第1話 剣士エレン、14歳でママになる(前編)

「俺と勝負をしろ、エレン! お前が調子に乗っていられるのも今日までだ!」


 馬鹿がまた因縁をつけてきた。

 道場の中央から私に木剣の切っ先を向けて、挑発しているつもりらしい。

 私はうんざりしながらも仕方なく稽古の手を止め、馬鹿に向き直った。


「……ミルド、いい加減にしてくれ。つい先々週も、キミの相手をしてやったばかりじゃないか。こんな短期間で再戦しても、同じ結果になるだけだと思うぞ?」


「黙れ! あのときはお前が卑怯な手を使ったから不覚を取ったのだ! 本当の実力を出せれば、俺がお前みたいな小娘に負けるわけがない!」

 

 ミルドは金切り声を上げながら、木剣を乱暴に振り回す……道場にいる他の連中は、『また始まった』と言わんばかりにミルドから視線を逸らしている。

 どいつもこいつも、仮にもアイオライト流剣術道場の門下生なら、この馬鹿を窘めるくらいの気概がなくてどうするのか。


「はぁ……分かった。ならさっさとかかってこい。もう昼休憩だし、出来れば手早く済ませたい」


「なっ! ……このっ! 馬鹿にしやがって!」

 

 ミルドは顔を真っ赤にして斬り掛かってくる。

 いつも通りの、勢いに任せただけの雑な打ち込みだ。

 私は身を捻ってそれを回避し、ついでにミルドの脚を軽く引っ掛けてやった。


「う、うわぁぁぁ!」

 

 勢いのまま、面白いように床に転がるミルド。


「き、貴様! また卑怯な手を!」


「何が卑怯なものか。これが真剣勝負なら、真上から急所を貫かれてキミの負けだ」


「戯れ言を! 俺の打ち込みを真正面から受け止めるのが怖いだけの癖に!」

 

 ミルドはまだ諦めていないのか、素早く立ち上がって木剣を構え直した。「お前はいつもそうだ! 自分が負けそうになると、今みたいな卑怯な手を使ってやり過ごす! 師範の一人娘というだけで手に入れた、跡取りの地位を失うのがそんなに恐ろしいか!?」


「……結局それか。キミが因縁をつけてくるときの文句はいつも同じだな」

 

 こう何度も繰り返されると腹も立たない……が、そろそろ本気で痛い目を見せてやった方がいいかもしれない。

 私はともかく、師範――父に今の言葉を聞かれたら、こいつはタダでは済まないだろう。


「いいだろう。そんなに言うなら、私がキミにまともな打ち込みをというものを教えてやる。ほら、構えてみろ」


「――っ!? 貴様、どこまで俺を馬鹿に――」

 

 と、ミルドが言い終わる前には、私はもう斬り掛かっていた

 

 軽く踏み込んで、相手の首めがけて木剣を振るう。ミルドの雑なそれとは違う、目にも止まらぬ速度の、当たれば首の骨が砕けるだろう必殺の一撃だ。


「えっ?」

 

 ミルドは間抜けな声を出すだけで全く反応できていない。

 仕方なく、私は首元で木剣を寸止めしてやった。


「……え? え?」


「理解できたか? 今のが、アイオライト流剣術の正しい打ち込みだ。キミは基本となる型が染み付いていないから、さっきみたいな雑な打ち込みしかできないんだ」

 

 私は木剣を下げて、固まったままのミルドを睨んだ。


「キミは私が女で、師範の娘だということが気に入らないらしいが、そんなことを気にする暇があるならもっと真剣に稽古に打ち込め。私がキミの相手を本気でしてやれないのは、実力差があり過ぎて怪我をさせるのが怖いからだ」


「……う、あ、あ」

 

 ミルドは腰を抜かしたのか、情けなくその場にへたり込む――その直後、いつの間にか私とミルドの周囲を取り囲んでいた門下生連中から、ざわめくような声が上がった。


「す、凄い、動きがまったく見えなかったぞ」「流石はお父上の血を引いているだけのことはあるな……」「近頃は他流試合で負けなしというのも頷ける」「やはり天賦の才か……」


 ……。

 私は大きく息を吸い込み、勝手に稽古の手を止めていた野次馬どもを一喝した。


「お前たち、何をぼーっと見ている! 朝稽古が終わりだとは一言も言っていないぞ!」

 

 言われて、彼らは慌てて木剣を振り始める。


 本当に、どいつもこいつも……さっき言ったことと矛盾するようだが、14歳の小娘に跡取りの座を取られて、悔しくないのだろうか? 

