第2話 剣士エレン、14歳でママになる(後編)

 その日から恥ずかしくて外に出られなくなった。

 

 朝から晩まで部屋に引き籠り、使用人の用意してくれた食事を摂るだけの毎日。

 親としての情けからか、父は屋敷から出ていけとまでは言わなかった。

 ありがたい。

 こんな身体では、とても町を出歩けない。


「まさかあのお嬢様がねぇ……お相手は道場の門下生かしら?」


「どこぞの遊び人にたらしこまれたんじゃないの? あの子、剣術ばかりで男なんて知らなかったんでしょうし、ちょっと優しくされたらすぐその気になるわよ」


「旦那様も気の毒よね。お嬢様に対して、あんなに期待をかけられていたのに」


「まだ事実を認めていないんでしょ? それでなんとかなると思っているんだとしたら、ちょっと世の中を舐め過ぎよね。そんな甘いもんじゃないって分からせてやった方がいいわ」

 

 使用人たちの陰口は、毛布にくるまって聞こえない振りをした。

 どうせ何を言っても彼女たちは信じないのだ。

 いや、私以外の誰も私のことを信じてくれないのだが……道場では、ミルドあたりにどんな風に言われているか、想像もしたくない。


「……まだそこまで大きくはないがな。もう半年ほどで生まれるそうだが」

 

 私は壁に立てかけている大きな姿見の前に立って、映り込んだ自分の身体を眺めた。

 親ゆずりの青い髪に、切れ長の瞳。

 亡くなった母に似ているせいか、美人だと言われることもあるが、正直よく分からない。

 自分の容姿なんて剣の腕には何の関係もないことだから深く考えたこともなかった。

 邪魔くさいのはこの無駄に膨らんだ胸の脂肪だ。

 剣を振るのに邪魔なだけでなく、他の門下生に散々からかわれて嫌な思いをした。

 

 しかし今やその胸以上に目立つのは、ぽっこりと膨らんだ下腹部だった。

 これはもう、剣を振るのに邪魔とかそういうレベルの代物ではない。色々な意味で。


「……一体なんなんだ、お前は。お前のせいで、私の人生は滅茶苦茶だぞ」

 

 頭がおかしくなりそうだった。

 

 私は神に誓って純潔だ。

 鍛錬の日々の中で、男遊びをしていられる暇なんてそもそもなかった。

 それなのになぜ妊娠した? 

 考えられるのは、意識のない内に何者かに致されたという可能性だ。

 しかし私はこれでも剣の達人、寝込みを襲われれば絶対に気付く。

 知らない内に乱暴されるなんて不覚を取る筈がない。

 

 考えれば考えるほど訳が分からなくなっていく。

 誰でもいいから相談したかった。

 こういうとき心から信じあえる友人がいれば、と思うが、剣ばかりに明け暮れてきた私に同年代の友人などいる筈もない。

 いっそ教会の神官様にでも話を聞いてもらおうか――そんな半ば自棄のようなことを考え始めていたとき、部屋の扉がノックされた。


「お嬢様、いらっしゃいますか?」

 

 使用人だった。

 なんだろう? 夕食までにはまだ時間がある筈だが。

 

「何か用か?」


「お嬢様に、お手紙が届いております」


「手紙……?」


「はい。神聖教会の、ディーネ様という方から……」

 

 どこかで聞いたことのあるような名前だった。「……神聖教会? どういうことだ? 私は教会に知人なんていないが」


「そう言われましても……この通り、お手紙が届いておりますので」


「……そうか、ありがとう」

 

 この場で使用人を問い詰めても何にもならない。

 私は礼を言って手紙を受け取り、すぐ封を開けて中身を確認した。


『ご機嫌いかがですか、エレン・アイオライトさん』

 

 そんな書き出しで手紙は始められていた。えらく丁寧な字だ。よく見ると、使われている便箋も随分と高価なものだった。


『突然の手紙にさぞ驚かれていることでしょう。

 エレンさんは、私のことなんて憶えておられないでしょうから。

 

 私はディーネ・ストラトスと申します。

 神聖教会の大神官が一人、セイラ・ストラトスの娘です。

 エレンさんとは4年ほど前に、王宮で開かれたパーティで一度だけお会いしたことがあります。

 もっとも、人見知りの私は母親の背中に隠れているだけで、エレンさんとは一言もお話できなかったのですけど』

 

 そこまで読んで、私は手紙の送り主のことをおぼろげに思い出していた。

 神聖教会の大神官の娘……確かに昔、父に連れていかれたパーティでそんな少女に会った記憶がある。

 親たちが世間話をしている間、ずっと不安そうに母親のドレスの袖を掴んでいた女の子だ。

 ああいった場所で同年代の子供に会う機会は珍しいから印象に残っている……しかし、手紙なんて送られる心当たりは、やはりなかった筈だが。


『このように突然お手紙を差し上げたのにはもちろん理由があります。単刀直入に言って、あなたのお腹の子供のことです』


「……なんだと?」

 

 私は思わず声を上げていた。

 

 どういうことだ? なぜ、教会の人間なんかに私の妊娠が知られている?


