第85話 莱香の初戦
むせる程に潮の臭いが立ち込める即席の「道」を、慎重に、しかし足早に進む莱香達。
「身を隠せる場所がないから、〈海洋種〉の見回りに見つかったら、戦闘は避けられないわよ」
事前にロアンナから警告を受けていたが、勿論戦闘は避けられるに越した事はない。そう思って足早に進んでいた一行だが……
「ちっ! お出ましね! やっぱりそう簡単には行かせてくれないみたい……!」
「……!」
「道」の先に3人ほどの人影が見えた。「道」に入った時は確かにいなかった筈だ。そして近付くにつれ明らかになるそのシルエットは……魚と人間を融合させたような、魚人。〈海洋種〉だ。
(予想はしてたけど、いわゆるマーメイドみたいのじゃなく、サハギンって感じね……!)
「一気に突破するわよ!」
ロアンナが走りながら弓を構える。と、その時「道」の左右、つまり浅瀬となった海中から、複数の光球や石礫が飛び出し高速で向かってきた。
「……ちっ!」
ロアンナが射撃動作を中断して躱す。莱香は自分の方に光球が飛んでくるのを見て、慌てて自身に障壁を纏わせる。直後に被弾。破裂した光球から衝撃波が発生する。
「……ッ」
思わず目を瞑ってしまった莱香だが、ちょっとよろけただけで痛くも何とも無かった。
(わ……すごい。これが、私の神力……?)
「ライカさん、大丈夫!?」
危なげなく魔法を躱したクリスタが、被弾した莱香を心配して駆け寄ってくる。
「は、はい。大丈夫みたいです、クリスタさん」
周囲を確認すると、ミリアリアも何とか魔法を避ける事に成功したようだ。リズベットは莱香と同じように障壁で無効化したらしい。
「道」の左右からそれぞれ2人ずつの進化種が這い上がってきた。更にいつの間にか後方にも2人の進化種。前方からは先程の3人の魚人が走ってくる。四方を囲まれた形だ。敵は総勢9人。こちらは5人。数の上でも不利だ。
「ちっ! こうなったらやるしかないわね。来るわよっ!?」
短槍に持ち替えたロアンナから檄が飛ぶ。莱香も慌てて太刀を鞘から抜き放つ。他の3人は既に自分の得物を構えて臨戦態勢だ。
進化種は容赦なく襲い掛かってくる。莱香は本格的な実戦は初めてである事を意識した。
(……こ、怖くなんてないわ! 私は……必ず舜を助けるんだ! こんな所で……負けられないっ!)
莱香に対しては、赤い甲殻の
「く……!」
更に後ろに下がって回避を余儀なくされる。太刀が重い。物理的な重さは勿論だが、この凶器を生き物――それも元は人間と解っている生物に振るう事への抵抗が、莱香の動きを鈍らせていた。かつて莱香を助けてくれた狼の進化種、ヴォルフの顔が思い浮かぶ。
蟹人が鋏を横薙ぎに振るう。巨大な鋏は、鋏む以外にも鈍器として使える。
「……ッ!」
その拍子に、短い草摺に隠されているだけの生足が限界まで露出してしまう。蟹人の視線が自分の太ももに吸い寄せられるのが解った。
「やっ……!」
羞恥から思わず脚を隠すような動作をしてしまう。その「余計な」動きは、勿論戦いに於いては大きな隙となる。蟹人が鋏を叩きつけてくる。羞恥心から隙を作ってしまった莱香はそれを躱す事が出来ない。思わず目を瞑る。と、そこに……
「ライカさん、しっかりしなさいっ!」
駆け付けたクリスタが蟹人に向かって、横合いから蹴りを放つ。一回り以上大きな蟹人がその蹴りでグラつく。その隙にクリスタは、莱香の脇に手を差し入れ、一気に引き起こす。
「ク、クリスタさん……」
彼女が戦っていた魚人は既に喉を切り裂かれて絶命していた。ロアンナとリズベットが3人ずつ、ミリアリアが1人を受け持って、戦いは続いている。クリスタは目の前の敵だけ素早く片付けて、莱香の元に駆け付けたのだ。
「ライカさん、あなたのシュン様への想いはその程度なの!? 私達がここで倒れれば、シュン様は永遠に目覚めないかも知れないのよ!?」
「……!!」
「ヴォルフ様も、あなたにはこれから幾多の困難が降りかかると仰っていたでしょう!? この程度の事態を乗り切る覚悟も無いとは言わせないわよ!?」
「ッ!!」
(そうだ……! 私、こんな所で絶対に死ねない……!)
