魔王様の淡く解せない恋にもならないお話

ゆいレギナ

第一話

 

 

 

 

 今日も後ろには、吾輩の美貌に気絶した人間が山になっていた。

 我輩は魔王である。名前もある──が、人間には発音が難しいものらしい。


 今日も鼻血を流しながらも『お名前を……』と尋ねられたので、懇切丁寧に五十回ほど教えてやったが、ついに其奴は『貧乏……? でもこれだけイケメンなら何でもいい♡』と卒倒していった。誠に解せない話だが、これも文化の違いと言われれば仕方あるまい。


 ちなみによく『コスプレイヤー』なるものに間違えられるが、それも解せぬ話だ。吾輩は単にお気に入りの黒マントを着ているだけである。


 だから吾輩は、そんな些細なことは気にせず自販機の下に手を伸ばす。三十回に一回ほどは十円玉が落ちているからだ。クックックッ。これでまた一歩、魔族繁栄が確約されたものに――――


「魔王様ー。いい加減にそれやめましょうよー。貧乏臭いっすよー?」

「黙れ、下僕。金を無駄にするなど、魔族の恥だと何度言えばわかるんだ?」


 背中にランドセルという黒い革鞄を背負った少年が、我輩に苦言を呈してくる。見目は現代受けのする『正統派お坊ちゃん』そのものだが、その実は我輩の配下である淫魔王。我輩と共に、この日本という異世界に出稼ぎにきたのだ。


 それなのに、解せぬ話だ。なぜ我輩ともあろう魔王が配下に指図されねばならん。

 それに文句を言おうとした時、


「きゃっ」


 何者かが、四つん這いになっていた我輩の尻を蹴った。


「我輩の背後を狙う下劣な奴よ! 覚悟は出来ておろう――――」

「ごめんなさい……わたし、目が見えなくて……」


 振り向いた先には、白い杖と赤い人形を落とした少女があらぬ方へ土下座している姿があった。

 

 

 ◇

  

  

「本当に……すみませんでした……」

「お姉さん、大丈夫だよ! こんな所で這いつくばってたこの人が悪いんだから!」


 この人とは何だ下僕の分際で。

 その意図をこめて我輩が睨みつけると、下僕はわざとらしく視線を逸らす。


 しかし、ベンチに座らせた十代後半であろう少女はまたおかしな方を見上げながら何度も頭を下げる。しかも、片手には赤い野菜を模した人形を装着し、口をパクパクと動かしていた。


「本当に……ごめんなさい。あの、お怪我は……?」


 その目を閉じた人間の珍妙な行動に哀れみを覚えながらも、我輩は「問題ない」と答える。


「案ずるな。魔王であるこのビンボゥ・ムリダ・ノウキ・マニアワーンがあの程度で傷付くわけがなかろう」


 本当ならば、尻が少し痛い。多分これは五センチほど円形に超軽度の炎症が発生しているものの痣にはならない程度の怪我だろう。およそ三十分程度で怪我したことも忘れる程度の軽傷だ。


 だが、そんなことを責めて慰謝料をもらうための時間と労力と罪悪感を鑑みたら、寛大な優しさを見せつけて細やかな優越感に浸る方が十円くらいの価値はある。一回自販機の下を漁らずに済むとしたら、決して悪い話ではない。


「貧乏……さん?」

「違う。ビンボゥだ」

「ビンボー……?」

「違う! ビンボゥ‼ だ」


 我輩がわかりやすく口を海神オクトパスのようにして発音を教授してやると、人形もパカーッと口を開いているが、彼女自身もその口を真似て「びんぼぅ!」と叫ぶ。うむ。発音も顔も悪くはない。鎖骨まで伸びた艷やかな髪の毛も清潔感があるし、尖らせた桜色の唇もすごく美味しそうだ。


「……可愛い」

「魔王様、お顔がえっちぃです」


 耳打ちされた言葉を咳払いで相殺し、吾輩は少女へと吐き捨てた。


「もういい! 吾輩が許すと言っているうちに立ち去れ!」

「で、ですがお詫びを……」

「解せぬ! 吾輩が立ち去れと言ったら早々に去るがいい!」


 ここまで言って、ようやく彼女はベンチから立ち上がる。


「これはほんの気持ちです! 申し訳ありませんでした!」


 口早に人形をバタバタと動かしたかと思えば、彼女はカバンの中から何かを取り出し、無理やり吾輩に押し付けて去っていく。その背中もフラフラして危なかっしいが、吾輩は受け取ったものへの驚愕でそれどころではなかった。


