第二章 1 繰り返しの始まり

「一体ここはどこなのよー!?」

 とうとう我慢できなくなったお嬢様が天井に向けて癇癪を起こしたが、白い天井はそれに答えてはくれなかった。

 10畳ほどの部屋だ。部屋の中央には折り畳み式のローテーブルがあって、部屋の周囲にはベッド、机、本棚、それからカウンター式のキッチンがある。

 キッチンのそばには恐らく部屋の外に繋がっているであろう扉があるのだが、ノブを回してもうんともすんとも言わなかった。まるで、扉の先が壁になってしまっているかのようである。

 部屋の奥には窓はなく、壁には振り子式の壁掛け時計が飾ってあった。

 部屋がかなり広く感じるのは本来窓があるであろう場所が壁になっているのに、そこに家具の類がないからかもしれない。あとはテレビなどがなく家具が最低限だからか。

 本棚の中には本がぎっしりと詰まっていて、この部屋の主(主がいるのかどうかは分からないが)が読書好きであることがうかがえる。とはいっても中にあるのは高尚な本ではなく、大半は大衆文芸――というかライトノベルばかりだったけど。

 ……部屋の主とは気が合いそうである。

キッチンの方には冷蔵庫と食器棚があり、食器棚の中にはティーカップに電気ケトル、インスタントの紅茶、コーヒーなども備えてあった。キッチンタイマーもあって準備がいい。

 冷蔵庫の中も見てみようとしたのだが、なぜか開けられず断念。

 部屋を一通り見て回ってから、お嬢様が「喉乾きませんかー?お茶を淹れろ」とありがたーいお言葉ワガママをおっしゃったので、インスタントの紅茶を淹れたのだが、あまり好みではなかったようだ。

 執事であり、庶民派の僕としてはいつもの味でむしろ落ち着いたのだけれど。

 そして、紅茶を飲み終わってから我慢の限界が来たというわけである。

「うーん、一番考えられそうなものは旦那様のドッキリですが……」

「もしそうだったら今度こそ絶縁ですよ! 我が家から追放ですね」

 ぐでーっとローテーブルに突っ伏しながら、お嬢様が悪態を吐く。

 旦那様とはこのお嬢様――餅搗もちつきうさぎ様のお父様であり、僕――杵柄穂高きねづかほだかの雇い主でもある。米農家の大家、餅搗家の家長であり、巨大企業の社長もしていて、めちゃめちゃ偉いはずなんだけど、家での扱いは残念ながらよいとは言えない。

 いや、愛されてるとは思うんだけど……、愛してますよね奥様?

「でもそうなると最初のアレをどうやったのかという話ですが……」

 最初、僕たちがこの部屋で目覚めた時に『セーブしますか?』というメッセージが書かれたウィンドウが宙に浮かんだのである。

 セーブはできるときにやっておけ。という通説にしたがい、『はい』の方を押すと、そのウィンドウは消えてしまった。

 あの演出を現実の世界でやるのは少し難しいんじゃないかと思う。それこそ小説のように、ゲームの世界に入り込んでしまったと言われた方が納得のいくものだ。こんなリアルなVRなんて見たことも聞いたこともないけど。

「まぁ、確かに……。あとぉ、わたし的には冷蔵庫が開かないっていうのも納得できないんですよねー。外への扉が開かないのは閉じ込めたいのかなって思いますけどぉ、冷蔵庫を開けられなくしてなにがしたいんですかね? っていうか本当に開けられなかったんですかぁ、先輩?」

 お嬢様が突っ伏した姿勢のまま、顔だけ起こしてこちらを見上げてくる。その目は挑発的で『先輩の力が足りなかっただけなんじゃないですかー?』とでも言いたげだ。この子って中学のときからこんな感じだからな……。まあこれはこれで可愛いのだけれど。

「貧弱なお嬢様がなに言ってるんですか……」

 そもそもお嬢様は偏食が過ぎるのである。『うさぎ』というその名前のせいか、にんじんとキャベツが大好物で、生だろうとちょっと目を離した隙にぽりぽり齧っているのだが、肉は全然食べてくれない。

 そんな偏った食生活を送っているから体の一部も貧弱なのだと言いたくなる。言ったら確実に殴られるので言わないけど。

「まあいいです。まだちゃんと調べられていませんしー、この部屋の色んなものを調べてみましょう。わたしはキッチンを調べますから、先輩はリビングの方をお願いしますね☆」