太刀を握る両手に力が入る。それを見て取ったクリスタは頷く。
「自信を持ちなさい。あなたの技術と神力を発揮できれば、〈市民〉程度に遅れを取る事は絶対にないわ」
「! はい……!」
大きく息を吐いて、改めて目の前の蟹人に対峙する。蟹人が鋏を振り上げて突進してくる。叩きつけられる鈍器を、莱香は冷静に軌道を見極め、最小限の動きで躱す。攻撃を空振りした蟹人に大きな隙が出来る。莱香は神力を纏わせた太刀を、蟹人の空振りした腕の……肘関節目掛けて斬り入れる。
スパッと、まるでバターでも切り裂くかのように、抵抗なく蟹人の腕が切断された。噴き出る血と共に、蟹人の絶叫。だが莱香は意図的にそれらを意識の隅に遮断した。無念無想。今の莱香は剣道の試合の時のように、ただ目の前の相手を倒す事だけに意識を集中していた。他は全て雑音だ。
慌てて莱香から距離を取った蟹人が、火球の魔法を発動させる。自分の胴体くらいの大きさの火の玉が、高速で飛来してくる。それを見た莱香は回避を……しない!
(自信を持て……! 自分の力を信じるんだ!)
火球に真正面からぶつかる。爆音と熱波が莱香を包み込む。だが……
「……ッ!」
まだ収まらない炎と煙を割る様にして、莱香が飛び出してきた。直撃しておいて無傷で現れるとは思わず、蟹人がギョッとして硬直する。
「やあぁぁぁぁっ!!」
それは生命を断ち切る、という行為への鼓舞でもあったか。裂帛の気合を発した莱香は、蟹人の喉元目掛けて一気に太刀を突き入れた!
一瞬時が止まったかのようだった。抵抗なく深々と己の喉元に突き刺さった刀を見た蟹人は、眼球だけを動かして莱香の顔を見た。
「……!」
莱香は目を逸らさずにその視線を受け止め……太刀を引き抜いた。
ゴボォッ! と蟹人の口から赤い血の混じった泡が噴き出て、そのまま糸が切れた人形のように崩れ落ちた。しばらくの間痙攣していたが、それもやがて止んだ。
――「人」を殺したのだ。
莱香はギュッと目を閉じると、大きく息を吐いてからゆっくりと開いた。この事実から逃げる事はしない。舜の為に、自分の為に莱香はこれからも多くの「人」を殺す事になるだろう。全て背負って……それでも前へ進んでいくのだ。一度踏み出した以上、もう後戻りは出来ない。
「ライカさん……。辛いかも知れないけど、今は……」
「……大丈夫です、クリスタさん。ご心配をお掛けしました。はい、まだ気は抜けませんね。私はミリアリアさんの加勢に入ります。申し訳ありませんが、クリスタさんはあちらの方をお願い出来ますか……?」
リズベットとロアンナは、まだ複数の進化種相手に大立ち回りを演じている。あの中に割って入るなら、技術的にクリスタの方が向いているだろう。
「任せて。あなたも油断しないようにね」
それだけ言って、素早くロアンナ達の加勢に駆け付けていくクリスタ。その両手には黒塗りのダガーが握られている。それを見届けて莱香も自分の役目を果たすべく、新たな敵に向かっていった。
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