第89話 暗殺者クリスタ
「ふーん。1人逃げちゃったけど、まあいいや。お姉さんの言う通り、4人だけでも充分だしね」
言い終わるが早いかグリンは真っ直ぐ、正面の莱香目掛けて突進してきた。速い。スピードも〈市民〉とは比較にならない。受けに回っては不利になる。莱香は思い切って前に出て迎撃を選んだ。
「ずあぁぁぁっ!」
気合と共に太刀を斬り下ろす。グリンは避けずに真っ直ぐ突っ込んでくる。太刀と棘が接触した。
「……ッ!」
予想以上の硬さに莱香は顔をしかめる。グリンの棘は一本一本がかなり細いが、相当の強度があるらしい。神力を纏った太刀の一撃を受けても一本も折れないとは……!
右手で太刀を受けたグリンが左のストレートを打ち込んでくる。無数の棘に包まれた拳はそれだけで凶器だ。
「ぐう……!」
障壁でも軽減しきれない程の威力に、莱香は後ろに吹き飛ばされる。仰向けに倒れ込んだ莱香に追撃の手が迫る。
「ライカさん!」
クリスタが横合いから攻撃を仕掛けるがグリンは腕を振り払って牽制する。攻撃リーチの短いクリスタには、長い棘だらけのグリンは相性の悪い相手だ。飛び退って躱すクリスタに目もくれずに、莱香に突進するグリン。どうやらターゲットにされたようだ。だがそこにメイスを構えたリズベットが立ち塞がる!
「やらせません!」
自身もまた棘の生えたメイスを振り回し、グリンに叩き付ける。2つの棘がぶつかり合い、鍔迫り合いになる。障壁を全開にして踏ん張るリズベット。だが……
「きゃああっ!」
強化魔法を使うグリンに地力で押し切られ、莱香と同様に弾き飛ばされてしまう。だがそのリズベットと入れ替わるように、今度は槍を構えたロアンナが
突き出された槍を掴み取ろうとするグリン。だがその直前、槍が引っ込められた。グリンの腕が空を切る。
「!?」
フェイントで一瞬体勢が崩れた所に、本命の槍の一撃。グリンは咄嗟に飛び退る。その間に莱香とリズベットも体勢を立て直し、武器を構えていた。
(く……強い! これが〈貴族〉。自分が戦うのは初めてだけど、まともに戦っても勝てる気がしないわね……)
莱香は油断なく太刀を構えながらも、内心冷や汗が流れるのを止められなかった。〈市民〉を物ともしない筈のこの4人掛かりで、持ち堪えるのが精一杯だ。一対一では相手にならなかっただろう。
「ああもう! 面倒臭いなぁ! 無駄な抵抗しないで、さっさと僕の物になってよ!」
グリンが癇癪を起こす。丸っきり堪え性のない子供の言動である。莱香はふと、この海栗人の実年齢は何歳なのだろう、と思った。
「このままじゃ埒が明かないわね。全員で4方向から一斉に仕掛けるわよ!?」
ロアンナの提案。莱香もハッと思考を引き戻す。今は余計な事を考えている場合ではない。皆頷くと、グリンを取り囲むように散開して、一斉攻撃を仕掛ける。しかし……
グリンが急に両腕を抱えて
(! まさか……!?)
と莱香が危惧した瞬間、それは現実の物となった。背中に生えた大量の棘がまるで散弾のように、周囲に無差別に射出された!
「なっ……!」「きゃあっ!」「ああ……!」「ぐうっ!?」
高速でばら撒かれる無数の針の散弾を全て避け切る事など不可能で、4人は咄嗟に庇った顔以外の身体に被弾してしまう。衝撃で弾き飛ばされる莱香達。大半は障壁で軽減できたものの、何本かの針は手や足に浅く刺さってしまう。
(く、痛い……! でもこれくらい…………あ、あれ? 力が入らない!?)
針はすぐに抜けたものの、身体に痺れるような感覚があり、力が上手く入らなくなる。
(まさか……毒!?)
焦った莱香が周りを見渡すと、他の3人も立ち上がろうとしても上手く行かずにもがいている。
「ふふふ、僕の針には弱い毒が含まれているんだ。他の進化種にはあんまり効かないけど、お姉さん達には充分効いてるみたいだね?」
当のグリンの口からその疑問が肯定される。莱香は青ざめた。
「うふ、さてと……それじゃあ」
「……ッ!?」
グリンがゆっくりと莱香の方に近付いてくる。欲望に濁った「視線」が、再び自分の鎧からむき出しの素肌の上を這い回るのを感じた。
(い、いや……! 来ないで……!)
怖気から全身に鳥肌が立つのが解った。しかし痺れの回った身体は重く、立ち上がる事は愚か這いずって距離を取る事すら困難であった。もたもたしている内に、グリンが倒れている莱香を見下ろす位置まで来た。
「き、綺麗だ……。僕もう、辛抱堪んないよっ!」
上擦った声でそう言うと、屈み込んで莱香の両足を掴む。脛当ての部分を掴まれたので痛みは無いが、そのまま大きく脚を割り開かれ持ち上げられてしまう。いわゆるV字開脚の姿勢を取らされる莱香。
(い、いや、恥ずかしいっ! た、助けて……!)