「はいはい、分かりました」

 うさぎの華麗なるウィンクを、片手を上げて受け止める。

 ほんと、この子のこういうところは中学の頃から変わらない。



 リビングのものを調べてみると、大まかに、動くものと動かないものがあることがわかった。

 例えば部屋の中央にあるテーブルは簡単に動かすことができるし、ベッドだって持ち上げることは重くてできないものの、動く気配ぐらいならある。机の上の小物類も自由に動かすことができた。

 一方で、じゃあ机自体は動かせるかというとこちらはまったく動かすことができず、まるで空間そのものに固定されてしまっているかのようだった。

 本棚も同じで、動かすことはおろか、中の本を取ることもできない。手を伸ばしても見えない壁が阻むのだ。

「お嬢様、そちらはどうですか?」

 キッチンは物が少ないから、調べるのももう終わっているはずだ。

「全然ダメですねぇ。確かにこれ、冷蔵庫だけどうにもなりませんよ」

「だから行ったじゃないですか。お嬢様の貧そ……貧弱な力じゃ無理だって」

「先輩、今『貧相』って言おうとしましたよね!? わたしはまだ成長期前なだけですー!」

 カウンターキッチンの奥の方から、お嬢様が頬を膨らませた顔を出してくる。うーん、なんで頬は簡単に膨らむのに胸は膨らまないんですかね……。

 それに僕は知っている。高校生になったのにも関わらず、胸囲は中一のときからほとんど変わっていないことを!