『噂を耳にしたのです――我が神聖教会は王国中に支部を持っていますから、大神官の娘である私の所には色々な噂話が聞こえてきます。


 私が聞いた噂は、伝統あるアイオライト流剣術の跡取り娘が、純潔のまま不義の子を孕んだ、というものでした。

 

 もしそれがただの噂なら、この手紙は今すぐにでも破り捨てていただいて構いません。

 

 しかし事実なら、私は是非あなたと会ってお話がしてみたいと思うのです。


 なぜなら、私も一緒だから』


 …………? 

 手紙の意図がまるで分からず、私は戸惑ったまま文章を読み進めていく。


『ある日急に体調が悪くなって、おかしいと思って医者にかかったら、妊娠だと診断された。

 その内にお腹も膨らみ始めた。

 そうですね?

 

 私も一緒なのです。

 私は今、訳も分からないまま母親から勘当されそうになっています。

 結婚もしていない身で、父親の分からない子供を孕んだという理由で。

 

 神の名に誓って私は純潔です。

 子供など出来る筈がありません。

 しかし現実に、私のお腹はもう随分と大きくなってしまいました。

 誰も私の言葉を信じてくれません。

 

 私の言っていること、エレンさんは信じてくださいますよね?

 私も、エレンさんの言うことなら信じてあげられると思います。

 

 お互いに信じ合える関係である私たちは、是非とも一度、直接会って話をしてみるべきだと思いませんか?』


 ……。私は手紙に目を落としたまま固まっていた。

 驚きのあまり、声も出せない。

 すぐに読んだばかりの文章を何度も読み返して確認したが間違いない。

 

 この手紙に書かれていることが本当なら――どうやら私以外にも、処女のまま子供を孕んだ女がいるらしかった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 王国の中心部からやや離れた場所にある神聖教会の支部で、私たちは落ち合うことになった。

 そこならば、人目につく心配もない。

 別にコソコソする必要もないのだが、好奇の視線に晒されるのに辟易しているのは、私も彼女も同じらしかった。


「あ、エレンさん! こちらです!」

 

 私が教会に到着したときには、彼女――ディーネは既に入り口の前に立っていた。


「すまない、途中道に迷ってしまって、到着が遅れた……待たせてしまったか?」


「とんでもない、まだ約束の時間にもなっていませんよ。私が早く来すぎてしまっただけです」

 

 ディーネはそう言って、はにかむように笑った。


「4年ぶりですね、エレンさん。私のこと、思い出してくださいましたか?」

 

 その美しい緑髪と屈託のない笑みは、おぼろげな記憶の中にある彼女の印象とほぼ一致していた。

 対面していて、何の裏表もないだろうと感じさせる邪気のなさ。

 まさに箱入りのお嬢様という風体だが、その笑顔は心なしか4年前よりもくたびれているように見える。


「いや、キミのことは憶えていたよ、ディーネ。パーティの最中、ずっとお母上のスカートの裾をつまんで俯いていた女の子だろう?」


「まあ……それは忘れていただきたいですね」

 

 言われて、ディーネは恥ずかしそうに身体を揺らす――ぽよん、とたったそれだけの動作で胸元が弾んだのが分かった。


「…………」

 一瞬、同性であるにも関わらずその揺れに目を奪われてしまう。

 比較的ゆったりした服を着ているのに膨らみが視認できるというのは相当のものだろう。

 もっとも現在の彼女の容姿で一番に人目を引くのは胸でなく、年齢に不相応に大きくなったその下腹部だろうが。


「…………」


 ディーネもまた、なんとも言えなさそうな視線を私の下腹部に向けていた。

 お互いに、思うところは一緒ということらしい。


「……日ごとに大きくなりますよね、これ。今でも信じられません」

 

 ディーネは、何か得体の知れないものを触るような手つきで自分の下腹部を撫でた。


「でも、良かったです。私の言うことを信じてくださる人がいて。気が付いたら赤ちゃんが出来ていた、そんな心当たりはない。なんて言っても、誰も相手にしてくれませんから」


「そうだろうな……私も自分に同じことが起こっていなかったら、とても信じられない」


 ディーネの表情に浮かぶ隠しようのない疲労の色は、ここ3カ月私を苦しめているそれと全く同じものだった。

 得体の知れないことが自分の身体に起こって、誰にも信じてもらえず、苦しんでいる。

 その辛さは、同じ境遇の人間として痛いほど理解できる。


「ともかく、今日はたっぷり話し合いましょう、エレンさん。どうぞ中に入ってください。エレンさん以外は、もう礼拝堂の方で待たれていますから」


「了解した――ん?」

 

 と、ディーネに促されるまま教会の入り口をくぐろうとした私は、彼女の言葉に違和感をおぼえて足を止めた。


「……中で誰が待っているって?」


「……? ですから、エレンさん以外です」

 

 ディーネはきょとんとした表情で答えた。

 

 ややあって、思い出したように、「あ、すみません、まだお伝えしていませんでしたか? 今日私がお呼びしたのは、エレンさんだけじゃないんです」


「なんだって?」


「私とエレンさんだけじゃないんです、心当たりのない妊娠をした方は。もう3人ほどいらっしゃるんですよ」

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