第93話 好敵手達

「あの……浴場で何かあったのかい? 明らかに機嫌が悪くなってるよね?」



 屈辱にまみれた入浴作業の後、再びビキニアーマーを身に着けロイドと合流したレベッカは、同じ建物内にある大衆食堂のような場所に来ていた。主に奴隷に食事をさせるのが目的の食堂で、調理や給仕も全て奴隷が行っていた。勿論監視役兼用心棒として進化種が目を光らせているようだが。


 2人でテーブルに着いて料理を待つ間、レベッカは浴場で灼熱人の女から受けた屈辱を思い出し、再び全身の血が沸騰するような感覚を味わっていた。


「何でもないっ! ……いや、実は浴場で灼熱人の女に絡まれたのだ。あの女の事を何か知っているか?」


 激昂しかけたレベッカだが、寸前で思い直し何とか呼吸を落ち着ける。相手も剣闘士だというなら事前に情報を集めておく必要がある。



「灼熱人? それってフラカニャーナの事かい? 知ってるも何も、彼女はこのヴァーリンを代表する剣闘士……。要するにチャンピオンだよ!」


「フラカニャーナ……。チャンピオンだと? どの程度の強さなのだ?」


「そうだねぇ……。進化種でもそこらの〈市民〉じゃ恐らく相手にならないだろうね。一対一なら〈商人〉なんかの変異体相手でも勝てる強さじゃないかなあれは」


「……!」

 レベッカとて変異体相手に勝利した事は何度もあるが、それはあくまで神術の助けを借りての結果だ。剣闘士達が進化種にとって害になる神術を使える筈がないし、では自分の地力のみで変異体を倒せるかと言われると……。


 その事実がフラカニャーナという女の底知れない実力を暗示していた。



「そんな彼女だから、勿論同性の女剣闘士達じゃ、ほとんどまともな勝負にもなりゃしない。だから彼女が出る試合は不人気でね。何せ結果が解りきってて賭けにならないからね。その為にチャンピオンという肩書を与えられて王座に押し込められたのさ」


「…………」


「三ヶ月ごとに開かれる大会の優勝者だけが彼女に挑戦する権利を与えられる。ま、それでも大体はまともな勝負にならないんだけどね。だから彼女は不満なのさ。新しい剣闘用の奴隷が補充されたと聞くと、自分を楽しませてくれる奴がいないか『物色』に来る事があるんだけど……どうやら『それ』に当たっちゃったらしいね」


 浴場での出来事を思い返す。自分を『箱入り』呼ばわりして、一顧だにせず去っていったフラカニャーナ……。自分は彼女の「お眼鏡」には適わなかったという事なのだろう。



(……上等だ)



 レベッカは自分の内に熱い想いが滾ってくるのを感じていた。当初はただ生存の為だけに引き受けた剣闘士だが、どうやらそれ以外にも目標が出来たらしい。


(絶対に……あの女を地に這いつくばらせてやるっ! あの女の心に、クィンダムのレベッカ・シェリダンの名を刻んでやる!)


「ふふ、どうやらフラカニャーナとの事は、君にとっていい刺激になってくれたみたいだね」


 決意に漲るレベッカの様子を見て取ったロイドは嬉しそうに言う。そうこうしている内に給仕が食事を運んで来た。やはり肉類は無いものの、大量のライスに雑多な刻み野菜を混ぜ込み香辛料で味付けをした大衆料理だ。空腹を満たすには充分そうなボリュームだ。


 香辛料の匂いを嗅いだレベッカの腹が無意識に鳴ってしまう。その事に気付いて赤面した。



「ふふ、さぞお腹が空いてるだろうし、遠慮なく食べていいよ」


「う……その、お前は食べないのか?」


 上機嫌に笑うロイドに若干気おくれしながら尋ねるレベッカ。その恐ろし気な外見とは裏腹に気さくな態度の彼に、思えば最初から毒気を抜かれっぱなしだ。『侵攻』の際に、自分を痛めつけて喜んでいた残忍な〈節足種〉達の姿を思い出す。目の前の蠅男は彼等とは明らかに雰囲気が違った。