 でも、奥様、娘のプライベートな情報を執事に話してしまうのはどうかと思うので気をつけてほしいです……。

 あ、でも情報自体は引き続きいただきたいので、どうぞよろしくお願いします。

「先輩、先輩! なんか出ましたよ!」

「ゴキブリですか?」

「違いますよ!? ホントに出てきたらどうするんですか! わたしどさくさに紛れて先輩に抱きつきますからね!?」

 またそういうからかうようなことを言う。ドキッとするから止めてほしい。

 キッチンへ行ってみると、冷蔵庫の前にウィンドウが出ていた。

 最初にこの部屋で目覚めたときと同じ、メッセージウィンドウだった。


【冷蔵庫だ。

 ・調べる

 ・キャンセル】


「これどうやって出したんです?」

「えーっとぉ……? 指をトントンってしてたら……いつの間にか出てましたか、ねぇ?」

 あ、曖昧だなぁ……。

 とりあえず『調べる』を押してみる。

 すると冷蔵庫の


【扉が開いた!】


 メッセージウィンドウに先を言われた……。

 ま、まあいいや。中には、


【山盛りのキャベツが入っていた!】


「メッセージうるさっ! っていうかキャベツしか入ってないのか……。どこのお嬢様の冷蔵庫ですか」

「先輩、わたしを侮らないでください。わたしの部屋の冷蔵庫にはこの数倍のにんじんとキャベツが入ってます!」

「そういえば、そうでしたね……」

 お嬢様のお部屋には業務用冷蔵庫が設置されており、ニンジンとキャベツがいっぱい入っているのである。

 ほんと旦那様にはこのベジタブルお嬢様を甘やかすのをもう少し控えてほしい……。

「んー、にしても他の家具もトントンしたら何か出ますかねぇ?」

 お嬢様が冷蔵庫を閉じながらそう言う。その腕にはキャベツが2玉抱えられていた。

 どうやらさっそく食べる気らしい。

 生だけど? なんて聞くなかれ。このうさぎお嬢様はまるで名前の通り、うさぎのようにぽりぽりと生野菜を食べ続けられるのだ。

 試しに僕も冷蔵庫を『トントン』してみる。すると先ほどと同じウィンドウが出てきたので、今度は『キャンセル』を押す。

 なるほど、イメージとしてはスマートフォンの画面をダブルタップする感覚に近いだろう。

「扉の方は反応なしですねー。やっぱり向こうは壁なんですかね?」

 お嬢様がキャベツを左手で抱えながら、右手の人差し指を扉に当てていたが、特に何も出てこなかったようだ。

 そのあとは僕が本棚を、お嬢様が掛け時計を調べてみる。が、掛け時計の方は特に何も出なかったようだ。

「本棚からは……小説、が出てきましたね……」

 僕が本棚を調べてみると、一冊の小説が本棚から取り出せるようになった……のだが。

「どんなものなんですー?」

 お嬢様が僕の隣に来て手元を覗き込む。あ、ちょっ。

「えーっとなになに? 『ドMなお嬢様の飼い主になりました』。ふーん、ナカナカオモシロソウナタイトルデスネー」

「ちょっとお嬢様? 目が怖いですよ? それにその書籍は最後にヒロインのお嬢様が突然ドSに目覚めるという駄作でしたから、おススメしません」

「へぇ、読んだことあるんですかぁ?」

「ええ、まあ。執事として必要なことかと思いまして」

「嘘つかないでください、先輩の趣味でしょ絶対」

 ちょっとうさぎ? 普段の間延びした喋り方はどこに行ったの?

 いや、その怖い目つき止めて? この小説のお嬢様もそんな感じで怖くなっていったんだよ!

「先ほども申しました通り、駄作だったのですぐに古本屋に売ってしまいました」

「……どうりで先輩の本棚で見たことがないと……」

「ん? 何かおっしゃいましたか?」

 お嬢様がなにかつぶやいていたが、ボソボソ喋っていたからよく聞き取れなかった。

「なんでもありませんーっ。残るは机ですね」

 本棚の隣にある机も、先ほど動かなかった家具のひとつだ。ダブルタップをするとメッセージウィンドウが表示される。


【よくある机だ。引き出しも付いているみたいだ。

 ・調べる

 ・キャンセル】


 迷わず『調べる』を選択。すると引き出しが開くようになった。中には――

「け、拳銃……っ」

 お嬢様が僕の腕にしがみつく。

 引き出しの中にはオートマチック式の拳銃が入っていた。

 拳銃に手を伸ばすと、銃身はヒヤリとしていて、ずしりとした重みが手に伝わってくる。

 もしこの部屋が何らかのゲームなのだとしたら……。この拳銃がキーアイテムであることは言うまでもないだろう。



「これ、このあとどうすればいいんですかねぇ」

 テーブルに座ってキャベツをぽりぽりやっているお嬢様が退屈そうに言う。

 ちなみにさきほど3玉目のキャベツを食べ終え、今、4玉目を冷蔵庫から取ってきたところだ。

 あのあと、拳銃を入手したことでなにか変わっているかもしれないと思い、もう一度部屋の中を一通り調べたのだが、大して変わったところはなかった。

 せいぜい本棚から新たに『お嬢様、お次は鞭の時間です』が見つかったぐらいだ。これも以前読んだことがあるが、こっちはタイトル詐欺なんてことはなく、なかなか面白かった。

 壁掛け時計を見る。確か僕らが目覚めた時は0時ちょうど(それが昼か夜なのかは分からないが)だった。長針が――今まさに動いて、5の文字盤を指したので、今は25分が過ぎたところだ。

「あれ……?」

 ん?

 お嬢様の口から細く声が漏れたかと思ったら、お嬢様は突然立ち上がり、机の上に置いておいた拳銃ソレを取る。

「何をしてるんです? お嬢様?」

「わ、わからない、です……。か、身体が勝手に……」

 お嬢様は手に持った拳銃の銃口を僕に向け、

 バァン!

 このサイズの部屋には似つかわしくない音と共に、トンッと肩を押されたような衝撃が体を襲う。

 反射的に一歩後ずさる。お腹の辺りに小さな痛みがあって、そこをさすると手が真っ赤に染まった。

 あんまり……痛くない?

 拳銃に撃たれたことなんてないから、痛みのほどなんて分からないけど、今はせいぜい輪ゴム鉄砲でパチンとやられた程度しか痛くない。

 やっぱりこの世界はゲームの世界と言うことなのだろうか。

 でも、じゃあなんともないかというとそういうわけでもない。

 どうやら血はしっかり傷口から出ているようで、そのうち立っていられなくなり、視界も暗くなっていく。

 うさぎが必死に呼びかける声も少しずつ聞こえなくなってきた。

 なるほど、タイムリミットがあるのか……。

 さっきのうさぎの様子からどうもこの状況に錯乱したというわけではなく、体が勝手に動いているようだった。

 時計の針が動いた直後にうさぎは動き出したから、恐らく一定の時間が過ぎたら終わるようになっているのだろう。

 僕は薄れゆく意識の中でもう一度壁掛け時計を見た。

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