第94話 同志

 その後食堂を運営する進化種に追い出された2人は、別の小さな浴場に立ち寄った。そこでロイドは最低限の汚れを落とし、ようやくと言った形でロイドの家に到着した。


「さあ、ここが僕の家だよ。何もないけど、とりあえずゆっくり身体を休めてくれ」



 そこは〈貴族〉の住まいというには随分こじんまりした……少し大きめの家といった体の建物であった。中に入ると、確かに調度品の類いなども碌に置かれていない殺風景な内装であった。


「元々〈男爵〉なんてこんなものさ。碌に奴隷を買うような金も資産もない。だから〈男爵〉の中には自力で奴隷を調達しようと、危険を冒して君達の国の国境付近まで出向く奴がたまにいるのさ。〈市民〉達に話を付けて上手く神膜の外まで誘き出して貰ったりしてね……」


 客間で一息吐いた所で、ロイドが自嘲するように言った。因みに進化種の社会にも現在では経済があり、5国共通の通貨も存在している。ゲールという名称で、ピースとは逆に魔力を封入する事が出来る。


「…………」

 レベッカはあのシュンとの出会いの場ともなった、リューン防衛戦で現れた蜘蛛男――ゾーマを思い出していた。あいつもそういった事情で出向いてきていたのだろうか。時間にすれば精々数か月前の事なのだが、レベッカにはもう何年も前の事のように感じられた。


(それはつまり……シュンと出会って、まだそれだけしか経っていないという事でもあるんだな……)


 シュンの事を思い出した拍子にクィンダムの事も思い出し、何とも言えない寂寥感を憶えた。リズベット達の顔が脳裏に浮かぶ。皆はまだ無事なのだろうか。戦士隊が全滅した今、クィンダムは丸裸に等しい。シュンを目覚めさせる事が出来なければ遠からず滅びるしかない。


「……ッ!」

 レベッカは頭を振る。今最悪の想像に囚われても気ばかりが急くだけだ。今はリズベットやロアンナ、それにライカ達を信じて、自分に出来る事をやっていくしかない。



「……あのキーンという男は何者だ? 何故お前にあのように絡んできたのだ? それにあのイエヴァとかいう氷雪人の女……」


 思考を切り替え、当面気になっていた事を尋ねる。


「キーンはここヴァーリンより離れた北寄りの場所にある街の領主でね。僕は昔その街に住んでいたんだけど、奴隷の扱いに関してキーンと意見が対立してね。追い出されるようにこの街へ移り住んだのさ。でもキーンは闘技大会常連の小屋主だから、大会の度にこの街へ来るんだ。その度にああした嫌がらせを受けるから、もう慣れたけどね」


 ロイドは肩をすくめる。だがレベッカには疑問が残る。


「あんな嫌がらせを毎回受けてまで、何故この街に居続けるんだ? 進化種のしきたりはよく知らんが、奴が来ない街へ移住すればいいのでは?」


「そうしたいのは山々だけど、僕はどうしても闘技大会で優勝したい理由があるんだ。優秀な剣闘士候補が最も集まりやすいのはこの街だからね。でも今までは全財産を賭けてもいいと思えるような人がいなかった。君が来るまではね……」


 そう言えばキーンもそんな事を言っていた。



「全財産を叩いてまで優勝したい理由とは何だ?」


「それは……ごめん、まだ話せない。でもそんな事は知らなくても闘技に支障はないさ。それに大会に優勝する事は君にとってもメリットがあるんだよ」


「メリット?」


「ああ。大会には〈王〉が観戦に来られる。そしてチャンピオンを下した剣闘士の小屋主には、色々と特権が与えられるんだけど、僕はその特権を利用して君を奴隷の身分から解放して、クィンダムに帰す」