「これは……」

「分厚いですね」


 その厚み三センチ。なかなかお目に書かれれない一万円様のご尊顔の数に、吾輩と下僕は目を見合わせるしか出来なかったのだ。



 ◇


 

「――というわけで、この金の対価として、吾輩は彼女にデートを申し込もうと思う」

「いや、何が『というわけ』なのか、全然わからないのですが」


 六畳一間の我が家に帰り、とりあえずいつもの内職に勤しむ。もう造花の仕事など見ずとも出来るようになったので、視線はしかと下僕の呆れ顔に向けていた。


「だから説明しただろう? たった五センチ程度の痣で百万円貰うのは対価として不釣り合いであるから、その差を埋めるために吾輩がデートをしてやろうと――――」

「それ、単純に魔王様がデートしたいだけですよね」


 解せぬ。下僕はまるでわかっていない。

 何事も等価交換が原則だ。それは吾輩たちの魔族の根源である魔法も然り。何かを得るために、同等の何かを消費する。だからこそ、吾輩は我が魔界の発展と安寧のために、今もこうして内職に勤しんでいて――――


「いやいやいや魔王様。それは単に我が国が財政難なだけでしょう? 地球の最低賃金が魔界の何十倍もいいから、出稼ぎに来ているだけじゃないですか」

「……いいや違う。吾輩の十秒で一輪完成させる徒労と今日のノルマ千本にかかる時間こそが、明日の魔界の平和にするという魔法の対価として時空超常学理論に基づき平方処理されて防衛陣の左斜め上の円のココの赤い――――」

「あーもういいです。そういうことでいいですから……でも、デートに誘おうにも、名前も住所も何もわからない相手ですよ? どうやって探すんですか?」


 下僕のあまりに低次元な質問に、吾輩は思わず明日の平和のための手を止めてしまう。


「そんなもの、吾輩と貴様で聞き込みすれば造作もないだろう」

「へ?」

「我らの美貌にひれ伏さない人間がいると思っているのか? そんな下らん質問するくらいなら、貴様も手を動かせ。貴様の不器用さでも防衛陣の右斜下のココの点のソコくらいにはなるだろう」

「まじっすか……」

 

 

 ◇ 

 

  

 そんなわけで三日後。


「いやぁ、本当に見つけられるとは」

「吾輩が本気を出せば、造作もない」


 吾輩の美貌に当てられた人間の数、五百四十三人。ちょっと気絶した人の数にニュースになりかけたが、そこは吾輩の望みの対価として、致し方ないだろう。


「ほら、望みって。やっぱりただ魔王様がデートしたいだけじゃないですか」

「貴様。吾輩の心を読むなと何度言えばわかるんだ?」

「魔王様は寛大な御方ですから。こんな些細なことは気にしないでしょう?」

「…………ふん」


 目の前には我が魔王城の城門を七十四%ほど縮小した門。まぁ、人間界においては十分立派な白亜の家だが、その呼び出しベルのボタンを吾輩はそっと押す。


「魔王様、頑張ってください!」

「言われるまでもない」


 待つこと三秒と半コンマ。『はい、どちら様でしょう?』という声に、吾輩は応える。


「吾輩はビンボゥ・ムリダ・ノウ――――」

『貧乏? 寄付は全てお断りしておりますので』


 ガシャンと断ち切られたような音の後、何度ベルを鳴らそうとも、再び返ってくる言葉はなかった。


 解せぬ。

  

 

  ◇

  

  

 魔王である吾輩が、どうして人間のルールに縛られねばなるまいか。


「魔王様。空からでもれっきとした不法侵入ですよー」

「吾輩が守れぬ法律を作る奴が悪い」


 魔王たるもの、空くらい飛べんでどうするということで、空から会いに行くことにした。無論、余計な騒ぎにならないように時間帯は夜を選ぶ。解せないのが、下僕を抱えて連れて行かねばならない点。『僕を絶対連れて行った方がいいです! 魔王様お一人では心配です‼』と熱弁されては、臣下の気持ちを汲むというのも、王たる配慮だろう。