 勿論お抱えの「剣闘士」なので大切に扱う、という理由もあるだろう。だが今の自分は所詮奴隷なのだ。もっと高圧的に振る舞うのは簡単の筈である。

 そんなレベッカの疑問を知ってか知らずか、相変わらず上機嫌のままロイドは食事を促した。


「僕たちは魔素を吸ってさえいれば食事は必要ないからね。勿論食べる事は出来るけど、正直僕が『食事』をしてる姿は余り見ていて気分がいい物じゃないと思うよ? だから僕の事は気にせず食べて。と言うか今の君は剣闘士なんだから体が資本だよ。食べるのも仕事の内と思って、さ」


「仕事、か……。そうだな。では、遠慮なく馳走になる」


 仕事と言われて少し気が楽になった。確かにしっかり食べて体力を維持しておかねば、あのフラカニャーナには勝てないだろう。そう思って食事を始める。食べてみると意外と美味しく、それまでの疲労や空腹も手伝って、気付いたら掻っ込むように食べていた。



「ふぅ……。その、意外と言っては何だが……美味かった。礼を言う」


「ふふ、どういたしまして。さて、それじゃ腹も膨れた事だし、そろそろ僕の家まで行こうか」


 そうして2人が立ち上がりかけた時だった。




「おやおや、何やら食堂が蠅臭いと思ったら、どこぞの貧乏男爵がいるぞ。蠅らしく生ゴミでも漁りに来たのか?」


 傲慢で侮蔑に満ちた嘲笑が投げかけられる。レベッカが思わず目を向けると、そこには……直立した巨大ながいた。いや、白い毛に覆われた人間ような手足があるので蛾人間である。身体も白毛に覆われていて、中々に立派な体格である。後ろに取り巻きと思われる進化種を何人か引き連れている。


「……キーン伯爵。何か御用ですか? 僕達は丁度出る所なので、臭いなら気にされなくても良いですよ?」


「ふん! 出入りするだけで不快だと言っているのだ! 下水で排泄物でも漁っている方がお似合いだぞ? ハハハハッ!」


 取り巻きの進化種達も追従してゲラゲラ笑う。テーブルの下でロイドの拳が握られるのが、レベッカからは見えた。



「……ご用件がそれだけなら、僕達はこれで失礼します」


「まあ待て。行く前に私から、そんなお前にピッタリのプレゼントだ。遠慮なく受け取れ」



 蛾男――キーンの言葉と共に、取り巻きの1人が持っていた桶の蓋を開き、中身をロイドに向かってぶち撒ける。その瞬間、食堂に凄まじい悪臭が充満した。



(な……こ、これは、糞尿!?)



 レベッカは驚愕する。悪臭と共に汚液ががまき散らされる。他にいた客は悲鳴と共に、大慌てで外に逃げ出していく。


「…………」


 汚液を頭から引っ被ったロイドは、黙したままジッと動かない。そんな彼の姿を見てキーンは増々図に乗って嘲笑する。


「ハハハッ! 似合いの姿になったぞ、便所虫! 何、礼はいらんぞ? 良く味わうがいい! ……さて、さっさと行くぞ。ここは臭くて叶わん」


 自分で悪臭をぶち撒けた癖に、取り巻きにそう言って高笑いと共に去って行こうとするキーンを、レベッカが呼び止める。



「おい、待て! そこの醜い蛾男! 自分が汚したものは自分で片付けていけ!」


「…………何だと?」


 キーンはゆっくりと振り返った。まるで今初めてレベッカの存在に気が付いたかのようだった。


「何だ、お前は? その格好は……。ああ、成る程。そこの害虫が自分の家を担保にしてまで購入した剣闘士というのはお前だったのか」


「何……?」


(自分の家を担保……? いや、今は後回しだ! こいつらの所業は目に余る!)