羞恥と屈辱に顔を火照らせる莱香だが、痺れが回る身体で抵抗もままならない。神力を全開にして回復に努めているが、中々痺れが取れずに気ばかりが焦る。
「へへ……そ、それじゃあ、頂きまーす」
「い……い、やぁ……!」
いよいよ自分に覆いかぶさろうとする醜い海栗人間の姿に、痺れの残る舌で莱香は拙い悲鳴を上げる。その時――――
――ザシュッ!!
「……え?」
グリンの唖然としたような声。それと共に何かがブシュゥゥゥッ! と噴き出すような音がした。恐る恐る目を開けた莱香が見た光景は――
「ク、クリスタさん……」
黒塗りのダガーでグリンの喉を切り裂いたクリスタの姿であった。グリンは喉を掻き毟るような動作の後、「口」から泡を吹いて動かなくなった。ダガーの一刺しと共に、ありったけの神力を流し込まれたのだ。
「……ふぅ。大丈夫だった、ライカさん?」
「あ……は、はい、ありがとう、ございます。で、でも何で、クリスタさんだけ……?」
見るとロアンナとリズベットの2人は莱香と同じで、まだ立ち上がれずにいた。
「私が暗殺者として育てられたのは知ってるわね? 毒に耐性を付けさせる為にまだ子供の時から、あらゆる種類の毒を少量ずつ服用させられていたのよ」
「……!」
「奴の毒は、私が耐性を付けた毒のどれかの種類に該当したのね」
少し複雑な表情で呟くクリスタ。過去とは決別したはずなのに、結局その過去に助けられた事に思う所があるようだ。莱香はまだ動かない自分の身体をもどかしく思いながらも、懸命に語り掛ける。
「クリスタさん。でもそのお陰で私達助かったんです。クリスタさんは命の恩人です。本当に、ありがとうございました」
「ラ、ライカさん……」
クリスタが若干瞳を潤ませる。暗殺者として育てられた過去を恥じていた彼女は、何ら偏見なく礼を述べる莱香の言葉に、救われたように感じたのかも知れない。顔を赤らめた彼女は少し照れたように視線を逸らした。
「さ、さあ、私も手伝うから、早く神力で毒を抜いちゃいましょう」
「そ、そうですね。宜しくお願いします、クリスタさん」
――それから莱香の体感時間で約10分程で、ようやく身体をまともに動かせるようになってきた。ロアンナ達も全力で回復に努めていたらしく、ほぼ同じ位のタイミングで、多少ふらつきながらも起き上がってきた。
「……結局あなたに助けられちゃったわね。情けない限りだわ」
「ええ……私とした事がとんだ不覚を……。本当にありがとうございました、クリスタさん」
2人共開口一番クリスタへの礼を述べた。彼女だけ何故動けたのか……どうやらある程度推察しているらしく、その疑問については言及しなかった。2人の心遣いを察したクリスタも暖かく微笑む。
「いえ、お役に立てて良かったわ。皆、大丈夫かしら?」
「は、はい、お陰様で……。でも〈貴族〉と戦ったのは初めてでしたけど、私まだまだですね……」
莱香が悔し気に呟く。〈市民〉を問題なく倒せた事で、少し慢心していたようだ。クリスタが毒に耐性が無ければ……更に言うならグリンが容赦なく自分達を殺すつもりであったなら、自分達は全滅していた可能性が高い。敵の不純な欲望と偶然に救われたのだ。
「そうねぇ。しかも相手は最下級の〈男爵〉だった訳だし……。私達、もっと強くならないとね……」
ロアンナもしみじみと呟いた。莱香はかつてバフタン王国で出会ったヴォルフやアガースの事を思い出した。ヴォルフが相手では、今の莱香が加わったとしてもやはり勝負にならないだろう。相手がアガースだったら? 自分達の障壁であの巨大戦槌の一撃を防げる気がしない。かと言って速さも相当な物だったし、あの猛攻を躱し続けられるかと言うと……
(駄目だな、私。こんなんじゃ、舜の力になれない。もっと訓練して、強くならないと……!)
自分が目指す高みの一端を知って、決意を新たにする莱香であった。
「……しかしすっかり『道』も閉じてしまいましたね。ミリアは無事に渡れたでしょうか……」
リズベットが遠く陸地の方角を見やりながら不安そうに言った。グリンの散弾で全員革袋が引き裂かれてしまっていた。ミリアリアだけが頼りだ。莱香達はこの島で、もう一泊が決定だ。神力も残り少ないので、これ以上のトラブルは御免被りたいというのが本音である。
(お願い、ミリアリアさん。どうか無事に辿り着いて、舜を助けて下さい……!)
祈る事しか出来ない自分が恨めしかった。
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