 

「いいですか。もしもあの人が入浴中だったり、着替えの最中だったら終わるまで素知らぬ振りして待つんですよ! 『きゃーメガネさんのえっちぃ!』なんてコメディする上司なんて嫌ですからね!」

「……余計な手間が省けて良いではないか」

「あああああああああ! 官能は僕の専売特許ですから手を出さないでくださいいいい!」


 一体下僕が何をこだわっているのかは知らぬが、そんな戯言を聞いている内に、目的の人物はアッサリ見つかった。目を閉じたまま、ぼんやりと窓辺に座っているではないか。


「もしや、吾輩を待っていたのではあるまいな?」

「その声は……貧乏さんですか?」

「違う。ビンボゥ、だ!」

「ゥ?」

「そうだ。ゥ、だ」


 膝に乗せていた例の人形をパクパクと動かしながらも、本人も相変わらず無邪気に唇を尖らして。そうか、そっちもその気なら遠慮なくいただこう――――


「デート! 魔王様、デートのお誘いに来たんでしょう⁉」

「……何か面倒になってきてな」

「怠慢しないで下さい等価交換という大義名分はどこ行ったんですか」

「大義名分ではない。この世の原理だ」

「はい、じゃあ頑張って健全に原理を守りましょうね~」


 なぜ吾輩が下僕に諭されねばならないのか、全くもって解せぬ話だが、如何にも「待ってますよ」と求心的にその細い首を傾げられたら、応じてやるのも魔王たる宿命。


「こほん……せ、先日、怪我に不釣り合いは詫びをい、いい……ただいてしまいました代わりに――」

「魔王様、頑張ってください!」

「吾輩と……でで、デートをしてくだしゃい!」


 一秒。二秒。三秒。

 彼女がクスクスと笑い出す。


「気にしないで下さい。お金なんて、私にとって価値のない……いらない物ですから」

 

 

 ◇

 

 

「解せぬ。どうして吾輩が、人間如きに失恋せねばならぬのだ」

「解せないのは僕の方です。どうしてアッサリと帰って来ちゃったんですか」


 赤い花びらが一枚。二枚。三枚。四枚。

 好き。嫌い。好き。嫌いとくっつけていく。その速度は毎秒三枚のローペース。

 

 どうしてと言われても、原則が成り立たないのなら仕方ないではないか。

 彼女にとって金が価値のないものならば、吾輩が貰った詫びも価値がないということ。つまりは、吾輩に負わせた怪我も彼女にとっては価値がなく、突き詰めれば、吾輩との出会いも彼女にとっては価値がないのだ。


「魔王様、勘弁して下さい。ヤンデレ狙っているのかもしれませんが、魔王様にそんな高尚なデレが出来るとは思えません」

「だから吾輩の心を読むなと言っているだろう」

「魔王様は魔力が高いゆえに色々とダダ漏れなんですから諦めて下さい。僕も内職手伝いますから」


 と、下僕風情が一枚に三秒もかけて、造花に花びらをつけていく。

 その遅さに何も思わないわけではないが、気持ちだけでも受け取ってやろうと寛大にも何も指摘せず、吾輩も指を動かし続ける。


 すると、下僕はさらにペースを一枚四秒に落として話しかけてきた。


「しかし魔王様? あの娘のどこがそんなに良かったんですか?」

「…………質問の意図を述べよ」

「そんなテスト問題みたいに訊かないでも……まぁ悪いとは言わないですけど、特別可愛いわけでもないし、潜在的に魔力が云々とかもないじゃないですか。ただの盲目の娘のどこがそんなに気に入ったんです? それにぶっちゃけ、パペット越しで喋る人間なんかどう考えても普通じゃないですよ?」


 敢えてどこが――その質問に、吾輩は「解せぬ」としか言いようがなかった。するとやっぱり、下僕は「なんで?」と怪訝に眉をしかめる。


「人間の女と遊びたいだけなら、魔王様なら選びたい放題でしょう? 三歩あるけば入れ食いなんですから」

「……そこらの見た目で寄ってくるだけの人間に興味はない」

「あ、盲目フェチってやつですか? 魔王様の美貌関係なしに対応してくれるからとか?」

「人間のハンデ如きに良いも悪いも何とも思わぬ。ただ……」

「ただ?」


 吾輩の口がまごついたのは、口の中が異様に乾いたからだ。これは水を飲まねば。硬度六十ミリグラム程度の水を摂取せねば。


「『ゥ!』て口が……可愛かったろうが……」


 その乾きに我慢して言ってやったにも関わらず、下僕は腹を抱えて笑い出す。


「そんなにツボだったんですね! そっかぁ。あーいうのが好みなのかぁ……なるほどねぇ」

「…………解せぬ」


 どうして魔王である吾輩が、下僕如きに辱められねばならぬ。

 