「仮にも食事処でこのような汚物をまき散らすとは、お主の方こそ下水がお似合いの害虫であろう! 今すぐこれを掃除して、この者に……チュール殿に謝罪しろ!」


「…………」


 キーンやその取り巻き達は勿論、ロイドまで信じられない物を見るようにレベッカを凝視していた。 


 レベッカ自身も自らの突発的な言動に驚いていた。連中の所業が目に余ったのは事実だが、侮辱されていたのはあくまでロイドであって自分は関係なかったのだから、放っておけば良かったのだ。進化種同士の内輪揉めなどむしろ喜ばしい事ではないか。

 だが汚物を被ってジッと屈辱に耐えるロイドの姿を見たら、何故か身体が勝手に動いていたのだ。



「あ、あの……僕が我慢すれば済む話だから……」

「うるさい! お前は黙っていろっ!」


「……ッ!?」

 取り成そうとしたロイドは、仮にも所有している奴隷であるレベッカから一喝されて唖然とした。その様子を見たキーンが吹き出す。


「プッ! ハハハハッ! おい、何だ便所虫。随分主人想いな奴隷じゃないか! どうやって飼い慣らしたんだ? いや、しかし躾は全くなっていないようだがな。威厳のない主に、躾のなってないペットか。お似合いだな!」


 それに合わせて取り巻き達が再び笑う。レベッカは激昂して顔を真っ赤にさせる。



「笑うな、この下種共め! 早くチュール殿に謝罪しろ!」

「図に乗るなっ!」



 ――刹那。およそレベッカに、いや人間に視認できる限界を超えた速度でキーンが動いた。気付いた時にはレベッカの腹にキーンの拳がめり込んでいた。


「ご……が……!?」


 腹を押さえて両膝を落としてしまうレベッカ。先程食べたばかりの料理が逆流してきそうな感覚を覚えたが、それだけは辛うじて堪えた。だが苦痛のあまり立ち上がる事が出来ない。


「シェリダン!」


 ロイドが思わず駆け寄ろうとして、糞尿を被った今の自分の状態を思い出して躊躇する。



「……ふん、奴隷の分際で〈伯爵〉の私に指図とは随分威勢がいいな。本来ならこの場で無礼討ちにしてやる所だが、それでは面白くない。……イエヴァ!」


 キーンが誰かの名を呼ぶ。すると今まで取り巻き達の後ろに控えていたらしい1人の女性が進み出てきた。色素が抜けたかと思う程に白い肌。赤い瞳。そして……中原ではまず見掛ける事のない長い銀色の髪。



(あ、あれは……)



 それは遥か北方の極寒の地に住む「氷雪人」の特徴を持っていた。フラカニャーナを「黒」とするならこの女性――イエヴァは「白」であった。そして氷雪人は灼熱人とは逆に、ティアマトにまつわる伝説を持つ民族であった。



「ふふふ、このイエヴァは私が個人的にミッドガルド王国の〈貴族〉と取引して購入した奴隷だ。今度こそあの灼熱人……フラカニャーナを倒す為にな!」


「……!」

 ミッドガルド王国とは北方の豪雪地帯を所領とする〈魔人種〉の王国だ。クィンダムとは国境を接していないので、レベッカも一度も〈魔人種〉を見た事がなく、難民からの伝聞でしか知らない。キーンがレベッカを見る。



「万が一にもあり得んが……もしお前がこのイエヴァに勝てたら、その時は謝罪でも補償でも何でもしてやろう。逆にお前が負けたらその害虫は破産、そしてお前は俺の奴隷になるのだ」


「……ッ」


「尤も、このイエヴァを相手にして生き延びられればの話だがな! ククク……!」


「…………」



 イエヴァは自分の事が話題になっているのに全く無関心な様子で、まるで路傍の石ころでも見るような目で、無様に床にひざまづくレベッカを見下ろしていた。その怜悧な美貌は、何となくだが〈神化種〉になった時のシュンを思い起こさせた。だが怜悧ながらどこか愛嬌と暖かみがあったシュンのそれに比べて、イエヴァの美貌は正に「氷のような」、と形容したくなる冷たい彫像のようであった。



「さあ、それでは今度こそ行くぞ! フフフ、大会当日が楽しみだな!」



 捨て台詞と共に、キーンはイエヴァと取り巻き達を伴って、今度こそ建物を後にするのだった……。 

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