パターンA「女子高生、新妻アオの場合」

 漆黒と言っても過言では無い黒髪を、頭頂部の辺りでヘアゴムで結い、分厚い黒縁眼鏡をかける。


「私は普通、私は普通」


 まるで呪文の様であり、うわ言の様なそれを唱えればになる。


 いつからだっただろうか。自分に、自信が無くなったのは。


 たしか、友人だと思っていた子が裏で『アオはただの私の引き立て役よ』とか、『別に友達とか思ってないし』と、笑いながら言っていたのを見てしまった頃だったと記憶しているから、恐らくそれが原因なんだろう。


 そんな大げさに言う事でも無い気がしなくも無いが、それが私を壊したのは紛れも無い事実で。


 もうその子とは絶縁関係にあって今、どこで何をしているかさえも知らないし、知りたくもなかった。


 そう考える時点で、きっと私も彼女の事が嫌いだったんだろう。


 私はそれからというものの、目立つことを酷く嫌った。


 ああやって誰かに嫌われるのが、裏切られるのが、ただ怖かった。


「よお、新妻」


 それなのに高校で隣の席になったこいつ、斎藤カナタはいつも突っぱねる私に何度も何度も話しかけて来る。


「……おはよ」


 ただの性格の悪い女で居たくはないから、挨拶だけはいつも返しているけど、それでも諦めずに彼は話しかけて来る。


「なぁ、新妻ってドラマとか見てる?」


「見てない」


「じゃあ、好きな漫画とかは?」


「無いし、読まない」


『地味子の癖に生意気』っていつも言ってくる女たちもそのご要望通り、素っ気ない態度を取っているのに、彼女等の視線が私の身体に突き刺さる。


「ねぇ、カナタくん。そんな面白くない女と話してるより、私たちと話した方が面白いよ?」


 そう猫撫で声で、スマホを弄んでいる私と斎藤の間に割って入ってきたのは、私のクラスのスクールカースト上位にくい込むであろう、町宮ほたるだった。


『うげ、めんどくさいのが来たな……』と、内心毒づく。


 町宮ほたるの父親は所謂、財閥の社長。つまり、彼女は社長令嬢だ。


 まぁそんなものだから、彼女から気に入られようとする人間や、その向こう側に居るであろう彼女の父親の影に怯え、機嫌を取る人間も居る。


 そんなこといちいち気にするべきではない、なんて考える私もまだ子供だなぁ、とは思うが。


「んー、ごめん。俺、今新妻と話してるから」


 斎藤は空気も読まずに、そう言い切った。


 あぁ、そうだった。この斎藤カナタは、恐ろしい程のド天然だった。


 鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしたほたるは、斎藤に「あっ、そうか。そうだよね、ごめんね?」と言うと、彼から見えないように私を般若と表現してもいいほどの形相で睨みつけていた。


『可愛い顔が勿体ない 』とはこのことか、と内心納得していると、斎藤はまた私に向き直った。


「でさ。俺、最近面白い漫画見つけてさ?」


「……漫画読まない、って言った筈なんだけど?」


 顔や性格はまあいいのに、空気読めないのだけは残念だなぁ、と心の中で苦笑した。


 私、新妻アオは特筆するべきものを持ち合わせていない、ただの普通の人間だった。


 だからこそ友人だと思っていた子に、ただの引き立て役どうぐとして利用されたのだろう。


 だからと言って、斎藤がほたるを差し置いてまで、私を気にかけるのは甚だ疑問が残る。


 普通だったら、彼女の顔色を伺って媚びる筈なのに、だ。


 私はただその辺に転がっている小石や、生えている雑草のようなモブでいい。


 ただ、物語の主人公や、お姫様のような人間では無いと。


 その辺に転がっているようなモブがどう足掻いたって、ヒロインになれることは無いんだから。


 それだったら、私はモブで居たい。


 世界の喧騒に紛れ、その中で誰にも気付かれることなく、ひっそりと生きるモブでありたい、と。


 そんなことを願っても、祈っても、現実と言う存在は酷く残酷で。


「ねぇ、新妻さん。あんた、カナタくんに気に入れられてるからって、調子乗ってるんじゃないわよ」


 あぁ、神様。


 私が一体何をしたって言うんでしょうか?


