第134話 女達の死闘
「ぬぅんっ!」
フラカニャーナの振るった剛剣を赤い鱗の魚人が半歩下がって躱す。赤魚人は手に長槍を持っていたが、フラカニャーナと真正面から打ち合うのは避けるようだ。そこに……
「ちぃっ!」
巨大な光球の魔法が飛んでくる。フラカニャーナは咄嗟に大剣を縦に構えて、障壁を全開にして光球を受け止める。
「ぐおおぉぉっ!?」
その衝撃波の凄まじさにフラカニャーナは大きくよろめく。全身を棍棒で強打されたような激痛が彼女を襲う。障壁で防いでこれだ。まともに喰らっていたら全身の骨が砕けていただろう。先程の青蟹人の魔法より強力だ。フラカニャーナが光球が飛んできた方に目線を向けると、真っ青な貝殻を背負った貝人がいた。どうやら〈僧侶〉のようだ。
フラカニャーナの目が逸れたのを見計らって赤魚人が長槍で牽制してくる。全身の痛みを押し殺して迎撃するが、そうするとまた赤魚人は後ろに下がってしまう。
(ちっ! あたしを釘付けにして、あの貝の魔法で削ろうって訳かい!? だったら――――)
このままでは敵の術中に嵌ったまま抜け出せなくなる。そうなれば嬲り殺されるだけだ。彼女は一瞬で決断して行動に出た。
「ちぇりゃぁぁっ!!」
ダンッ! と地面を蹴って自らの身長程に大きくジャンプすると、目の前の赤魚人に飛び掛かった! 人間とは思えない跳躍力を見せたフラカニャーナに、赤魚人は一瞬虚を突かれた。上空から大上段に振り下ろされる大剣を咄嗟に長槍で受け止めようとした。結果から言えばそれは悪手だった。
何と神術を纏ったフラカニャーナの剛剣は、魔力の武器ごと赤魚人の身体を胴体の中程まで断ち割った。固い甲殻に続いて魔力の武器まで断ち割る……最早それは人間とは言えないレベルであったかも知れない。
そして彼女はそのまま動きを止めずに、赤魚人の死体を
慌てたのは青貝人だ。何せ仲間を一太刀で仕留めた化け物が、死体を盾に猛烈な勢いで迫ってくるのである。青貝人は後方に下がりながら巨大な火球の魔法を放つ。
フラカニャーナは赤魚人の死体を前に突き出したまま強引に突っ込む。魔法が死体と接触し、轟音と共に爆炎をまき散らす。死体は一撃で消し炭になった。障壁無しで喰らっていたら自分もああなっていたと思うとゾッとしない。だがお陰で大分距離は稼げた。敵も後退しているが、魔法を放ちながらではそのスピードは遅い。
青貝人の周囲に3つの水弾が形成される。数も大きさも先程の青蟹人のそれより上だ。そして恐らくは威力も……
(上等だよっ!)
フラカニャーナはスピードを上げて正面から突っ込む。余計な小細工は無しだ。受け止める。そして耐えきる。それだけだ。
巨大水弾が高速でフラカニャーナに打ち込まれる!
「ぬぅあああぁぁぁぁぁぁっ!!」
一発一発が、彼女が過去にも体験した事のない程の威力だ。凄まじい衝撃に吐血する。どうやら内臓がやられたようだ。更に息を吸うのも苦しくなる。肋骨が折れたらしい。だから何だ? そんなものは関係ない。とにかく自分は前に進むのだ。
そんな彼女に最後の水弾が炸裂する。
「……ッぁ!!」
まるで全身の骨が砕けたかと思うような途轍もない激痛に意識が飛びかける。だが歯を食いしばってそれに耐える。余りにも強く噛み過ぎて口が切れて血が滲む。まさに満身創痍だ。だが……
「ソ、ソンナ馬鹿ナァ!?」
青貝人の驚愕する声を聞きながら、フラカニャーナは半ば朦朧とした意識のまま殆ど条件反射で剣を振りかぶり……貝殻ごと青貝人の脳天を叩き割った!
その結果を見届ける事無く、フラカニャーナもまた意識を失い地面に突っ伏すのであった。
****
ハルバートと三叉槍。二つの長柄が幾度となく交錯する。イエヴァの相手は赤魚人ともう1人、やはり青い甲殻の海老人であった。赤魚人は〈商人〉で槍を得意としているらしく、イエヴァと拮抗していた。その隙を突いて青海老人が二刀に握った剣で攻撃してくる。こちらも〈商人〉のようだ。2人の〈商人〉による波状攻撃の前にイエヴァは防戦一方になっていた。
(まずい……。このままだと、負ける)
イエヴァはそれを冷静に判断していた。こちらから攻撃する隙が全く無い。このまま防戦を続ければ、体力や集中力の低下からいずれは致命的な事態になるのは目に見えていた。
(だったら……!)
