第二章 2 チェーホフの銃

 バレンタインデーとは、人が死んだ日である。


 ――なんて言うと、まるでモテない男子がチョコをもらっている男子を僻んでいると思われるかもしれないが、そういうわけではない。

 まあ、中学一年まではそうだったけど……。

 そんな聖ヴァレンティヌスとかいう知らないおじさんの命日というわけではなく、単純な話、


 2月14日は僕の両親の命日なのである。


 首つり自殺だった。

 父親は小さな工場の社長だったが、経営が立ちゆかなくなり、借金もかなりの額に膨れ上がっていたそうだ。

 それでも息子にも隠して頑張っていたようだが、父はとうとう折れてしまったのだ。そして、生きることを諦めてしまった。

 父と母はとても仲が良かったように思う。高校生の息子がいるとはとても思えないぐらいに甘々で、だから、母は父を亡くした未来で生きることを受け入れられなかったのだろう。そして、一緒に旅立つことを決意したのだろう。

 もし、父と母の仲がそこまで良くなかったのならば、母まで死ぬことにはならなかったんじゃないかと思いもしたが、どちらが良かったのかは息子の僕でも分からない。

 高校一年のその日、家に帰った僕はリビングに置いてある手紙を読んだ。そこには会社が立ちゆかなくなったこと、僕を置いて旅立つことへの詫び、遺産放棄の手順、奥の部屋へは行かずに警察を呼ぶこと……色々なことが書いてあった。

 いっぱい、いっぱい、便せんには父の字も母の字もあって、これだけやるせなさとか、申し訳なさとか、愛情とか、様々な感情を紙に叩きつけても、『死』という一文字に縋るのを止められなかったのだということを思うと、両親を失う喪失感とは別に、やるせなさが溢れた。

 僕は父親との約束をやぶり、手紙を握りしめて奥の部屋へと向かった。

 そこでは両親が首を吊っていた。天井の明かりに引っかけるようにしてぶら下がる縄が二つ。

 縄はちょうど相対するように掛かっていて、そこには両親が向かい合って吊られていた。

 握りしめた便せんからは、インクが滲むことはなかった。


   ◇◆◇◆◇◆


 目覚めたとき、僕は人差し指を宙に上げていた。

 ……? なんでこんな格好で再スタートなのだろうと思いはしたが、そうか、セーブポイントの直後だからか。

 拳銃に打たれ、本当に死んだらどうしようという気持ちが無かったと言えば嘘になるが、なんとなくこういうことになるだろうという気はしていた。

 そもそも、セーブポイントがあるということは『セーブの必要がある』、もっと言えば『一度ではクリアできない』ことを意味している。

 つまり、これはゲームなのだ。クリアするまで外には出られないし、クリアまでにはその周回としての死が待ち受けている。

 ……まあ、ゲーム開始直後にセーブさせられるっていうのはちょっと流れとしてどうなんだって気もしないでもないけど。

「穂高先輩!」

「うさぎ……?」

 うさぎが僕に抱き着いてくる。

 その表情は涙でくしゃくしゃになっていて、思わず昔のように名前で呼んでしまった。

 ああ、そっか。うさぎからしても相当にショッキングな体験だっただろう。例えゲームだとしても自分に近い(と思ってくれているとは思う、多分)者を自分の手で殺めてしまったのだから。