 どうやらほたるは、斎藤を尽く突っぱねる私を目の敵にしたようだった。


 ただ、目立ちたくなかった。それだけのことだったのに、だ。


「調子なんて、乗ってないですよ。調子乗ってたら、普通喜んで話していると思いますが? 貴女方も、私が迷惑そうにしているの、分かっていますよね?」


 この言葉が恐らく、彼女の心の柔らかい部分を刺激してしまい、逆鱗に触れたのだろう。


 彼女が振り上げた手のひらが私の頬に振り下ろされ、甲高い殴打音が響き渡った。


 頬に走るのは電撃のような刺激と、痛み。


 彼女に叩かれたのだ、と理解するのにそんなには時間は掛からなかった。


「あんた、何様なの!? カナタくんに気に入られてるからって、お高く纏まってるんじゃないわよ!」


 今にも人を殺しそうな表情で、涙を流しながら叫ぶほたるに少しだけだが、同情してしまった。


 あぁ、そうか。この子は、斎藤を本気で好きなのか。


 なのか。


 好きな人が居ても、誰かに奪われてしまうかもしれない。いや、現に奪われかけている。


 私も例外ではなく、いつも好きになる人はあの子の隣に行ってしまう。


 あの子の場合は私への当てつけで、つまり私への嫌がらせで奪ってきた。


 この子は、あの子に酷く似ていた。


 そう思うと納得出来てしまうし、そういう見方ができてしまう私が、少しだけだが苦手だと思った。


「……町宮さん」


 私が名前を呼べば、彼女は私を睨む。


「別に、私は彼に気に入られようとしてるわけでは無いです。むしろ、私は目立つこと自体が嫌いですから」


『はぁ?』と、彼女はいきなり自分語りを始めた私に怪訝そうな声を出すが、私は無視して言葉を紡いだ。


「……私は、かつて親友と思っていた子に好きだった人を奪われました。それも、何回も何回も。私は自分を輝かせる引き立て役、的なことも言われました。自分に自信が持てなくなって、どうせ好きになってもあの子や、自分より可愛い子にみんな行ってしまうって思うようになりました。……それからなんです。それなら……。また傷つくくらいなら、ヒロインじゃなくて、その辺に咲く雑草のようなモブで居たいって思うようになったんですよ」


 ほたるは、ただ愕然としていた。


「だから、私はあえて人を好きにならないようにしてるんです。町宮さんは女の私から見ても可愛いんですから、自信を持ってください」


「……っ、何よそれ! 馬鹿にしてるの!?」


 彼女は今度は涙を流しながら、罵声を浴びせてきていた。


「勝手に自分語り始めたと思ったら、何!? それじゃあ、今までアンタを目の敵にしていた私が馬鹿みたいじゃない!?」


 あぁ、本当に人間関係って難しい。


 彼女を見ていると、過去の愚かだった私を見ているようで胸が締め付けられた。


 でも、それなのに。どうしてだろう。


 彼女がとてつもなく、輝いて見えた。私には、もう無い恋をしている輝き。


「何で、新妻が泣くのよ……」


「……っ、え?」


 ほたるに言われるまで、自分の頬を流れるそれに気がつくことが出来なかった。


 本音を言うと、本気で恋ができるほたるが羨ましかった。


 私は誰かに裏切られるのが怖くて、かつての親友だった彼女を言い訳りゆうにして、ずっと人を好きになる気持ちから逃げてきた。


「……町宮さんが。羨ましい」


 気がついたらそう口にしていて、言葉は塞き止められたダムが決壊するようにその口から溢れ出た。


「……信じたくても! 恋をしたいと思っても! 好きだと、思える人ができても……! ずっと、あの子が私を雁字搦めにしてくるのよ!」


 涙も、言葉も、留まることを知らずにただただ溢れ出た。


 今まで物静かだった私が、泣き叫ぶのを見てほたるは驚いていた。


「だって! 好きになる人はみんな、あの子を好きになるから! あの子が私を目の敵にしているのは分かってたよ!? でも、信じたかったよ! いつか変わってくれて、一緒に仲良くできる日が来るって信じてた! でも、ただの引き立て役の道具なんて言われたら、もうどうしようも無いじゃない! 信じたくても、信じられなくなるじゃない!」


 認めたくはないし、苦しいけど、言葉は止まらない。


 怪訝そうな顔をしていたほたるも、私の威圧に押されたのか、ただ黙っていた。


「町宮さんは、人を好きな気持ちをちゃんと持ててるから! モブで居たいだなんて、思わないでしょう!? 恋ができて、それを大切にできているんだから!」


「……っ、知ったような口聞いてるんじゃないわよ!」


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モブで居させてください!! 國井 楽 @rakukuni

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