イエヴァは即決断した。どの道このままでは何も出来ずに負けるだけだ。ならば危険だが僅かでも可能性がある方に賭けるのは当然の事だ。
イエヴァは意識を集中して全身に障壁を纏い直すと……赤魚人に
勿論後ろの赤魚人が黙っているはずがない。三叉槍が突き出される。が、イエヴァは避けない。そして受けない。
「……ッ!」
障壁によって突き刺さる事は避けられたが、凄まじい激痛が脇腹を襲う。だがイエヴァは歯を食いしばって痛みを堪え、青海老人への攻撃に集中する。二刀流で防御を疎かにしていた青海老人はイエヴァの鋭い攻撃に対処できず、裂帛の気合と共に放たれた突きが青海老人の喉元に突き刺さった。
「グゲェッ!!」
体液を吐き散らして青海老人が崩れ落ちる。だが同時に赤魚人の追撃がイエヴァにまともに当たる。最初の攻撃を防いだ時に障壁をすり減らしていた為に、今度は防ぎきれなかった。咄嗟に回避しようとしたが間に合わず、三叉槍はイエヴァの左の肩口に突き刺さった!
「ぐ……あああぁぁぁっ!」
脳天を突き抜けるような激痛に、クールが信条のイエヴァの口から押さえきれない苦鳴が漏れ出た。右手に持ったハルバートを横薙ぎにするが、赤魚人は素早く飛び退いて躱す。先端の広がった三叉槍の穂先が抜ける際に、イエヴァの傷口を抉っていく。
「……ッ!!」
想像を絶する痛みに一瞬意識が飛び掛けるが、辛うじて耐え抜く。
「ギギギッ! 捨テ身デ仲間ヲ倒ストハ大シタモンダガ、代償ハ大キカッタナァッ!?」
「く……! はぁ……はぁ……ふぅ……!」
痛みと流れ出る血液で意識が朦朧とし掛かっているイエヴァは、赤魚人の挑発に返す余裕も無い。
「ソラッ!」「……く!」
放たれた突きを受けようとするが左腕が動かずに、片腕だけではハルバートを素早く扱えずに後退を余儀なくされる。
「ギヒヒッ! ソラ! ソラ! ソラッ!」
「……ぐぅ!」
調子に乗った赤魚人がどんどん攻め立ててくる。その都度後退するイエヴァだが〈商人〉の攻撃を全て避け切れるはずもなく、身体中に切り傷刺し傷が増え、それに比例して痛みと出血量も増えていく。既にイエヴァの顔は血の気を失って文字通り雪のように白くなり、足元もふらついてきている様子だった。
「ギャハー! 終ワリダァ!」
その様子を見て勝利を確信した赤魚人は、止めを刺すべくイエヴァの心臓目掛けて三叉槍を突き入れた。しかしその瞬間今まで朦朧としていたイエヴァの目がカッと見開かれる。
「ふっ!!」
「何ィッ!?」
渾身の力で身体を逸らし敵の攻撃を避けると共に、カウンター気味にハルバートの穂先を前に突き出す。赤魚人は自らの突進の勢いも手伝って、自分からハルバートの槍の先端に心臓を貫かれた。
「バ、馬鹿、ナ……!」
赤魚人の信じられないような声。心臓に神力を流し込まれて、赤魚人もまた悶絶しながら崩れ落ちた。
「はっ……はっ……はっ!」
息も絶え絶えな様子で大きく息を吐くイエヴァ。彼女は最初から敵の油断を誘ってのカウンターに賭けていたのだ。赤魚人が警戒して最後まで消耗戦を仕掛けてきていたら、負けていたのはイエヴァの方だっただろう。
「ぐ……!」
だがイエヴァも血を流し過ぎた事で体力の限界となり、身体中を襲う激痛も相まって立っている事が出来ずに、その場に倒れ伏してしまった。
****
「この! このっ! このぉっ!」
ジリオラは必死になって神力を纏わせたレイピアを連続で繰り出す。だが……
「ギヒッ! イクラヤッテモ同ジダ! オ前ノスピードジャ俺ハ捉エラレン!」
黒魚人はそれを嘲笑いながら、余裕を持ってジリオラの突きを躱し続ける。
「はぁ……はぁ……くっ……!」
一旦後ろに下がって距離を取ったジリオラは、既に汗まみれで肩で大きく息をしていた。戦闘開始から今まで一撃たりとも当てる事が出来ていなかった。空振りし続けて無駄に体力を消耗させられているのだった。黒魚人の方からは一度も手を出して来ていない。弄ばれているような感覚にジリオラは歯噛みする。
「ギヒヒッ! 女ニシチャ速イ方ダガ、〈職人〉デアル俺様ニ掛カレバコンナモンダ!」