「よかった……、無事で。本当によかった……。撃ってしまって、すみません……」

「別に構いませんよ。お嬢様だってやりたくてやったわけじゃないのでしょう? それに――」

 たとえうさぎが本当に僕を撃ちたくなったとしてもそれならそれで本望だよ。

「それに……?」

 まあ、そんな重いことは言えるわけもない。今の僕はただの執事。お嬢様に忠誠を誓ってはいるが、だからといって重すぎる忠誠心など鬱陶しいだけだろう。

「お嬢様が僕の死に際に浮かべていた顔はいつもと違って可愛かったですよ♪」

「~~~~! もう! 知りません!」

 うん、やっぱりお嬢様は怒っているときの方が可愛い。

「それでは、とりあえず拳銃を机から出しましょうか」

 一度やってしまえば慣れたもので、机をタップし、『調べる』を選択。拳銃を引き出しの中から出す。

「あいかわらず物々しいですねー……」

 お嬢様が僕の背中の後ろから拳銃を覗き込む。服を掴むお嬢様の指は少し震えていた。

「どうやらタイムリミットがあるみたいですから、それまでになんとか処理をしなければならないのだと思いますが……」

「弾を抜いちゃうとか?」

「それが抜けないんですよね。前に使った銃はこのグリップの部分からマガジン――弾を入れるところを取り出せたんですが……」

「待ってください? まるでその言い方だと、前に銃を使ったことあるみたいなんですけど!?」

 昔、ハワイで親父にな。

 と言えたら格好いいのだが、あいにくと僕はそんな過去を持っていないので。

「執事になるときに習いましたので」

「パパはわたしの執事に何をさせる気なの!?」

 そのあとブツブツと小声になってしまいよく聞こえなかったが、『絶縁』とか『追い出す』とかいう言葉が端々に漏れていたような気がする。

 旦那様、すみません。でも娘を溺愛しているからって、執事(高校生)に拳銃の訓練をさせるのはどうかと思います。

「……まあそれはともかく、弾を抜くことはできないようですね」

「拳銃にタップしてみたらどうですー? 弾を出すみたいなメニューがあるかも」

 確かに。前回はお嬢様が拳銃を怖がっていたから、拳銃自体はあまり調べなかったのだ。

 拳銃をタップしてみるとメニューは出たものの『調べる』しかなく、押しても大した情報は出てこなかった。

「とりあえず今回も部屋の調査を続けてみましょう。それで25分になったら僕が全力でお嬢様を止めます」

「止めるってぇ、具体的にどうするつもりですー?」

「お嬢様を後ろから羽交い締めにします」

「それでどさくさにまぎれて?」

「胸を揉みます」

「少しは隠してください! そうなる前にそのお花畑みたいな頭を撃ち抜いてやりますよぉ!」


 そして25分になる。

「ちょ、お嬢様なんでそんなに俊敏に動けるんですか! 普段ぐーたらしてるくせに! お嬢様のあるようで無い胸は僕が揉む!」

「『あるようで無い』って何ですか! 少しはありますよ!」

 とかなんとか言ってる間に撃たれた。

 うん、とりあえずお嬢様が僕を撃つことに抵抗はなくなったようだ。

 今後、何度この行為を繰り返さなければならないのか分からないのだ。

 それならば、こんなものギャグにでもしてしまった方がいい。

 僕はお腹から流れる血を見ながらも、笑っていたと思う。



 それから更に4回死んだり殺したりした。

 拳銃を隠してみたり、お嬢様を山盛りのキャベツの下に生き埋めにしたりと色々してみたのだが、結果はどちらかがもう一方を殺す結末。

 というかお嬢様、キャベツに生き埋めにされてんのに至福の表情を浮かべるのはやめてくださいよ。

「これってチェーホフの銃、なんですかねぇ」

「チェーホフの銃?」

 聞き覚えのない言葉にそのまま聞き返してしまう。

「えー、先輩、チェーホフの銃も知らないんですか~?」

 お嬢様がすごい得意顔でニヤニヤ笑ってくる。

 はいはい、知らない知らない。だからとっとと教えてくださいませ、お嬢様。

「チェーホフの銃っていうのは物語の創作技法みたいなものですよ。第一章で銃を描写したならば、第二章ではその銃が発砲されなければならない。まあ、つまりは物語に出したからにはきちんと使え、意味のないものは出すなってことです。チェーホフって人が昔そんなことを言ったらしいですよ」

「それって伏線のことでしょうか?」

「まあそれに近いんじゃないですかね~」

 ということは、だ。この拳銃がいつも発砲されてしまうのは描写をしてしまっているから――すなわち僕らがいつもこの拳銃を見つけてしまっているから、というわけだろうか。

「なら、次回は拳銃を見つけず、話もしないことにしましょう」

 今回はもう拳銃を机の中から見つけてしまっているのだ。チェーホフの銃的に言えば既に描写してしまっているのである。

 でも何もせずに撃たれて死ぬというのもなんだかもったいない。

「今回はどうします? せっかくですし、何か試したいですよね?」

「そうですねぇ……、あ、じゃあ手ぇ繋ぎましょうよ! 両手で! それならどっちかが離そうとしてももう片方が気合いで握りしめれば止められるかもしれないですよ!」

「それなら抱き合うとかでもいいですよ?」

「変なところ触られそうなのでお断りしまーす。ほら、手ぇ出してください」

 言われた通りに手を差し出すと、まるで奪い取るかのように手を握られる。

「ほら、もっとしっかり掴んでくださいよ。そんなんじゃすぐ離れちゃいますよー?」

 そう言いながら手と手を、指と指を絡ませてくる。

 それはいわゆる恋人繋ぎというやつで、そんなことをしたのは初めてで。いや、でも向かい合ってるし、どちらかというと取っ組み合いっぽい……?

 絡み合う手から視線を外すと、お嬢様と目が合う。その目はどこまでも不遜で、余裕ぶっていて。

 でも、その頬は真っ赤に染まっている。

 そして、それは僕もたぶん同じだろう。

 顔は熱く、心臓は大きく高鳴っている。

 さっき冗談で『抱き合う』なんて言ってみたが、そういう事態にならなくてよかった。もしそんなことになっていたら絶対にこの鼓動の音がうさぎに聞こえていたことだろう。

 それはあってはならない。

 だって僕はうさぎの執事だから。

 昔ならいざ知らず、今の僕らには立場がある。

 だから、僕はこうして可愛い後輩に見とれつつも、そんな自分は消えてしまえと願うのだった。

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