第73話 全てを喰らう獣

 上空へと飛び立った舜は振り返る事も無く、真っ直ぐに前に進んでいく。翼の羽ばたきに、魔力を上乗せして飛行を続ける舜。奴はとっくに立ち直って、待っている。舜がやってくるのを……



 そこに辿り着く前に、舜にはもう一つやる事があった。



(……フォーティア様。聞こえているのは解っています。返事をして頂けますか?)


(あ……シュ、シュン……。その、お、怒ってるの……?)



 仮にも神のくせに、こちらにおもねるようなビクビクしたその声を聞いた舜は、静かな怒りが湧いてくるのを自覚した。


(ええ……怒っています。それも物凄くね)

(……ッ!)


(俺は必死に神術を訓練して……何とか自力でやっていくつもりでした。莱香を巻き込むなんて話、一切聞いてないし、予想もしていなかった!)


(う……ご、ごめんなさい。でも……)


(勿論フォーティア様なりの理由があったんでしょう。からくりは解りませんが、莱香に触れる事で俺は男に戻って、また魔法も使えるようになった。それに莱香と思いがけず再会できた事は、確かに嬉しかった)


(シュン……)


(でも、それとこれとは話が別です!)

(……ッ)


(しかも呼び寄せるだけ呼び寄せて、莱香をあんな危険な場所に放置するなんて正気ですか!? 何か一歩でも掛け違っていたら、再会する事も出来ずに、莱香は死んでいたんですよ!? 解っているんですか!?)


(ご、ごめんなさい。あいつに……セトに察知されて、妨害を受けてしまったの。それで……)


(はぁ……。俺の時といい、妨害を受けてばかりですよね、あなたは)

(う……)


 声しか聞こえないが、しょんぼりと項垂うなだれている様が、容易に想像出来る。本当に神なんだろうか、と心配になってしまう。舜は溜息を吐いた。とりあえず言いたい事は言った。これはけじめだ。


(はあ、もういいです。こんな事言いたくありませんけど、反省して二度とこういう事が起きないようにして下さい。いいですね?)


(も、勿論よ! 勇気の女神フォーティアの名に懸けて誓うわ!)


 随分ビクついた勇気の女神もいたものだ、と内心思ったが、念話には混ぜないでおく。


(さて、それじゃそろそろ着きます。あのセトに横槍を入れられないようにお願いしますよ?)


(任せて。……絶対に死なないで、シュン)


 それを最後に念話は途切れた。舜は眼下に仁王立ちして待ち構える巨大な影を認めた。梅木だ。翼をはためかせながら、奴の眼前に着地する。







「……わざわざ待っててくれるなんて意外だな。てっきり怒り狂って突進してくると思っていたけど」


「怒り狂って? ああ、そうさ。俺は今、怒り狂っている。ただしお前に殴り飛ばされた事にじゃない」


 梅木は舜の全身を睨み付けた。そこにはあの気色悪い舐め回すような視線はなく、純粋な憤怒の感情のみが浮かんでいた。


「何だ、その姿は・・・・? 女、だと? ふざけるな! すぐに元に戻れっ!」

「……!」


 梅木の怒りの理由を察した舜は、あざ笑うように口の端を吊り上げた。




「ふん、どうした? 女相手だと怖くてアレが勃たないか? ……『童貞くん』?」




 わざと強調するように言ってやると、梅木の身体がビクッと震えた。


「……シュン、お前」


「俺が何も知らないと思ってたか? いつだったか、金城と吉川がそう言って、お前の事馬鹿にして笑ってたぞ?」

「……!」


「あの5人で風俗に行った時、お前だけ勃たなかった・・・・・・そうじゃないか? 風俗嬢に笑われたらしいな? 「あの」浅井ですらやったっていうのに! もしかしてお前が女を憎むようになったきっかけって……」




「ヌガァァァァァッ!!」




 咆哮。そして突進。激情のまま振るわれた剛腕を飛び退って躱す。地面に激突した拳は、轟音や衝撃と共に小規模なクレーターを形成する。まるで彼の怒りを表すかのように……



「ははっ! 図星かよっ! ダサい奴だな、お前!」



 今の舜の怜悧な女声で浴びせかけられる嘲笑は、梅木の自尊心をズタズタに引き裂いた。



「殺す! 殺すっ! 殺してやるぅっ!!」





 梅木の身体が赤紫に発光し、球状の光に包まれる。来た。



 〈神化〉だ。



 この球状の光は、「変身中」の〈神化種〉を守る防壁でもあるのだ。今攻撃しても無駄だろう。どうせこの展開は避けられないのだ。それならこちらの任意のタイミングで来てもらった方がいい。それが梅木を挑発した理由だ。