 

 ◇

 

  

 ――というわけで、この屈辱を晴らしに来た。


「貴様、吾輩に惚れろ」

「それは難しいですね」


 明くる日の晩に再びオクトパスな彼女の元へ訪れてやったにも関わらず、彼女は吾輩の申し出に一刀両断食らわせてきた。きっと、此奴は勇者の子孫に違いあるまい。


「なぜだ。貴様が吾輩に惚れれば、百万円の件も吾輩を買った代金として丸く収まり、両思いのハッピーエンドだというのに」

「仮にも貴方様・・・が、人買いエンドというのは如何なものなのでしょう?」


 今日も吾輩に抱っこされている下僕などはさておいて、吾輩は今日も深窓の令嬢をしている彼女に向き直る。


「貴様は吾輩の何が不服なんだ?」


 すると、彼女はまた「うーん」と口を尖らせてから(可愛い)、人形をパクパクと動かす。


「わたし、トマコちゃんいないとお話出来ませんし」

「トマコちゃんはその人形の名前か?」

「うん、トマコちゃん。ね? 人形に頼らないと話せない人なんて、気持ち悪いでしょう?」

「案ずるな。偏屈度合いでいえば、吾輩も大差ない」


 下僕が「うわ、この人自覚あったんだ」なんて驚いていることが誠に解せぬが、今は下僕の相手をしている暇はない。


 彼女は目を閉じたまま、トマコちゃんなる人形を撫でている。夜風に揺れて、肩に付いている髪がサラサラと靡いていた。


「貴様はここで何をしているのだ?」

「うーん。ここがお家だから、何をしていると言われても……」


 そう暫し考えてから、彼女自身が小さく笑った。


「『黒』をね、見てたんですよ」

 

 

 ◇

 

 

 なるほど。サッパリわからん。


「というわけで、彼女のことを調べようと思う」

「どうせ僕に拒否権がないのは今更なんですけどね?」


 内職は今までありとあらゆる種類をこなしてきたが、一番性に合っていたのが造花づくりだった。別に他の作業が出来ないわけではない。むしろ出来すぎた。だからこそ、一番苦手な造花づくりに励むことにしたのだ。


「もう手を引いた方がいいと思うんですよ。あーいう感じの不思議ちゃんが好きなら、いくらでも探してきてあげますから」

「貴様のお下がりなどで、どうして吾輩が遊ばねばならぬ」

「……彼女も遊びなんですか?」


 下僕はいつも内職にやる気がない。本気を出せば、もっと二秒に一枚は接着することが出来るくらいの実力はあるはずなのに、いつも三秒に一枚だ。


 なぜ手を抜くのか、吾輩には誠に解せぬ話だが……まぁ、そんな奴にはわかるまい。


「……ここで引いたら、魔王が廃るだろう?」

「いや、そんな無駄な意地張らなくても、誰も責めないから大丈夫ですよ? むしろ、変な女に捕まらなくて良かったとみんな安心すると思います」

「ふむ」


 手が止まっている。下僕の手が止まっているが一秒、二秒と増えるたびに一銭、二銭、と我々魔王軍の栄光が遠のいていくことに気が急いてしまうが、その損失をグッと堪える器の広さをたまには示さねば、誰も付いては来ぬ。


「一度でも好いた女には、幸せになって貰いたいではないか」

「魔王様……」


 吾輩の崇高なる思想に感銘を受けてくれるのは当然ではあるが、手は休めるな。吾輩だってたまには一秒に二枚程度の怠慢したいと思う時もあるのだ。


 特に、考え事をしたい時には。

 

 

 ◇

 

 