〈職人〉は強化魔法特化型だけあって、身体能力と動体視力に優れている。ジリオラの突きがどれだけ速くとも〈職人〉の目を欺ける程ではない。
散々ジリオラの体力を消耗させたと見て取った黒魚人は、遂に自分から攻撃を仕掛ける。ジリオラは思わず後ずさって身構える。と、彼女の視界から黒魚人の姿が消えた。
「ッ!?」
目を瞬かせた時には既に黒魚人の姿は至近距離にあった。
「きっ……!」
「オット! 逃ガサナイゼェ!」
ジリオラが慌てて飛び退ろうとした時には左腕を掴まれていた。〈職人〉の凄まじい握力が込められ、捻られる。
「ぎっ! あああぁぁっ!!」
ジリオラの端正な口元から恥も外聞もなく絶叫が
「ギヒヒッ!」
「がふっ!」
次いで黒魚人の膝蹴りがジリオラの腹部に叩き込まれる。腕を掴まれたままだった彼女は為す術もなく膝蹴りを喰らい、身体をくの字に折りながら吹き飛ぶ。しばらくの空中遊泳の後、うつ伏せの姿勢で地面に激突する。
「がは……う、あぁぁ……いぃぃい……!」
余りの激痛に意味不明なうめき声を漏らすジリオラ。膝蹴りは障壁によって多少の軽減は出来たが腕の骨折は如何ともしがたい。右腕に握ったレイピアを手放さなかった事だけが彼女に出来た唯一の抵抗だ。
「ギヒヒヒ、俺達ヲ散々振リ回シテクレタオ礼ダゼ! 楽ニハ殺シテヤラネェゾ?」
黒魚人がジリオラの苦しむ姿を眺めながらゆっくりと近付いてくる。それは勝者の余裕だ。解っているのだ。今の一瞬で決着が付いたのだ、という事が。
(こ、殺される? 私、殺されてしまうんですの!? せ、折角お姉さまに助けて貰った命なのに……!)
今も遠い海の向こうで戦っているだろうレベッカの姿を思い浮かべたジリオラは、目をカッと見開く。
(し、死ねない! お姉さま達は必ず帰ってくる! だから……私が守るのよ!)
「く……あぁぁぁっ!」
気合の声と共に辛うじて立ち上がるジリオラ。しかし左腕は折れたまま痛々しくぶら下がっており、踏ん張っている両脚は苦痛と疲労とでガクガクと震えている。対して黒魚人は全くの無傷だ。客観的に見て既に勝負は付いていた。
しかしそんな事は関係なかった。何が何でもこのクィンダムは守り抜くのだ。ジリオラはそこだけは全く衰えていない眼光で、目の前の敵を睨み付ける。
「ケッ! 生意気ナ目ダゼ! ドウセスグニ泣キ叫ブ羽目ニ…………ン!?」
黒魚人の訝し気な反応。彼の眼前で空気が振動するような現象が起きた。まるで何かが振動しながら一か所に集まっていくような……
(こ、これは……!)
ジリオラはこの現象に何度か
「ハッ! 馬鹿ガッ!」
ジリオラの行動を最後の足掻きだと見て取った黒魚人は、彼女を迎え撃とうとその現象から意識を逸らした。それがジリオラの狙いだった。
空気の振動が最高潮に達する。
来る!
ジリオラはその
――パァァァンッ!!
物凄い破裂音と共に、黒魚人の眼前で空気が弾けた。それは小規模な爆発といっても差し支えない現象だった。
「ノワッ!?」
堪らず黒魚人が仰け反った。予め何が起きるか理解して心構えをしていたジリオラは、その衝撃に驚く事無く突き進み……
「うあああぁぁぁっ!」
仰け反った黒魚人の無防備な喉元目掛けて、渾身の一閃を突き入れた!
「ソ……ンナ……」
神力の剣で急所を突き刺された黒魚人は驚愕の呻きと共に沈んだ。そして二度と起き上がってくる事は無かった。
「は……は……ふ……」
勝利の余韻に浸る余裕もなく、ジリオラはその場に膝を着く。もう何もかもが限界だった。そのまま地面に突っ伏して倒れそうになる所を、誰かの腕によって支えられた。
「ジリオラさん!」
見やると、消耗し尽して戦線離脱していたはずのリズベットであった。彼女はなけなしの神力を掻き集めて、小規模ながら神気爆発を黒魚人に炸裂させたのだ。
これはジリオラ1人ではなく、彼女達2人の勝利であった。
「ふ……ふ……あなたに、借りが出来てしまいましたわ……」
「借りなどと……。ジリオラさんの力無くして奴は倒せませんでした。気にしないで下さい」
2人はそうしてしばらく支え合っていた。
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