女の国の救世主(改訂版)

ビジョン

第一章 暴竜

第1話 復讐

 ひいらぎしゅんは美しい少年だった。いや、予め彼を知っている者でなければ、ひと目見て彼を男性だと思う者は殆どいないだろう。端正で優美な顔立ち、柔らかな輪郭、今時の高校生にしては低めの身長や線の細い体型もそれに拍車を掛けている。

 

 平凡な女子高生であれば嫉妬を覚えてもおかしくないその美貌が、今は激しい興奮と肉体的及び精神的な疲労によって見るも無残に引きっていた。



「はぁ! はぁ! はぁ!」



 荒い息を吐く舜は滝のような汗と、――返り血に塗れていた。その両手に固く握りしめられている小振りのナイフもやはり血がべっとりと付着していた。


 夕暮れ時。滅多に人も寄り付かないような寂れた倉庫跡。興奮に震える手で未だナイフを握りしめている舜の前には、大きな血溜まりが広がっていた。そしてその足元には血溜まりを作っている原因――4人の少年達が倒れ伏していた。増え続ける血溜まりの量は少年達の人数を考慮しても尚、致命の失血量であった。


 4人は、腹や胸を抉られ苦悶の表情のまま息絶えていた。苦悶であると同時に、信じられない物を見るような表情でもあった。



(や、やった……! とうとう、やってしまった……!)



 舜もまた、激情に任せた自らの行いの結果を、信じられない物でも見るかのように、否、これが全て夢でもあるかのような心地で眺めていた。その時――。



 ガタンッ!!



 倉庫内に響き渡るような金属音に、舜はハッと現実の世界に戻ってくる。音の発生源を見やると、無造作に立てかけられていた廃材を盛大に床に散乱させながら、一人の少年が這いずりながら出口へと逃げていく所だった。


 その哀れな姿に、舜の中に同情の心が芽生えかけるが、その少年が今まで舜にやってきた事を思い出すと、再び舜の中に他の4人を手に掛けた時の激情が荒れ狂った。


(そうだ……。まだ終わっていない……!)


 舜はナイフを持ったまま、右の太ももから血を流し這いずるようにして逃げる最後の標的、松岡まつおか英樹ひできの後を追った。


 舜が追ってきたのを悟ると松岡は恥も外聞もなく大声を上げて助けを呼んだ。しかしここは人気のない雑木林に埋没しかけた倉庫跡。その叫びを聞き届ける者は誰もいない。


 皮肉な事に、「人目につかない場所」へ舜を連れ込んだのは彼ら自身であった。



「くそ! 頼む、シュン……! 俺が悪かった! だ、だから、頼む……!」



 いかつい顔を涙とよだれでグチャグチャにし、普段の暴君振りからは考えられないような哀れっぽい声で命乞いする松岡。しかし激情に身を任せ、また松岡の取り巻き達をその手に掛けた事で一線を超えてしまった舜は一種のそう状態にあった。


「お前は、俺がやめてくれって頼んだとき、一度でもやめてくれた事があったか?」


 自分でもゾッとするような冷たい声が、自身の唇から自然と発せられた。普段松岡を始めとしたクラスメイト達に、声まで女みたいだなと評せられる美声はそこに無かった。


「そ、それは……。で、でも、たかがいじめだろ!? い、いや、ちょっとからかってただけじゃねえかよぉ! 頼むよ、許してくれぇ!」


 舜はかぶりを振った。結局彼らは……踏みにじる側はその程度の認識だったのだ。だから「獲物」が反撃する事も、ましてや殺意を抱くなんてあり得ない事なのだ。何故なら「ちょっとからかってただけ」なのだから。


「そうかよ。お前らにとってはその程度なんだな」


 もう松岡と噛み合わない会話をする気は無かった。どの道後には引けないのだ。舜はナイフを振りかぶった。しかし――



「くそがぁ!」

「――ッ!?」



 窮鼠猫きゅうそねこを噛む。松岡がそれまでの態度とその怪我からは考えられないような敏捷さで上体を起こすと、舜に掴みかかって来た。精神的にはクズだが、肉体的には180センチを超える長身と100キロ近い体重の恵まれた体格であり、更に柔道部の次期主将と目されている程の強さを誇る松岡である。揉み合いとなれば圧倒的に舜が不利であった。

 たちまちの内に地面に押し倒され馬乗りにされる舜。狂乱した松岡の両手が舜の細い首に掛かる。


(くそ、油断した! でも……!)


 防衛本能に我を忘れた松岡は、舜の手にナイフが握られている事を失念していた。凄まじい握力によって首を圧迫されながらも、舜は右手に持ったナイフで松岡の脇腹を刺しえぐった。獣のような咆哮ほうこうと共に首への圧力が弱まる。舜は無我夢中でナイフを繰り返し刺し続けた。



****



 ――時間にすれば一分にも満たない短い間の攻防であっただろう。舜が我に返った時には松岡は既に事切れていた。その巨体を舜に覆いかぶせるようにして弛緩しており、両手だけは未だに未練がましく舜の首に巻き付けられたままであった。松岡の脇腹から流れる大量の血液が、舜の元々返り血が跳ねていたYシャツを更に赤黒く染め上げていく。


 松岡の身体から這い出た舜は暫くの間呆然としていた。興奮による躁状態から徐々に冷静な思考が戻ってくる。それと同時に自分の仕出かした事の大きさに愕然とする。


(何で……こんな事に……)

 

 男子校だった事もあり入学当初から美少女と見紛う舜の容貌は注目を集めていた。それでも一年時はからかいの対象になりながらも何とかやってこれたのだが、2年に進級してクラス替えで松岡達と同じクラスになってから状況が変わった。元々舜の美貌に注目していた松岡は取り巻き達と共に舜に執拗ないじめ――本人曰く「からかい」――を繰り返すようになった。


 松岡はサディスティックな性格で、その恵まれた体格と柔道の強さから彼に意見出来るような存在はおらず、教師すら事なかれ主義を貫き通した。学内に舜の味方は誰もおらず、普段疎遠な親にも相談できず舜は次第に追い詰められていった。


 唯一の救いは一つ上の幼馴染である九条くじょう莱香らいかの存在であった。莱香は気が強く面倒見の良い性格で、舜を弟のように可愛がってくれた。しかし皮肉にもこの莱香との関係性を松岡達に知られた事が決定打となった。


 莱香は近隣の女子校に通う生徒会長であり、学外にも名前が知れ渡る程の美少女でもあった。嗜虐しぎゃく心からのいじめに妬みやそねみが加わり、舜の自尊心を徹底的に打ち砕くような性的ないじめから、命の危険を感じるような虐待まで受けるに至り、遂に――爆発した。



(莱香……俺がこんな事仕出かしたって知ったら、どう思うだろう? 怒るか、悲しむか……それとも怖がられて軽蔑されるかな?)



 姉のように慕う莱香にそんな目を向けられる事は耐えられそうにない。



 どの道5人もの人間を殺してしまった舜にはもう真っ当な人生は閉ざされたと思って良いだろう。そう思うと全てが虚しく思えてきた。



(もう……疲れたな)



 激しい躁状態からの反動による重度のうつと、この先の人生を思った際の絶望で生きる気力が極端に減衰していた舜は、次の瞬間何の躊躇ためらいもなく、持っていたナイフで自らの喉を刺し貫いていた。

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