4.天城奈保子(Amaki Naoko)

女は1日の仕事を終えて職場を後にした。

職場を出てすぐ、交差点脇にある建物に入っていき、そこから街の地下街へと降りてゆく。

時はまだ18時。丁度、仕事終わりの人間が街に出てくる時間帯だったから、地下街は混み合っていた。


女は他人の邪魔にならないように左端を行き、通勤で使っている地下鉄駅までの道を急ぐ。

だが、そんな彼女の視線に見覚えのある顔が入った時、女は地下鉄の方角から、その人物の元へと身体を向きなおした。


コートに入れたポケットからコミュニケーションアプリを起動させて、短く文を打ち込み、送信する。

そして、女は人混みの中へと紛れ込んでいったと同時に、コートに仕込んだ細いワイヤーのようなものを右手に持つ。


女は道行く人々を交わして行きながら、目的の人物の背後までやって来た。

そこは丁度、地下街から地上に上がる、勤務先の最寄りの出口。


女は器用にワイヤーをポケットから出すと、さり気無い動きで前を歩く男を追い越していき、追い抜きざまに男の手首に先端を差し込んだ。


注射器より細いワイヤーは、いとも簡単に男の手首に入り込む。

女は感触を確認すると、もう一方の手で握っていたワイヤーに繋がるボタンを押し込み、直ぐに手首からワイヤーを外した。


女はそのまま男を追い抜いて、人混みに紛れていく。

その後、女は男の体内に入り込んだ部分のワイヤーをねじ切って、そのまま捨てた。


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「こんばんは」


店の扉が開くと同時に、女はそう言って、誰も客がいないカウンターの席に付く。

マスターは女が入って来た事を見止めると、何も言わずに女の前に立った。

見ると、店の前には赤い軽が止まっている。

それは、女の車であることをマスターは知っていた。


「早かった?」

「いや、今開けたところだ。子供の塾の終わり待ちか?」

「そ、あと1時間で終わって出てくるから、丁度いい時間つぶし」


女はそう言って、新聞の切れ端をマスターに手渡した。

マスターはその切れ端を少しの間眺めて、小さく頷いてから女に封筒を手渡す。

女は中身のお金を手早い動きで数えると、頷いて鼻を鳴らしてから封筒をコートに仕舞った。


「御免なさいね。横取りしたみたいで…丁度近くに居たものだから」

「構わない。アイツはもう一人居たからな。丁度良かったのさ」

「そうなの。結構今回は多忙だったのね」


女とマスターは短く言葉を交わしていく。

その最中、マスターは女の好む紅茶をカップに入れてカウンターに置いた。


「そういえば、アレ使ったんだって?感想は聞いた?」

「楽だった。とさ」

「良かった。今回のはちょっと弱かったから、心配だったの」

「あの脆さが良かったんだろうよ。蚊に刺されたよりも何も感じず、証拠は残らない」

「目指した通りって所か…」


女はそう呟くように言うと、ポケットから細いケースに入った物を取り出してマスターに渡す。

マスターは、女に渡された物を見ると、小さく唸った。

ケースに入ったそれは、注射器の先端が針ではなく、女が体中に這わせているワイヤーになっていた物だった。


「改良版作って来たの。あとこれも。用途は同じ。あ、どっちも中身はただの水だから安心してね」


女はさらにポケットから取り出した道具をマスターに渡した。

それは、普通のシャープペンにしか見えない品だった。

それを見て首を捻ったマスターは、シャーペンのノブを押す。


すると、先端から細いワイヤーが飛び出てきて、伸びきった直後、ワイヤーから液体がジワリと漏れ出てきた。


「落ち着いて作業が出来るなら最初に渡した方で事足りるけど、見た目が注射器だし…不意の職質とかで見つかった時に厄介でしょ?でも、それならただのシャーペンだし…一応、2つ作って、どっちを採用するかはマスターに任せようと思って」


女は2つの品を見比べて、観察しだしたマスターに言った。

マスターは女の言葉を聞きながら、淡々と観察を続ける。


何度も何度も2つの道具を使ってみて、使用感を確かめた後、シャープペンシルで出来た道具の方を女に手渡した。


「これ、3人分頼めるか。予備を合わせて計9つ」


女はマスターからの言葉を聞くと、小さく頷いた。


「オッケー。何時迄に?」

「3日後。出来るか?」

「大丈夫。道具は何の変哲も無いわけだし」

「悪いな…俺の仕上げが残ってる」

「成る程…もし全部間に合わなくても、マスターのだけは間に合わせて届けるよ」


女はそう言って、受け取った試作品の道具をコートに仕舞った。


「そういえば、何時だっけ忘年会」


仕事の話が終わった後。

女は声色を少しだけ変えて話題を変える。


「今度の土曜日。8時からだな。どうする?旦那と子供は?」

「来たがってたから、連れてこようと思ってるけど?」

「そうか、俺んとこの息子も会いたがってたしな…会費は1人2千円って所にしてやるよ」

「あら、お安い」

「大学生も居る事だしお安くな…第一お前ら職場の忘年会とかで謀殺されてそうだし」

「それは…違いない」


女は気さくな笑顔を見せた。

それから、腕時計に視線を落とした女は、ちょっどだけハッとした顔をする。


「それじゃ、そろそろ行きますね。早いところ行かないと、車止める場所が無くなっちゃう」


そう言って、女は席を立つ。

空になったカップは、マスターに渡した。


「じゃぁ、3日後に」


女はそう言って、店を出ていく。

それに手を上げて答えたマスターは、女から受け取ったカップを流し台に置いて、黙々と洗い始めた。

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