 そうして、吾輩の後ろに出来るのは卒倒した人間どもの山。

 仕方なかろう、話しかけるだけで悩殺し、視線が合うだけで卒倒してしまうのだから。軟弱な人間がいけない。弱ければ何でも許されるわけではないのだ。


「というわけで、ここ三日の調査をまとめますと」


 吾輩は自販機の下を漁っていた。人間の話を聞きすぎて疲れたのだ。あぁ、なんて苦痛な時間だったことか。突き抜けた好意を受けたとはいえ、話すたび話すたびに気絶されれば、こちらも罪悪感を抱いてしまうというもの。その点、無機物は素晴らしい。いくら構っても、微動だにしないこの逞しさ。あげくに小銭というラッキースケベ的な嬉しい驚きまで提供してくれるのだから、天使か自販機コノヤロー。


「……大丈夫ですか、魔王様?」

「あぁ、何も心配ない」

「常に僕は心配しかしていませんが……」


 そんな解せない前置きから紡がれる情報を、吾輩は腕を伸ばしながら聞く。


「やっぱりあの人、ものすごいお金持ちの御令嬢で……小さい頃に、母親を亡くしているらしいです」


 それは、交通事故だったという。娘を庇って車に轢かれ、帰らぬ人となった。彼女の代わりに話す『トマコちゃん』は、亡き母の形見だとか。トマト嫌いの娘のために手作りされたものらしい。元から人見知りの激しい少女だった彼女は、より一層心を閉ざし、人形に縋るようになったとか。


「そして何の因果か、あの人自身も三ヶ月ほど前に、事故に遭ったようです」


 彼女の命は助かった。だけど代わりに、彼女は視力を失ったということ。


「つまり、たまに変な方向を向くのは、まだ盲目に慣れていないということか」

「きっとそんな感じでしょうね」

「ふむ」


 吾輩の指先が十円玉の端に触れた時、下僕の軽快な声が降ってくる。


「けど、これで口説き方は決まりましたね」

「……そうか?」

「そうですよ! 目を治してあげれば、感謝でイチコロじゃないですか!」


 しかし「ついでに百万円の恩義もお釣りが来ますね」と浮かれる下僕は気付かない。

 吾輩の狙っていた十円玉は掴めるどころか、むしろ遠くへ行ってしまったということに。

 

 

 ◇

 

 

「吾輩なら目を治してやることも出来るが?」

「結構です」


 その日の夜。この問答は、すでに三回目だった。

 下僕の助言を元に吾輩が下手に出てやっているというのに、彼女は一向に首を縦に振らない。


 吾輩は魔王であるからして心は広い――が、暇ではないのだ。


「これ以上不毛な問答で三百六十円を無駄にするのも馬鹿らしい」

「単価十円、五秒で一本と計算したとしても、三分以上かけるつもりがないということですね」


 吾輩は喧しい下僕を容赦なく離す。


「え?」

「邪魔だ」


 庭に墜落し、下僕が騒ぎ出した犬に尻を噛まれていることに構わず、吾輩は空いた手で彼女を抱える。咄嗟のことに、彼女は『トマコちゃん』を部屋に中に落としてしまっていた。


「え? えぇ⁉」

「舌を噛まぬようにな」


 そして、浮上した。高く、高く。今日はちょうど満月の夜だった。空に雲ひとつなく、遮るものがない月は誠に美しい。しかし現代の性か、星の光は年々数を減らしてしまっているのが少々残念だが……代わりに見下ろせば、街の明かりが星のように瞬いていた。色鮮やかな輝きの中に走るのは、車のテールランプか。さらに目を凝らせば、彼女の言う『黒』が見える。


「ほら、見てみろ! 人間が虫けらのように見えるぞ!」

「……本当だ」


 上を見て、下を見て。丸い目をキョロキョロとしている彼女に、吾輩は思わず苦笑する。


「やはり、目を見えているではないか」

「……嘘を吐いたから、わたしは地獄行きですか?」


 そう聞き返す彼女もまた、小さく苦笑していた。


「出来ればお母さんのいる天国が良かったけど……どこでもいいです。わたしを早く、この世ではないどこかへ連れて行ってください」


 まったく、彼女は何度我輩を驚かせてくれるのやら。

 その感傷に吾輩は名前を付けることなく、事実のみを口にする。


「まったくもって解せぬ勘違いをしてくれるな」

「え?」

「吾輩は死神などではない。魔王だ」


 ただ出稼ぎに来ているだけの、現代の常識とは異なる世界に生きる存在。

 そんな吾輩が、人の生死に関与する謂れはない。だけど関係ないからこそ、余計なことを言いたくなる時もある。


「人間はとても脆弱な生き物だ。しかも愚かだ。見た目の影響を受けすぎる。吾輩の見た目が美しいからと言っても、何でもいい訳がなかろう。結局、貧乏なら逃げていくだろうが」

