第31話 満たされた器

        ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「くそ! くそ! くそぉ!」


 レベッカは渾身の力を込めて藻掻くが、手首と足首を拘束する繊維は、僅かに緩む気配すら無かった。


 眼前では大量の眷属に囲まれたシュンが、傷だらけの身体で、襲いかかる眷属達を必死にさばいている。普段なら眷属程度に遅れを取る事は無い筈だが、今のシュンには捌くだけで精一杯である。


 それでも眷属だけが相手ならまだ対処可能であったろうが、眷属に紛れるようにしてレグバが大鎌で攻撃してくる。魔法で強化された速度で辛うじて躱すシュンだが、完全には躱しきれずに、体中に切り傷が増えていく。


(何だ、これは……? 目の前で傷だらけのシュンが1人で戦っているのに、何故無傷の私達が、ここでただそれを眺めているんだ……?)


 今すぐシュンに加勢しなければならない。苦手意識など関係ない。群がる眷属を蹴散らして、レグバに斬りかかるのだ。リズベットとロアンナを加えた3人で掛かれば、〈貴族〉とだって戦える筈なのだ。

 それなのに――――


「く……そぉぉぉぉぉっ!」


 ――手足に巻き付く拘束がそれを許さない。もどかしさの余り全身の血が沸騰しそうな程であった。


「リズゥッ! 何とか……何とかしろぉ! お前の神力でこいつを解けないのか!?」


 もどかしさから来る苛立ちを、同じく十字に磔られているリズベットにぶつけてしまう。リズベットが泣きそうな顔で激しく首を振る。


「先程からずっとやっています! でも……駄目なんです! 込められた魔力が強すぎて……!」


 リズベットの神力でも中和できないとは、一体どれ程の魔力が込められているというのか……。




「貴重だと言ったでしょう? この装置は各国の「王」が直々に作られているのです。あなた方に解けるような物ではありませんよ」


「……ッ!」


 やりとりを聞いたのか、レグバが一旦戦線を離脱して、レベッカ達の元に来ていた。シュンは相変わらず大蛇の群れに嬲られている。


「あなた方に出来るのは、ただ、あの少女が力尽きるのを大人しく見ている事だけです」


「くっ……!」

 レグバの言葉に歯ぎしりするレベッカ。


「……〈貴族〉っていうのは随分臆病者なのねぇ? 『たかが女風情』をこうやって拘束してないと安心出来ないの? そんなにお強いんなら、実力で私達を屈服させて見なさいよ」


 ロアンナがあえて挑発的な言葉を投げかける。〈貴族〉はプライドが高い者が多い。上手く挑発に乗ってくれれば――



「ふふふ、そんな手に乗るほど私が愚かに見えますか? 心配しなくても、あなた方は後でじっくり調教してあげますよ。……私好みの奴隷にね」



 ――僅かな希望も絶たれた。悔しげに顔を歪めるロアンナ。


「それと勘違いされているようですが、これはあなた方の戦力を警戒しての措置ではありませんよ?」


 レグバが当然のように言った。


「これは一種の精神的な拷問なのです。辛いでしょう? 仲間が傷ついて力尽きそうになっているのに、何も出来ずに見ているだけというのは。あなた方は自分の強さに自信があるようですから、尚更効果的だと思いましてねぇ? ま、私の趣味のようなものです」


「……見下げ果てた下衆め」

 レベッカが唸るように罵るが、レグバはどこ吹く風だ。


「ありがとうございます、最高の褒め言葉ですよ。……さて、それではそろそろ仕上げと行きましょうか。あなた方はそこで、自分の無力さを噛み締めながら眺めていて下さい」


「ッ! ま、待ちなさい! お、お願い、待って……!」


 ロアンナが必死に叫ぶが、レグバは無情にもシュンの方に向かっていく。リズベットが悲鳴を上げる。


「ああ! シュン様、逃げて……逃げて下さい!」


 あの怪我で〈貴族〉から逃げられる筈がない。それでも叫ばずにはいられないのだろう。



(くそ……シュン……。頼む……頼む……!)


 最早自分でも何に祈っているのか解らなかったが、レベッカはひたすら祈り続けた。彼女に出来る事はもう、それだけであった……。




        ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 大量の蛇の群れがひっきりなしに襲い掛かってくる。怪我の痛みや出血による疲労が重なって、満足に魔力を練り上げる事も出来ずに、防戦一方となっている舜。


 左足の痛みは最早捻挫かと思う程の激痛で、右肩は満足に動かす事すら出来ない。その他にも身体中に切り傷を付けられ、重なる出血は容赦なく舜の体力を奪い去っていく。

 そこにレグバの魔法が飛ぶ。電撃の魔法だ。舜は半ば条件反射的に結界を張るが、消耗した状態では完全な結界を張るには至らず、電撃の魔法と相殺されてしまう。そこに眷属の牙が迫る。


