第26話 冷血の王国

 アストラン王国は、クィンダムから見て西に広がる巨大な湿原のほぼ全域がその国土であり、パツクァロの樹海と呼ばれる密林を内包している。

 高温多湿な環境で、歩く度に淀んだ生ぬるい空気がかき乱される。日本にいた時からじめじめした環境が嫌いだった舜は、思わず顔をしかめる。


(うう……。あんまり居心地のいい場所じゃないよな……。服を替えてきて正解だったな)


 今の舜は、高校の制服ではなく、リズベットに用立てて貰ったこの世界の服を着ていた。袖や裾口の広がった通気性の良いデザインと素材で、このような気候でも余り着苦しさは感じない。これが制服のままだったら、今頃大変な事になっていただろう。


 因みに、武器や防具の類いは身に付けていなかった。攻撃手段は魔法があるし、付け焼き刃で武器を持っていた所で役に立たないばかりか、危険ですらあるからだ。それにいざとなれば自前で魔力の武器を精製できる。


 防具も舜の体力的な問題から、下手に慣れない防具を身に着けていると、かえって動きを阻害してしまう可能性があるとレベッカから指摘されて、見送りとなった。

 どの道今は、武器防具の調整や習熟に割いている時間がない。女王の容態は悪化の一途を辿っており、最早一刻の猶予もない状況だった。


 とりあえず要石を1つでも破壊すれば最悪の状態は免れる事を、舜は転送知識で知っていたので、まずはロアンナの見た要石を破壊して、「戦況」を小康状態に戻す事を目標とする。

 その為舜達は、あの後王都へ戻るとそれぞれの部下達に事情の説明や、仕事の引き継ぎを行い、準備を済ませると、慌ただしく今回の作戦へと出発したのであった。




 それでも出立の際には、事情を知る神官や戦士達が総出で見送りに来ていた。付いて来いと言われなかった事に安堵し満面の笑顔で、「留守中はお任せ下さい!」、と意気込んでいたヴァローナとは対照的に、ミリアリアは最後まで同行を希望してきた。

 その根底には、いきなり出てきて、尊敬する2人の上司と対等に振る舞うロアンナへの不満と対抗意識があるようだった。


 この時リズベットとレベッカが、何とか婉曲的な表現で辞退させようと苦心していた所に、ロアンナが冷たい声ではっきりと「足手まとい」「かえって邪魔」と断じてしまった事で、激昂したミリアリアがロアンナに剣で斬りかかるというアクシデントが発生した。


 ――結果としてロアンナは武器を抜く事すらなく、素手でミリアリアをあしらい、いとも容易く組み伏せてしまった。悔しさのあまり泣いて暴れるミリアリアを当て身で気絶させると、ロアンナは呆気にとられているヴァローナに、気絶したミリアリアの介抱と慰撫を押し付けた。


 部下を簡単にのされたレベッカが、苦虫を噛み潰したように顔をしかめていたが、強引な手段ではあってもミリアリアを止めてくれたのは事実である為、何も言わずに押し黙っていた。

 そんな一幕を挟みつつ、一行は無事(?)にアストラン王国へと出立していったのだった……。



****




「く……何とも不快な場所だな。気のせいか……何やら息苦しい感じがするぞ」


 レベッカがぼやく。まだ境目を越えて間もないというのに、既に彼女の身体はじっとりと汗で濡れ光っていた。大胆なビキニアーマー姿に汗が良く映える。


「あら、情けないわねぇ? もう音を上げたの?」


 先頭を歩くロアンナがそう言って振り返る。ただその彼女も口調ほど気にしていない訳ではなく、その革ビキニに包まれた褐色の肉体は、全身汗ばんでおり、顔も不快げに歪められていた。


「……2人共、こんな所で言い争いはやめて下さいね? ここはもう敵地なんですから……」


 リズベットが2人をたしなめる。リズベットの姿は最も破壊力に満ちていた。彼女は篭手や脛当てなどは金属製だが、胴体には白い布の法衣を巻きつけているだけなので、豊かな胸に突き上げられた布地が汗で透けかかっていた。いわゆるブラの類いを着けていないので、もう少し透けたら胸の先端にあるピンク色の突起が見えてしまいそうである。


 そんな状況ではないと思いつつも思春期男子の性か、つい目が行ってしまう舜である。それに目ざとく気付いたロアンナが、からかうように声を掛けてくる。


「あらあら……うふふ、男のコにはちょっと刺激が強い光景かしらねぇ、シュン?」


「ロ、ロアンナさん……」


 するとロアンナと口喧嘩するよりは建設的だと思ったのか、レベッカも乗ってくる。


「ほう……? シュンはリズのようなタイプが好みなのか?」


「い、いえ……その、好みというか……」


 恥ずかしい場面を見られた事で、バツの悪い舜が赤面する。

 リズベットも事情を察して、同じように頬を赤らめる。


「シュ、シュン様……。そ、その、恥ずかしいのであまり見ないで下さいまし……」


「! す、すみません……!」

 舜は慌ててリズベットから目を逸らす。そして雑念を振り払うように、周囲の魔力探知に集中する。



 因みに女性達の舜に対する呼び方が変化しているが、これは舜自身から頼んだ事であった。切欠は王都への移動中に、ロアンナが舜の事をフランクに名前で呼んできた事にあった。


