第188話 神天の白騎士

 松岡に隷属させられてからの生活は舜にとって地獄そのものだった。また昔のようにありとあらゆる虐待を受ける事を覚悟していた舜だったが、現実はその斜め上を行った。



 『対談』が終わった後、城の中庭のような場所に連れて行かれ、そこで黒光りする金属で出来た細い首輪のような物を嵌められた。それはキュッと音を立てて締まり、舜がどれ程外そうとしても首にピッタリと嵌って外れなかった。


「ぐ……こ、これは一体……?」


「そいつは俺の呪縛を込めた特製品でな。そいつを嵌められると魔力の放出を抑えられなくなる。まあ簡単に言えば、お前はその女の姿から元には戻れなくなるって事だ」


「……え?」


「へへ、俺は梅木の奴とは違うからな。折角すこぶるイイ女になってんだから、どうせヤる・・ならそっちのがいいに決まってんだろ?」


「な……!?」


 舜の全身を一瞬にして怖気が走る。一番最初にこの姿になった時に、吉川から好色な目で見られた事を思い出した。



(そ、そんな……絶対に嫌だ!)



 舜は慌てて変身を解除しようとするが、魔力の発散を上手く抑えられない。


「あ、あれ?」


 戸惑う舜に松岡が嘲るように笑う。


「たった今言ったばっかじゃねぇか。その首輪が外れない限りお前は男には戻れねぇんだよ」


「あ……そ、そんな……」


 慄いたように後退る舜。松岡が下卑た笑みを浮かべて近付いてくる。


「へ、良い顔じゃねぇか、シュンよぉ。ただ殺すだけなんて芸がないよな。恨みを晴らすのと楽しみと……これぞ一石二鳥って奴だよなぁ?」


「……ッ!」


 舜は自らの防衛本能、そして危なくなったら同盟などどうでもよいというルチアの言葉に後押しされて、一時的に松岡への恐怖を忘れ去った。



「く……来るなぁぁぁぁっ!!!」



 舜を中心にして周囲の空気が一瞬で冷やされる。と同時にあらゆる物を凍てつかせる死の吹雪が吹き荒れた。


 氷嵐の魔法だ。


 神化種となっている今の舜の魔力で放たれたそれは、広い城の中庭を完全に吹雪で覆い隠し、木も土も石壁も……全てを瞬時に凍り付かせた。


 舜は結果を見届けることなく、翼を広げて空へと舞い上がった。あれで松岡が倒せるとは最初から思っていない。視界を封じ、僅かでも時間を稼ぐのが目的だ。


 松岡は吉川や金城とは違って、飛行能力は無さそうだ。こうして空に飛び上がってしまえば、少なくとも逃走を妨げられる事はないはずだ。


 だが……



「――――ッ!?」


 中庭の中心で……自分が起こした猛吹雪のドームの中で、途轍もない程の魔力が噴き上がった。それは神化種となった舜が思わず何事かと振り向いてしまう程の凄まじい魔力であった。


 吹雪の壁を突き破って、何か・・が上空に向かって高速で飛び出してきた。


(何……!?)


 それは猛スピードで舜に向かって突っ込んで来たので、慌てて横に逸れて躱す。するとその物体は翼をはためかせて・・・・・・・・、舜の目の前で急停止した。


「――おいおい、交際のお断りにしちゃ随分手荒い返事の仕方だな。流石に少し傷付いたぜ?」 

     

「あ……な……」




 ――舜の目の前に異形の騎士・・・・・がいた。




 3メートル近い体躯を白く輝く全身甲冑フルプレートで覆い尽くし、その顔や頭も僅かにバイザーが備わっているだけの鎧と同色のヘルムに覆われ素顔を見通す事は出来ない。


 そして何よりその騎士を特徴づけるのは、背中から生えた3対計6枚・・・・・の純白の大きな翼だ。それはある種の神々しさすら伴っており、光り輝く甲冑と相まってまさしく聖なる『神の騎士』と呼ぶに相応しい異形・・であった。


 黒光りする甲冑を身に纏った妖艶な堕天使姿の舜とは、ある意味で対極的な姿だ。


 だが……


「どうした? 俺のこのイカした姿に痺れて声も出せねぇか?」

「ま……松岡……?」


 その威風堂々たる神騎士の兜の奥から発せられたのは、舜が聞き慣れた松岡の下卑た声であった。その余りのギャップに、舜は解っていながら思わず確かめるように呟いてしまう。


「当たり前だろ。他に何だと思うんだ?」


「そ、その姿……それにこの魔力。ま、まさか、それがお前の……?」



「へ……そういう事だ。これが俺の〈神化種ディヤウス〉としての姿……【ミカエル】っつーらしいぜ?」



「ミ、【ミカエル】……」



 神話に詳しくない舜でも名前だけは聞いたことがあった。確か最上級の天使の名前だったはずだ。今肌で感じているこの魔力と圧力からしても、それは決して名前負けしていないだろう事は容易に想像が付く。


 またこれまでの神化種は皆程度の差はあっても、舜とは比較にならない巨大なサイズであるのが普通だった。だが目の前の松岡は、勿論舜よりは巨体であるものの人間大といって良いサイズであり、自らと近いサイズの神化種と相対するのは初めてであった。


「お前をこのままむざむざ逃がす訳がねぇだろ? 俺のお前に対する復讐・・は、まさにこれからだってのによ」


「く……!」


 最初に弾丸のように飛び出したスピードからしても、このまま飛んで逃げ切る事は不可能に近い。ならば……



(……やるしかない!)