「なっ……そ、そんな事が出来るのか!? い、いや、それ以前にそれが可能だったとして、お前には何のメリットがあるのだ!?」



 新たにチャンピオンとなった剣闘士を手放す事になる。レベッカにしかメリットが無いように思えるが……。ロイドはかぶりを振る。



「いいんだよ。僕は別にそんな栄誉に興味はないからね。僕はその特権を利用してある願いを叶えたいだけなんだ。まあ、それが先程の理由って訳なんだけど……」


 つまり今は話せないという事だ。レベッカはしばらく考えるような仕草をしていたが、やがて頭を上げた。



「……いいだろう。では互いの利害が一致するという事で、私も全力を以って必ずチャンピオンを下してやると誓おう」


「……ありがとう、シェリダン。君は名目上は僕の奴隷という事になるけど、僕にとって君は同志だ。宜しく頼むよ」


「レベッカだ」


「……え?」



「私の事はレベッカでいい。私達は同志なのだろう? 私もこんな口調ではあるが、本来堅苦しいのは嫌いなんだ。そう呼んでもらえると助かる……ロ、ロイド殿・・・・


「……ッ」

 ロイドが息を呑むのが解った。



「……本当にいいの? 君は僕の外見が気持ち悪くないのかい? いや、それ以前に君は、僕達進化種を憎んでいるんじゃないのかい?」


「確かに進化種の事は憎い。だが先日バフタン王国で遭遇したとある〈貴族〉を見て、若干だが考え方が変わったのだ。進化種と言っても、その全てが女を物扱いする邪悪な輩ばかりでは無いと……。お前達にもまた個性や性格があるのだという当たり前の事を再認識したのだ。それからは『進化種』という一括りで見るのではなく、その者個人を見て判断しようと決めたのだ」



 レベッカはそこで一旦言葉を区切って、少し照れ臭そうに頬を掻いた。



「そしてこの短い間だけの会話や出来事を見ても、お前は信用に足る者だと判断した。外見など関係ない。私はお前という個人の資質を見てそう判断したのだ。だから我々は同志だ。そして同志なら堅苦しく苗字で呼び合ったりはせんだろう?」


「シェ、シェリダン……。いや……ありがとう、レベッカ・・・・」 


「うむ! こちらこそ宜しく頼む!」



 そして2人はどちらともなく手を差し出し、固い握手を交わしたのだった……



****



「この大会に優勝すれば特権の他に〈王〉の憶えもめでたくなるから、毎回色んな〈貴族〉が参加するのさ。大抵の〈貴族〉はお抱えの剣闘士を何人も揃えていて、その中から優秀な者を出場させてくる。でも大会では怪我は当たり前、運が悪ければ死ぬ事もあるから、常に「予備人員」を揃えていて、鍛えているって訳さ。そうやって何人ものお抱えの剣闘士を揃えている様子から、オーナー達は古の習慣に因んで『小屋主』って呼ばれているんだ」



 ロイドがレベッカに闘技大会についての説明をしている。



「キーンは特に有力な小屋主の1人でね。大会自体では何度も優勝者を輩出しているんだ。でもチャンピオン戦……つまりフラカニャーナにどうしても勝てなくてね。あの氷雪人はキーンが業を煮やした結果って事だろうね」


 レベッカは、あの氷雪人……イエヴァのその赤い色とは裏腹の冷たい瞳を思い出していた。



「氷雪人も初めて見るのだが……やはり出来るのか?」


「まあ通常、人が立ち入らない極寒の地に適応した人種だからね。相応に身体能力は高い筈だよ。後は本人の技量次第だけど……。何分今大会で初めて出場させるようだから僕も情報が無くてね。でもキーンのあの自信ぶりを見る限り、弱いって事は絶対にないと思うよ?」


「……そうだな」



 フラカニャーナのように実際にやり合った訳ではないが、ただ立っているだけでも、そして歩いている姿を見るだけでも、その佇まいから大雑把な実力は類推できる。レベッカの見立てではあのイエヴァは相当の使い手だ。



(フラカニャーナといい、イエヴァといい……クィンダムの外にまだあれ程の女がいたとはな……。全く、クィンダムは狭い、いや世界は広いものだな……)



 ロアンナやクリスタとの出会いもそうだったが、自分が今までいかに狭い世界しか見ていなかったかを痛感する。



(私も、もっと強くならねばな……)



 進化種の〈王〉や〈貴族〉に蹂躙された時とはまた違った、より身近で現実的な目標に対する闘志が湧いてくるのを感じた。

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