 溜め息をついて、私も自分の稽古を再開した。


 私――エレン・アイオライトは300年続くアイオライト流剣術の跡取り娘だ。

 それに相応しい剣士になれるよう、父から特別に厳しい稽古をつけられている。

 他人からは『天才剣士』だの呼ばれたりもするが、天才かどうかはともかく、人並み以上の努力をしている自負はある。

 ミルドや他の門下生どもとは、剣に対する向き合い方からして違うのだ。

 

 こんなしょうもない奴らに道場内の序列を抜かれることなんて一生ないだろう。

 父の道場は私が守っていかなければ――そのときの私は、何の疑いもなくそんな風に思っていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 それから数日の後、私は体調を崩した。

 

 季節の変わり目で風邪を引いてしまったらしく、稽古もしばらく休むことになった。

 ミルドにあれだけ偉そうなことを言った手前、風邪で寝込むなんて決まりが悪い。

 そもそも風邪なんて引いたのが子供の頃以来のことだった。


 養生していれば数日で治ると考えていたが、これが随分と長引いた。

 全身の倦怠感と吐き気、食欲不振が、いつまで経っても回復しない。

 これはただの風邪ではないのかもしれない、と父に言われて、やむなく医者の診察を受けることになった。

 そんなに大騒ぎするような症状でもないと思ったが、父に言い付けである以上従わない訳にはいかなかった。


「妊娠ですね」


 診察が終わってすぐ、医者にそう言われた。


「…………は?」


 聞いた直後には、言葉の意味が分からなかった。


「……え? 妊娠?」


「はい。赤ん坊が出来たという意味の妊娠です。エレン様のお腹には今、新しい命が宿っています。間違いありません」


 医者は私の方を見て、苦笑いを浮かべていた。


「おめでとうございます……と、言っていいのかは分かりませんが」


「……は? えっ?」

 

 いや、丁寧に説明されても、やはり意味が分からない。この医者は一体何を……?


「これはどういうことだ! エレン!」

 

 真横から父の怒鳴り声が響いて来た。びくっ、と私は反射的に身を竦ませて、慌てて父の方に向き直る。


「妊娠だと!? なぜ結婚もしていないお前が妊娠するのだ!? 貴様……一体どこの男にたらしこまれた!」


 父は鬼の形相を浮かべていた。怒気のこもった瞳で睨まれて、心臓が止まりそうになる。


「ま、待ってください父上! そんな、何かの間違いです!」

 

 混乱はさっぱり収まっていなかったが、一刻も早く誤解を解こうと私は声を張り上げる。


「せ、先生、一体それは何の冗談ですか! 私が妊娠なんてする訳がないでしょう!」


「いえ、そう言われましてもね」


 医者はぽりぽりと頭を掻いてから、おもむろに私の下腹部を指差して、「その、もうお腹がちょっと大きくなり始めているのが何よりの証拠ですよ」


「え?」

 

 ハッとして私は自分の下腹部を撫でた。

 

 確かに、少し大きくなっている気もするが……。


「い、いやこれは、最近寝込んでいたせいで、お腹周りがたるんでしまっただけで」


「いやそれはないですから」


 医者はぶんぶんと首を振って言う。


「まあ、ご納得いただけないならもう数ヶ月待っていてください。すぐに妊婦さんの体型になりますから。その内、中の子がお腹とか蹴り出しますから」

 

 医者は真顔で、とても冗談を言っているようには見えなかった。

 

 確かに私が妊娠しているのだとすれば、ここ最近の体調不良にも説明がつくが……。


「エレン、貴様、やってくれたな! これでは我が道場は世間の笑い物だ! 貴様は300年続くアイオライト流剣術の名に泥を塗った! この一族の恥さらしめが!」


「ち、違います父上……私の話を聞いてください!」


 私は父の恐ろしい語勢に震えあがりながらも、どうにか声を絞り出して言う。


「妊娠なんて、そんなこと絶対に有り得ません――私はまだ処女です! 男を知らないのに子供が出来るなんて変でしょう!?」


「ふんっ……まだそのような言い逃れをするか!」

 

 父は殆ど虫けらを見るような目で私を見ていた。


「処女だと!? 処女が妊娠などするものか――貴様は小娘の分際で私の目を盗み、男を咥え込んだのだ! まったくどうしようもない女だ! 貴様と同じ血が流れているなどと考えたくもない!」


「し、信じられないのは分かります……私も信じられません……ですが、事実なのです。私は男の人なんて、知りません……」


「くどい! 見下げ果てたぞエレン! この期に及んで自らの不徳を認めることも、相手の男が誰か明かしもしないとはな! いいだろう、貴様が父親の知れない子供を産むというのなら、私にも考えがある!」

 

 父はそう言って立ち上がり、私にとって絶望的な一言を告げた。


「エレン、貴様は破門だ。アイオライト流剣術のつら汚しめ。娼婦に継がせる道場などあるものか」

 

 その瞬間、私の剣の道はあっけなく終了した。

 私はアイオライト流剣術の後継者としての立場と、父からの信頼の二つを同時に失った。

 私に残されたのは、もう何の意味もなくなってしまった剣術の腕と、知らない内に孕んでいた赤ん坊だけだった。

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