第15話 蝉の鳴き声が

 クーラーの運転音が耳を慰めていた。脱け殻みたいな蛍光灯と、どうでもいい他人の感情論が書き殴られたSNSの画面と、上の空の自分と。空っぽな頭の中に、埋め立てられた田んぼの風景が思い浮かんだ。高齢者施設が出来るのだそうだ。

 俺の目は何を見ているのだろう。ふと、窓の外から蝉の鳴き声が聞こえた。こんな夜中に? どうして?

 俺は起き上がって窓と網戸を開けた。確かに聞こえる。蝉の声。どこにいるのか分からない。俺はすぐに窓を閉めた。

 やはり忘れられないのだ。あれはたった一度のことではないか。俺のものですらなかったではないか。あれを誰も証明できない。第一、俺のことなど誰が気にしているというのだ。手のひらのSNSが、寂しく寂しく光を滲んでいる。ああ、言葉が、俺の言葉が乱れている。もう、どうでもいいのだ。もとから整合性などどこにもないのだから。

 真夏の日差しに緑の稲が育っていた。馬の鬣みたいに光って靡いている。綺麗だな。宝石みたいに綺麗だな。

 高齢者施設が建つために、田んぼの中に一つだけ、歯抜けのようなカラの土地。ひと夏ふた夏越すたびに、一つ一つ消えていく稲の波。仕方がないのさ。俺だって、田んぼなんて、したことがないんだから。誰のことも責められない。

 麦わら帽子を被った老人が、腰に手を当て畔に立つ。もう一人が、ペットボトルのお茶を飲む。ここもいつかは消えるのだろう。誰も知らないうちに、ひっそりと。

 波打つように、蝉が鳴く。山に弾いて延々響く。

 波打つ頭に記憶が歪む。唇が、熱くて痛い。正直者だと自分で呆れる。

 ガラスのテーブルに捨て置いたスマホ。電源を切り、誰の言葉も受け取らない。アパートにだって、蓋をした。

 ポケットには鍵。財布もない。

 入道雲が流れていく。

 アスファルトには、人の影。

 夢でも幻でもない、俺の影。

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