妻の寝顔は死人に似ている
朝霧
7月30日
家に帰ったらまた妻が仮死状態になっていた。
結婚してもう五回目になるから驚きはしない。
ずっこけたような無様な姿勢で転がっていた妻の身体を無駄だと思いつつ起こして両肩を掴んでがくんがくんとシェイクしてみたが、無反応。
身体は冷めていて、呼吸はしていないわけではないが異様に浅い。
やはりただの寝落ちではなくいつもの奇病であるらしいと結論付けて、妻の身体を床に放り投げた。
ほとんど死体状態の妻は不恰好な形で床に転がった。
その様子が壊れた人形みたいであんまりにも気持ちが悪かったから蹴飛ばしかけたが、それで本当に死なれると面倒なので我慢して仰向けにピシッと身体の形を整えてやった。
そして、深々と溜息をつく。
さて、どうしようか。
いつもの奇病なので死んでいるわけではないし、起こすことは可能だった。
だが、真っ当な方法で起こそうとすると莫大な金と労力がかかる。
莫大とは言っても自分にとっては端金ではある、それでも女一人に掛けるのなら負債しか残らない額だった。
起こさないのならこのままゆっくりと時間をかけて衰弱死するのを待つだけだ。
衰弱死を待つのが面倒であるのなら、その胸をぶち抜いて殺してしまったほうが早いし手間もかからない。
さて、どうするか?
この女にあれだけの金と労力を注ぎ込む価値が果たしてあるだろうか?
答えは見え透いている、否だ。
この女には大した才能もない、何か特別なことができるわけではない。
家事はそつなくこなす、クッキーを焼かせたらそれなりだが料理の腕は少し得意レベル。
見た目は気に入ってはいるが理想には程遠い、痩せすぎのガリガリで少し乱雑に扱っただけで簡単に折れる身体も気にくわない。
性格も別にいいわけではない、おとなしくて静かで従順なのは利点ではあるが、愛想が全くなくて可愛げがない。
だからと言って夜の具合がいいわけでもない、というか昔色々あったのですこぶる悪い。
普段は仏頂面のくせに服を脱がせるだけで震えるし、触るだけで涙目になるし、最中に泣きながら暴れて抵抗することもあった。
新婚の頃は泣いて怯えて逃げようとする妻を押さえつけて滅茶苦茶にするのが意外と楽しくて無理矢理していたが、だんだんつまらなくなったのでもうすっかりだった。
あと最中はあんなに怖がるのに終わるとほっとしたような顔でひっついてくるのも心底気にくわない、謝られることもあったが今更だったし、仕方ないから抱きしめてやるとここが唯一の安全地帯みたいな顔で眠るのも意味不明すぎて何度か首絞めて殺し掛けたことがある。
自分はなんでこんなのを娶ったんだろうか?
発病したのが結婚後だったからそれを抜きにして考えても、当時の自分は何を血迷ってこんなのを妻になんかしたんだろうか?
何も知らなかったわけではなかった、というかだいたい知っていた。
それでも娶ろうと思った当時の自分の思考回路が今では意味不明だった。
確かに別に嫌いではないしものすごく気にくわない性格でもない、性格は従順でおとなしくて見た目もそこそこ好み。
だがそれだけだった、たったそれだけだった。
そこまで考えてもう一度自分に問いかける。
この女にあれだけの対価をまた支払ってまで起こす価値があるのかどうか。
やはり否だった。
――よし、殺すか。
一思いに心臓をぶち抜いて殺してしまおう。
一瞬で楽にしてやれるし、自分がかける手間も一瞬で済む。
家事をやらせる奴がいなくなるのは不便だしこれのクッキーが食べられなくなると思うと少々惜しいとは思うが、別に奴隷でも買ってきてやらせればいい話だ。
そうだ、初めから自分に『妻』なんて存在は不要だった。
それなのに何故こんなのを妻にしたんだろうか、それもあんな方法で。
当時これを攫った理由は自分で家事をするのが面倒だったからというのが一番の理由だったはずだが、わざわざ妻とかいう存在を作らずとも使い捨ての奴隷を買えばいい話だったのに。
少し考え込んで、当時の自分はやはり少々狂っていたのだろうと結論づける。
そうでなければあんな手の込んだことはしない、やはりあの頃の自分がおかしかった、少々どころか完全に狂っていたといってもなんら差し支えない。
こんなのを攫って妻にしただけでも頭がおかしいのに、これに触れた者を全て殺して回ったのは流石にやりすぎだった。
だがそうしなければ気に食わなかったのだ、これの肌の温もりも柔らかさも、他に知っている者がいるのが耐えられなかった。
そんなことをしてもこれが無残なほどに穢された傷物である事実は何一つ変わらないというのに。
――次があるのなら、何にも触れられたことのない女を。
そんなことを思いながら、殺す前にと死体のような妻を抱き起す。
なんの抵抗もない肉の塊を抱きしめて、ほんの少しだけ開いた唇に自分のそれを重ねて舌を割り入れる。
眠りに落ちる前に飴でも口にしていたのか、かすかに人工的な果物の味が残っている。
しばらくぬるくて甘いその中を堪能して、離れる。
当然ではあるが妻は相変わらず死んだままだった。
もしも生きていたら今頃両目に涙を溜め込んで、無様に浅い呼吸を繰り返しながら自分の顔を見上げていただろう。
溜息をつく、うっかりと柄にもないことを考えてしまった。
自分でも心の底から馬鹿馬鹿しいと思う、何がせっかくキスしてやったのに何故起きない、だ。
この女は姫なんかではないし、自分は王子なんかではない。
むしろ魔王だ。
それなのにどうかしている、妙な精神攻撃でも受けて発狂したのかと思ったが誠に残念ながら心当たりは一つもなかった。
死んだままの妻の顔を見下ろして、もう一度だけ自分に問いかける。
この女を生かす価値があるのかどうか。
答えは――やはり否だった。
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