第55話 〈御使い〉の捜索!?
執務室を後にした莱香は、クリスタに連れられて昨日案内された個室へと戻っていた。
「クリスタさん、私、その……」
「……いいのよ。元々伯爵様も無理に聞き出すつもりは無かった筈だから」
「そ、そうなんですか……?」
「ええ、確かにあなたを〈王〉に献上するなり、あなたを人質にしてその〈御使い〉を倒すなりすれば大手柄でしょうけど、あの方は絶対そのようなやり方を好まないわ」
「…………」
もしヴォルフがその気になれば、いくら莱香が黙秘しようとしても、容易く口を割らされていただろう。また彼は莱香の嘘を見抜いていたのだから、莱香の意思など構わずに〈王〉に報告する事も出来た。いや、普通はそうなっていて然るべきだ。
つまり完全に彼の好意――慈悲によって救われたのだ。
(わ、私……あの人の慈悲に一方的に助けられてる……。あの人は舜の……つまりは私にとっても敵なのかも知れないのに……)
その事実に心が苦しくなる。自身の感情に莱香は戸惑った。
「……ふふ、さあ、疲れたでしょうし、今日はもういいわ。今日一日、ゆっくり休みなさい。この屋敷の中なら自由にしていいわ。……ただし、まだ屋敷から一人で出るのは駄目よ?」
クリスタが念を押してくる。
「私達は伯爵様に正式に身請けされているから、他の〈市民〉達が手を出してくる事はまず無いわ。だから用事の時は単独での外出も可能だけど、あなたはそうじゃない。迂闊に街に出たら、どんなトラブルに巻き込まれるか解らないから」
「……!」
確かにその通りだ。今の莱香は、ただヴォルフに「尋問」の為に連行されているだけの、言ってみれば「捕虜」に過ぎないのだ。莱香が連行される時は他の進化種もいたし、莱香がヴォルフの「所有物」ではないとバレると、色々マズい事になりそうだ。
進化種の社会に於いては、基本的に全ての奴隷はまず〈王〉の所有物扱いとなり、そこから王都や各街に「分配」される。分配された奴隷は、その街ごとの「共有資産」となり、〈市民〉は個人で奴隷を所有する事は出来ない。個人で奴隷を「所有」出来るのは、ヴォルフのような〈貴族〉だけであり、一度貴族が身請けした奴隷は、基本的にはその貴族自身が死亡するか、所有権を放棄しない限り、〈市民〉が手を出す事は出来ないのだ。
だが今の莱香はヴォルフが身請けしている訳ではなく、更に言えば〈王〉の所有物――つまりは「資産」ですらない。〈市民〉達がどう扱おうと、誰にも処罰される事が無い、非常に危うい立ち位置という訳だ。
因みに〈市民〉達が、危険な神膜内に遠征し、略奪や襲撃に勤しむのはこの為でもある。まだ「資産」となっていない女達をどう扱おうと、自分達の自由になるからだ。
改めて、今の自分の立場の危うさを自覚した莱香は、大人しくしている事をクリスタに誓った。
結局その日は、言われた通り大人しく屋敷で休養を取った。屋敷の中なら自由にしていいと言われたので、暇つぶしに散策してみた。
それなりに広い屋敷で、慣れない莱香は幾度か迷いそうになり、その度に他の「メイド」達に助けられた。彼女達もクリスタと殆ど同じ身の上で、ヴォルフに身請けされてからようやく人並みの生活が出来るようになって、皆多少の打算はあっても、ヴォルフを敬愛しているのは間違いないようだ。
食事を摂ってから部屋へ戻った莱香は、窓から見えるアビュドスの街並みを見下ろす。
「…………」
日中の明るい時間帯である為、街の様子がよく見える。通りには相変わらず、異形の獣人達が大勢行き交っていた。初めて来た時に見た、ストリップバーの建物が見える。今日もあの女性達はあそこで卑猥なショーを強要されているのだろうか。またクリスタに教えられた所によると、街の一角には娼館街があり、そこは真っ昼間から〈市民〉達が通い詰めて、街の「共有資産」である女性達を抱いたり、甚振ったりしているのだという。
しかしクリスタによると、それでもこの街はヴォルフのお陰で、まだ「治安」が良い方らしい。王都や他の街、ましてや他の国となると、文字通り地獄のような街もあるとの事だった。
「……っ!」
莱香は居たたまれなくなって目を逸らす。
(もう……日本には戻れないのかな……? 戻っても、何もいい事なんか無いけど……それでも……。舜……本当にこの世界にいるのよね? 会いたい。会いたいよ……。会って、今までの事、謝りたい)
故郷の事、舜の事などを考えている内に強烈なホームシックに掛かり、涙が込み上げてきてしまった莱香は、そのままベッドに潜り込むと、声を押し殺して泣き続けた……。
翌日。ヴォルフの声が聞こえたので一階に降りてみると、正面玄関ホールでクリスタを始めとする「メイド」達と、何やらやりとりをしていた。要約すると、これから巡回の任務で数日街を空ける事になるようだ。
クリスタ達はその見送りに来ていたのだ。
階段に降りてきていた莱香は、ヴォルフと目が合った。するとヴォルフが手招きしてきた。
「丁度いい。ライカよ、これから私は巡回の任務で2、3日屋敷を空ける。留守の間の事はクリスタに任せる。彼女の言う事をよく聞くようにな」
「は、はい……。あの巡回の任務って?」
「基本的には周辺に危険な魔獣がいないかを確認し、いれば排除する……というのが通常なのだが、今回はそれに加えて別の目的もあってな」
「別の目的?」
莱香が聞き返すと、ヴォルフは少し言い難そうにしながらも、教えてくれた。
「……実はお前を発見する少し前の事だが、非常に大規模な神術による索敵を探知したのだ」
「え……神術って確か……」
「うむ……。クィンダムの女達が使う、魔法に似た能力の総称だ」
「……!」
「通常なら大した脅威でもないのだが、あれ程に広範囲かつ高密度な神術による索敵は、未だかつて無かった。……となると当然だが、それを〈御使い〉の仕業だと警戒する意見が多くてな」
「なっ……!?」
〈御使い〉とは――暫定的だが――舜の事である筈だ。
(舜が……広範囲の索敵? まさか……私を探している……? そうなの、舜!?)
周囲の視線も忘れて、思わず動揺する莱香。それは嬉しさと……反面歯がゆさでもあったか。自分が……自分の存在が、舜に迷惑を掛けてしまっているのではないか、と危惧したのだ。
ヴォルフはその様子を見て、かぶりを振る。
「……その為、一応警戒のためにこの近隣の街の〈貴族〉達が合同で、巡回探知に当たる事となった。仮に不審な人物を発見した場合は……戦闘による排除を行う事になる」
「……ッ!!」
思わず制止の声を上げそうになって、すんでの所で踏み止まる。自分は舜とは、〈御使い〉とは「無関係」の人間なのだから、止めに入る事は出来ない。
莱香は拳を握りしめ、唇をグッと噛みしめる。ヴォルフはその様子を眺めていたが、やがて目を逸らして、クリスタの方に向き直った。
「……そういう訳で、行ってくる。クリスタ、留守の間は頼むぞ」
「……はい。行ってらっしゃいませ」
「うむ……」
そしてヴォルフは出立していった。場合によっては舜を発見し、そして殺す為に……。
(舜……お願い、早まらないで……)
彼女に出来る事は、ただヴォルフ達と舜が遭遇しないよう、祈る事だけであった。余りにも無力だった……。
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