「……女の人が?」

「違う。心が貧乏なら、幸せが逃げていくという話だ」


 彼女が、どんな過去を味わったかなんて知らない。人が黒く見えてしまうような経験が、どれほどツライものか吾輩にはわからないし、まったくもって吾輩には関係のない話だ。


 だからこそ、勝手に言えることもある。


「目を開け! 前を見ろ! こんなちっぽけな存在に何を言われた所で、全てどうでもいいだろうが。金に価値などなくても、それを手にするための努力や労力の価値までも、貴様は否定するのか? たったの十円であったとしても、己の苦労や努力した上で手にしたものであれば、それだけで尊いものにならないのか?」


 ただが十円。されど十円。

 吾輩の労働で、我が大切な者たちが幸せになるのなら。誰かの心が豊かになるのなら。


「吾輩は拾うぞ。どんな泥に塗れた小銭だろうと、吾輩が価値のあるものにしてみせる」


 すると、彼女の腕が吾輩にギュッと抱きつき、


「綺麗ですね」

「それは景色か? 吾輩か?」

「両方です。ついでにいい匂いがします」

「そうか、それは良かったな」

「……はい」


 彼女はクスクスと楽しそうに笑っていた。その顔が可愛かったなどと、吾輩は思っていないのだ。

 だから、彼女を部屋まで送り届け、


「素敵なデート、ありがとうございました」

「ふん。一夜の夢だ。貴様は忘れる」

「え?」

「魔法には、対価が必要だからな」


 この時の残念そうな顔に、吾輩の胸はチクリと痛んだのは、まったくもって解せぬ話。


「だが、これだけは覚えておけ――貴様は美しい。魔王が惚れたほどの女だ。二度とその目を隠すことなど、吾輩が許さん!」


 それでも、吾輩は魔王。為すべきこと、告げるべきことに変わりはないのだけれども。

 

 

 ◇

 

 

「魔王様。どうして今回は、彼女の記憶を対価にしたんですか? いつもみたいにお金を対価にすればいいじゃないですか」

「あれは、吾輩の魔法ではない。彼女の悩みから解消されたいという願いが魔法となっただけだからして、彼女が対価を払わねば辻褄が合わないだろう。吾輩はただ同行しただけにすぎん」

「屁理屈すぎて、魔王様がただの根性なしに思えてきました」


 いつもなら「解せぬ」と文句の一つも言いたいところだが、ちょうどその時、吾輩の右手は自販機下の十円玉に手が届いた時だった。


「下僕よ! これで魔王城三階の広間に設置してある魔法陣の三本目の横のあそこは無事に確保出来たぞ!」

「あ。ほらほら、魔王様」


 吾輩が顔を上げた時、自然と下僕が指した方を見ると、カバンに『トマコちゃん』を入れた少女が、犬の散歩をしている所だった。もちろん、彼女の双眼は開かれており、足取りもしっかりしたものだ。


「あの犬っころに聞いたんですけどね、彼女、御令嬢としてしか見てもらえない自分に嫌気が差していたらしいです。母親が亡くなった分、求められることが多かったんですかねー。個性を押しつぶされて、どんどん自分の殻に閉じ籠もっていったらしいですよ」

「ほう……犬も誑かすとは、さすがは淫魔王。尻はもう痛まないのか?」

「誰のせいですか」


 下僕の半眼などに吾輩が微動だにするはずはないが、吾輩は敢えて投げ捨てる。すると十円玉が、彼女の前に転がって。ふと足を止めた彼女がそれを拾うと、小さく笑ってポケットに入れていた。


「魔王様のロマンチストめ」


 吾輩の何を読み取ったかは知らんが、下僕のニヤリと上がった口角に吾輩は一言しか返さない。


「解せぬ」

 

 

 

 

《魔王様の淡く解せない恋にもならないお話 完》

  

  

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