「ぐぁ……!」


 無事だった右脚の太ももに噛みつかれてしまう。咄嗟に炎で眷属を焼き尽くすが、両足を負傷した舜の動きが目に見えて鈍くなる。


「……勝負ありましたね。もう諦めなさい。ここまで戦い抜いたあなたの健闘ぶりに敬意を表して、苦しまずに殺して差し上げます」


 レグバがそんな事を言ってくる。




 身体中傷だらけだった。その一つ一つが日本にいたのではそう滅多に体験しないような、激痛を伴う深い傷である。最早どれ位出血したかも解らない程の血が流れ、着ていた服はあちこち切り裂かれてボロボロの上に、血にまみれてグッショリと重くなり、酷い有様であった。



 もういい……。これ以上苦しみたくない……。レグバの言葉に頷きそうになる舜。例え死んだ先があの虚無の世界だとしても、今この状況よりはマシだと思ってしまう自分がいた。

 レベッカ達が何か叫んでいるが、それも殆ど聞き取れない程、意識は朦朧としていた。


(もう……疲れたな……。ごめん、レベッカさん……俺、もう……。莱香らいか……死ぬ前にもう一度…………莱香?)


 この世界に来てから目まぐるしい状況の中で、あまり思い出す事もなくなっていた舜の幼馴染。舜の脳裏に、昔はいつも自分を元気づけてくれた年上の幼馴染の顔が鮮烈に浮かび上がった。


(そうだ……! 俺は、まだ……死ねない! やり直すんだ!)


 女神フォーティアとの約束。本来あの倉庫跡で死んでいた自分が、条件付きとは言え、人生をやり直すチャンスを貰えた。こんな……幸運と言うのも愚かしい程の、正に奇跡が起きたと言うのに、結局また苦しみながら死んでいくのか。


(冗談じゃない!)


 朦朧とした意識で焦点のぼやけていた瞳に力が戻る。


 ……と同時に、舜は身体中に不思議な活力がみなぎるのを感じた。まるで安易な死を拒絶した舜の意思に応えるかのように、身体が熱を持ち魔力が急速に充填されていく。


(これは……!?)


 それは強烈な意思によって覚醒した舜の、秘められた力が解放された…………訳ではなかった。





 舜はすっかり失念していたが、今自分達が戦っている場所は要石のすぐ近く……。そう、今この瞬間も多量の魔素を噴き出し続ける、要石のすぐ近くなのだ。


 舜がこの世界に降り立ったのは魔素の薄い「境目」だった。その後、境目で禄に魔力を充填できないまま、すぐに神膜内に入ってしまった。

 そして「魔欠」状態で死にかけ、最低限・・・の魔力だけを補給した状態で、その後も長く神膜外に留まる事なく、移動や戦闘を続けてばかりであった。


 言ってみれば今までの舜は……「大きなコップを持ちながら、底面すれすれにしか水が溜まっていない状態」のまま、戦い続けていたのである。

 そこに要石という蛇口から、勢い良く水を注ぎ込まれればどうなるか――――




 舜の身体が光ったと思うと、次の瞬間にその身体から吹き出るように、逆巻く炎の渦が立ち昇った。それは舜を取り囲む50匹近い眷属を丸ごと飲み込むような、巨大な渦であった。


 炎が収まった時には……そこにいた筈の眷属は1匹残らず消滅していた。咄嗟に結界の魔法で防御したレグバを除いて……。


「な……な……何ですか、この馬鹿げた魔力は!? 〈公爵〉級? いえ、もしかすると……。そんな、そんな事は……あり得ません!」


 激しく動揺するレグバを尻目に、舜は手を掲げ、自分の身体を信じられない物でも見るように眺めた。痛みが……引いている。完治したという程ではないが、先程までの生きる事を疎んじてしまうような苦痛は、嘘のように消えていた。

 たった今強大な魔法を行使したというのに、魔力は殆ど減っていない所か、後から後から溢れてくるような感覚だ。


「これが……フォーティア様から貰った、俺の、本来の力……?」


 呆然としたように呟く舜。改めてフォーティアという女神の偉大さを認識した。



「かあぁぁぁぁぁっ!」


 レグバが大鎌を振り上げて突進してくる。……遅い。まるでスローモーションを見ているかのようだった。今まで感覚が追いついていなかった超加速に、感覚の方も順応しているのだ。


 軽々と斬撃を避けると、大きく距離を取る。先程まで怪我で動かなかった右手をレグバに向けて翳す。

 右手に凄まじい熱量が集まってくる。それは、火球の魔法など比較にならないような熱量だった。集まる膨大な魔力に呼応したように、大気が震える。


「……!」

 レグバが結界の魔法を発動させる。構わずに舜は魔法を放つ。


 その手から一条の光線が放たれる。とてつもない熱量を内包した、あらゆる物を溶かし焼き切る熱線。それは真っ直ぐレグバに伸びていき――


「ゲハァッ!」


 ――あっさりとその結界を突き破り、レグバの身体を上下に分断した。


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