 舜は意を決すると魔力を限界まで高める。同時に右手に魔力のサーベルを作り出す。


「……ほぉ。反抗しようってのか? 面白れぇ。ロキ様から殺すなとは言われてるが、自衛・・なら問題な――」


「――ふっ!!」


 松岡がベラベラ喋っている内に強化魔法を全開にして一瞬の内に接近。兜と鎧の隙間に切っ先を突き入れようとする。しかし……


「――おい、最後まで喋らせろよ」

「ッ!?」


 鋭い金属音と共に舜のサーベルが弾かれる。松岡の右手にはいつの間にか大振りの西洋剣が握られていた。その剣もまた光り輝く神々しさに満ちていた。


 フラカニャーナの扱う大剣とほぼ同じ大きさの肉厚の剣だが、今の松岡の体格だと比率的には片手剣と同様だ。あれ程の大きな武器でありながら、一体いつ作り出し、そして舜の攻撃を防いだのか……。


 その動きが、今の舜の感覚をもってしても捉えられなかったという事実に戦慄した。


「……!」


 だが怯む訳には行かない。松岡に攻撃の隙を与えたらかなりまずい事になりそうだという予感のある舜は、息をも吐かせぬ連続攻撃で攻め立てる。攻撃こそ最大の防御だ。


「――ぉぉぉぉぉぉっ!!!」


 威勢を上げてサーベルによる連続突きを放つ。神化種となった今の舜が強化魔法を全開にして放つそれは、自身の超感覚ですら追いきれないスピードで、動体視力に優れた者が見たとしても、本当に分裂しているとしか思えない程の圧倒的な速さであった。


 しかしそんな文字通り神速の突きを放つ舜は、突きを放つ度に焦りが増大していく感覚を味わっていた。


(そんな、嘘だろ……!)


 松岡はあの大振りな剣で、その神速の突きに軽々と対応していた。それはまるで肩から先が消えていると錯覚してしまう程だった。


「は……はは……! いいぜ、シュン! 中々の速さじゃねぇか! 流石は神化種だな。ま、それでも俺には及ばねぇようだがな!」


「……ッ!」


 舜の突きを防ぎながら、しかも喋る余裕まであるようだ。舜の表情が増々焦燥に彩られる。


「さて、んじゃそろそろこっちから行くぜ?」

「……!」


 今まで使っていなかった・・・・・・・・松岡の左腕が消えた。


「――ぐ、ぶ!」


 同時に腹に凄まじい衝撃を受けた舜が、身体をくの字に折り曲げながら後方へ吹き飛ぶ。


「く……!」


 何とか翼をはためかせて制動を掛けた舜は急いで体勢を整える。何故か松岡は追撃してこなかった。



 松岡の左腕に盾が装着されていた。手に持つのではなく籠手に取り付けるタイプの盾だ。やはり光り輝く精緻な紋様の施されたデザインで、本来は大楯といっても差し支えないサイズだ。だが右手の剣と同じく今の松岡が持っていると、取り回しの軽い小盾のように見えてしまう。


 盾の先端は拳より長く突き出ており、あれで殴られたようだ。右手の剣と左手の盾。それは奇しくもあのレベッカと同じ戦闘スタイルであった。


「へへ、神化種になって、ましてやこの剣と盾を使って戦う相手なんて今までいなかったからな。存分に楽しませてもらうぜ?」


「……ッ!?」


 喋り終わるのと同時に松岡が目の前に出現した・・・・。いや、神化種となった今の舜でさえそう錯覚してしまう程の速さで、一瞬にして距離を詰められたのだ。


 舜はほぼ無意識の防衛本能でサーベルを頭上に掲げる。直後にサーベル越しに凄まじい衝撃が伝播し、腕が痺れ身体がふらつく。松岡の剣撃を間一髪で防いだのだ、と舜が理解する前に、


「がはっ!」


 再び腹部に衝撃。盾の先端で殴られたようだ。やはりレベッカと同じ戦い方だ。ただしその威力、スピード共に比較するのも愚かしい程の隔たりがあるが。



 再度吹き飛ばされる舜。松岡が今度は追撃してきた。だが舜もやられたままではいられない。何とか戦いの主導権を握るべく、吹き飛ばされながらも魔力を練り上げていた。


 そして追撃で真っ直ぐ突っ込んでくる松岡に向けて、特大の電撃の魔法を放った。神化種の魔力で放たれた電撃は、自然の落雷にも勝る、あらゆる生物を一瞬で感電死させる死の雷だ。


 さしもの松岡も凄まじいスピードで追撃中に、これを躱したり結界で防御する余裕はない。舜の放った電撃が松岡に直撃した!


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