 リズベットが眉をしかめて注意しようとした時に、いい機会だと思った舜が、他の人にも気軽に名前で呼んで欲しいと伝えたのだ。

 殿様付けで呼ばれる事には最初から違和感を感じていたのだが、今まで中々言い出すタイミングが掴めなかった。


 体質上の理由と、自殺という条件が重なってフォーティアに選ばれただけで、舜自身はそんな年上の大人達から、畏まって敬称で呼ばれるような大層な人間では全くないのだ。


 舜の意図を汲み取ったレベッカもすぐに呼び名を改めてくれた。元々畏まった呼び方は、自身も窮屈に感じていたとの事だった。

 リズベットだけは頑なに敬称を省こうとしなかったが、考えてみれば彼女はロアンナの事も様付けで呼んでいた。これはもうそういう性格なのだと思うしかなかった。

 しかしそれでも苗字ではなく、名前の方で呼んでくれるようになったので、彼女も舜の意思を汲み取ってはくれているようだ。


 尚、舜からの呼び名は特に変わっていなかった。幼馴染の莱香は別として、年上の大人の女性を呼び捨てにするというのは、違和感が大き過ぎたのだ。



****



 そうして樹海の道なき道を進んでいると、舜の魔力探知に引っかかる存在があった。


「……!」


 舜が気付くとほぼ同時にロアンナも足を止めて、油断なく周囲を警戒し始めた。その様子にレベッカ達も、無言で表情を引き締める。

 周囲を見渡したロアンナが、無言で近くに生えていた大木の根本を指示する。根が地面より隆起していて、何人かが身を隠すのに、丁度良いスペースとなっている。全員が根本に隠れる。


「シュン……数は判る?」

 ロアンナの確認に頷く。


「……数は、9人。多分、全員〈市民〉だと思います……」


「通常の巡回ってとこかしら……。魔法による探知は、連中に察知されないから便利よねぇ」


 神術による索敵だと、魔力と神力が反発し合う為、敵にも違和感を与えて警戒されてしまうという難点がある。その点、同質の魔力による探知は、進化種に違和感を与える事がなく、察知されにくい。


 それはつまり敵の魔力探知に舜も気付けないという事だが、こちらには神術の使い手が3人もいる。逆に魔法による探知は、彼女達に違和感を与えるのだ。


「全員〈市民〉なら、その程度の数、問題あるまい。待ち伏せて一気に仕掛けるか?」


 レベッカが剣を抜きつつ、聞いてくる。やる気は充分のようだ。


 リズベットが慎重案を提示する。

「潜入中なのですから、やり過ごすという選択肢もありますが……」


 因みに彼女の武器は、見るからに凶悪そうなトゲが無数に突き出た、柄のついた棍棒のような代物であった。一応メイスらしいのだが、舜の初見の感想は、何と言うか……核戦争後の世界で、モヒカンと肩パッドのヒャッハーな男達が持っていそうな武器、というものであった。


 ロアンナがかぶりを振る。


「……私が見た要石はここからそう遠くない場所にあるわ。連中の巡回ルートも解らないし、後顧の憂いは断っておくべきね」


 全員が舜の方を見た。舜は少し考えてから決断を下した。


「……ここで倒しましょう。ロアンナさんの言う通り、可能な限り心配事は少ない方がいいですから」


 日本では松岡達を殺し、この世界に来てすぐ蜘蛛男も手に掛けた。既に腹は決まっている。舜には目的があるのだ。その為ならこの手を汚す事をいとう気はない。いつか見た悪夢の内容を振り払い、舜は決断した。


 ロアンナが舜のその顔を見て、意外そうに目を瞬かせたが、やがて妖艶な笑みを浮かべた。


「ふふ……いい顔ね。頼もしいわ。それじゃあ作戦を立てましょうか……?」





そして〈市民〉達が攻撃圏内に入ってくる。まだこちらには気付いていないようだ。1人も逃がせないので、一気に片を付けなければならない。


 ロアンナが弓を構える。見通しが悪く、遮蔽物の多い地形だ。狙撃で減らせるのは最初の1人だけだろう。

 魔力探知で慎重に気配を探り、ギリギリまで引きつける。そして……舜は合図を出す。襲撃開始だ!


 潜伏場所から飛び出たロアンナが瞬速の矢を放つ。ピースの矢は、先頭を歩いていた蜥蜴とかげ人の眉間に深々と突き刺さった。


 残りの〈市民〉は、蜥蜴人とかえる人が4人ずつだ。


 爬虫種は種族のタイプが少なく、〈市民〉は全て蜥蜴人と蛙人のみで占められていた。尚、蛙は爬虫類ではないものの、進化種の種族上は爬虫種として扱われている。


 ほぼ同時にレベッカとリズベットが〈市民〉達の只中に突入を掛ける。一応巡回を任務としていただけあり、〈市民〉達が驚きに硬直していた時間は一瞬だった。素早く散開すると、蜥蜴人と蛙人の2人ずつが迎撃に回ってきた。残りの4人は一目散に元来た方向に逃げ始めた。


 拠点としている場所へ敵襲を報せる腹積もりだろう。どの道木々の乱立する樹海では、大人数の戦闘は不向きだ。何か不測の事態があった時はこのように行動する手筈になっていたと思われる、迷いのない動きだった。


「シュン! こちらは任せろ!」


 レベッカの鋭い声に、舜も自分の役割を自覚する。逃げた連中に追いつけるのは舜だけだ。それに舜の魔法は、精度的にまだまだ乱戦は不向きである。

 頷いた舜は、強化魔法を全開にし、足止めに残った〈市民〉達の目にも留まらぬ速さで突っ切り、逃げる敵を追い掛けて行った……。

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