「ウゴオォォォオォォッ!!」



 野獣の咆哮と共に起きる光の爆発。やがて光の奔流が収まった時、そこにいたのは――――





 ――巨人。一言で言えばそうなる。




 体長は……軽く10メートルを超えている。15メートル位あるかも知れない。元の姿の時もそうだったが、同じ数字でも長さとして見ると大した数字ではなくとも、高さとなると途轍もない巨大さに写る。それが5倍近い数値となれば、威圧感も5倍増しだ。


 基本的なフォルムは、元の獣人梅木をそのまま巨大化させたような感じだ。その為、体長に見合うだけの横幅の厚みも増しており、体重は最早考えたくもない数値であろう。


 その凄まじい重量を支えているのは、骨格や筋肉だけでなく、魔力の存在が大きいだろう。膨大というのも愚かしい程の横溢する魔力によって、その巨体でも高速挙動を可能にしているのだ。


 そのまま巨大化と言っても、細部には違いがあり、両手の鉤爪はより禍々しい形状に進化しており、肩や肘、膝などの関節部分に角のような突起が突き出し、全体的により凶悪そうなフォルムになっている。また頭の2本の角は、それだけで破城槌になりそうな、太さ、大きさになっていた。






「……それが、お前の〈神化種〉としての姿か」


「そうだ。セト様は『べヒモス』と呼んでいた。これが俺の『力』だ」


「べヒモス……」


 それは神話に出てくる、全てを喰らいつくす怪物の名前。そして、神話の怪物が動き出す。




「覚悟はいいな? お前は俺を本気で怒らせた。楽には殺さん……原型を留めない程の肉塊に変えてやる。そしてその後、あの女共も残らず喰らってやろう」


「怒らせた……? それはこっちのセリフだ」


 その言葉と共に、舜の身体から更なる魔力が奔流となって噴き出る。まるで舜の怒りを代弁するかのように。



「お前は自分の欲望を満たす為だけに、莱香を傷つけ殺しかけた。お前だけは絶対に許さない……。俺が、お前を……もう一度殺してやる」




「ほざけぇっ!!」




 梅木が巨腕を振るう。10メートルを超える巨体とは思えないような速さであった。叩きつけられた拳は地面を深く大きく陥没させ、先程とは比較にならないような巨大なクレーターを作り出す。


「……!」


 速いと言ってもこれだけの巨体だ。相対的に動きはかなり遅くなっている。舜は余裕を持ってその拳撃を躱した……と思った直後、地面を叩いた際に発生した衝撃波が二次被害となって周囲に、轟音と大量の土砂と共にまき散らされる。


「ちっ……!」


 舜は咄嗟に結界を張って防ぐが、結界越しにも凄まじい衝撃を感じた。舜の強固な結界に亀裂が走る。


「なにっ!?」


 思わず目を瞠る舜。そこに土砂と粉塵を割るようにして迫る、梅木の巨大な拳。それは初戦の再現の如き展開であった。


(……させるか!)


 結界が砕かれる事を予期した舜は、自発的に結界を解いて、翼と魔力で上空に飛び上がった。土砂の残滓が舜の身体をくまなく打ち据えるが、神化種となった舜には大した痛手ではない。強引に突っ切って梅木の巨体を見下ろせる位の高さまで上昇する。


「…………」


 上空から見るとよく解るが、まるで少隕石でも衝突したかと思う程の、馬鹿げた規模のクレーターが出来上がっていた。一発ごとの攻撃力は舜を遥かに上回っているのは間違いない。




(馬鹿げた威力だな……。でも、当たらない大砲なんて何の意味もない!)




 更に梅木は攻撃魔法が……つまり遠距離攻撃は不得手だ。上空の、奴が届かない高さから一方的に魔法を叩き込んでやろうと、魔力を練り上げる。舜が両手を掲げると、その先に特大の火球が形成される。その大きさは……直径が20メートルはある。つまり梅木の巨体がすっぽりと収まってしまう程の、超特大火球だ。



「く、らえぇぇぇっ!」



 舜が両手を振り下ろすと、それに合わせて超特大火球が轟音を上げながら、梅木に向かって落下していく。そこまで速い速度では無いが、梅木もスピードは落ちているので躱される心配は薄い。果たして梅木は回避しようとはせず、両腕を顔の前でクロスさせるようにして、防御態勢を取った。




 ――ズズウゥゥゥゥンッ!




 梅木の先制攻撃にも劣らない規模の轟音と共に、対象に接触した火球が爆発する。爆発の規模は凄まじく、あっという間に梅木の巨体を覆い尽くし、巨大な火柱を立ち昇らせる。

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