱いで、洗濯かご入れといてください。すぐそのまま寝ちゃうんだから」
「尚くん、お母さんみたい」
「こんな飲ん兵衛息子欲しくないよ」
吹き出す今間に言い返してから、智也が買ってきたアイスや飲み物を抱えて立ち上がる。
「あ、ビールは今から飲むんだってー」
「え? オレたちに買ってきてくれたんでしょ? ありがたくいただきますよ」
「揚げ足とってもダメなもんはダメー。お酒は20歳になってからー」
「ほんとだ。結構真面目だね」
「酔っててもこうなんだよな、この人」
ため息をつくと、智也が私の手から缶ビールを1本奪い――油断も隙もない――、プルタブを開けながら眉間に皺を寄せた。
「そりゃ俺には児童福祉所の監視があるからな。厳しいんだぜ、いろいろ。バーテンダーになるのも止められたし」
「そうなんですか?」と今間。
「でしょうね」と私。
ビールに口をつけた智也の代わりに、私から説明を続ける。
「数か月に1回福祉の人が調査に来るんだ。生活環境とかオレの様子とか見に」
「俺のほうから報告書も出さなきゃいけないしな。バーテンダーは今は見習いだけど、その内店を任されて正社員雇用になるからって言って認めてもらった」
今度の「そうなんですか?」は私だ。知らなかった。割と本気で取り組んでたんだ。
「マスターももう歳だからな。後継者を探してたんだよ。フリーターだと不安定だし、俺も定職に就かなきゃなあってずっと思ってたんだけど……俺、実はさ。小説家になりたいんだ」
「へえ! 確かに、ここにも本がたくさんありますね」
今間が声を上げる。私の目はまんまるだ。
「ま、結局思うだけで、今までまともに書いてこなかったんだけどさ」
藤咲さんはあっけらかんと笑って空になった缶を握り潰すと、私の頭に手を置いた。
「バーテンダー1本になれば書く時間もできるから。風呂入ってくる」
視線を合わせずそう言って、私の頭を乱暴に撫でると脱衣所へと入っていく。
引き戸が閉まってから、今間がポツリと呟いた。
「尚くんの言ってた通り、いい人だね、藤咲さん」
「……だろ?」
違う。私が思ってた以上に、だ。
バーテンダーは忙しい。店の経営を任されるとなると、執筆時間なんてとれないだろう。
あの人はオレのために、自分の夢を諦めたのだ。
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