おまえだけのマジカルミステリーツアー

流々(るる)

第一話 仕事終わり

 あたりをさっと見回し、ポケットからスマホを取り出す。

 表示された佳奈へのメッセージが既読になったことを確認して、翔太は安堵の表情を浮かべた。

 すぐに何食わぬ顔でカウンターへ戻ると、店内には「蛍の光」が流れ始めた。

 慌ててレジへと急ぐ客が一人。

「カバーはお付けしますか?」

 翔太は慣れた手つきで文庫本の形に合わせて紙を折り込んでいく。

「ありがとうございました」

 両手で袋を渡し頭を下げる。

 初めのころはぎこちなかった一連の動作も、今では意識しなくてもできるようになっていた。

「黒岩君、お疲れさま」

「あ、店長。お疲れ様です」

 売上の確認をしていたところに声を掛けられ、翔太は顔をあげて軽く頭を下げた。

「明日のシフトは休みだったよね」

「はい」

「じゃあ次に会うときは名札の色も変わってるんだな」

 二人とも、翔太の胸につけられている青い縁取りの名札へと目をやる。

 男の名札は赤い縁取りに『店長 高木』と書かれていた。

「これからもよろしく頼むよ」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 翔太は手を止め、向き直ってお辞儀をした。

「お正月は実家に帰るの?」

「もう四、五年帰っていません」

「いい機会なんだし、たまには帰ってあげたほうがいいぞ。それじゃ、よいお年を」

「……よいお年を」

 右手を軽く上げた高木の背中に、翔太はもう一度お辞儀をした。


 南部百貨店の通用口を出て、翔太は駅の方へと向かう。

 歩き始めてすぐ、どこかから見張っていたかのようにスマホの着信音が鳴った。

 画面に表示された名前を見て舌打ちをする。

 通話状態にしたまま横道に入っていった。

「あぁ聞こえてるよ。うん……あぁ……だから、大丈夫だって……必ず連れて行くから……。うるせーなぁ……とにかく明日!……もういいだろ、切るぞ」

 表通りに戻っても不機嫌そうな表情のまま、ダウンジャケットのポケットへ両手を突っ込んだ。



 アパートの階段を上っていくと奥から二つ目の部屋には明かりがついていた。

「ただいま」

「おかえりー」

 テーブルの上には食事の用意がすでに出来ている。中央にあるサラダを見て、翔太は眉をひそめた。

「今日はレタスとキュウリとトマトを細かく切ってコールスロー風にしてみたの。マヨネーズ味なら食べるでしょ?」

「あー……」

 佳奈の話に、部屋着へ着替えながら気のない返事をしている。

「もぉ、ちゃんと野菜も食べなさいっ」

「俺はおまえの子どもかよ」

 テーブルにつくと彼女が煮込みハンバーグを運んできた。

「そうそう、さっきのLINE。明日から旅行に行くってホント!?」

 食べ始めるなり、佳奈が前のめりになっている。

「あぁ、おまえも休みだしどうせ予定もないんだから、たまにはいいだろ」

「もちろんいいけど急すぎない?」

「内緒で予約してたんだよ」

 彼女の顔を見ずハンバーグに箸を伸ばす。

「ふーん。お金あるの? 本屋さんで正社員になれるからって……」

「まぁ安い給料だけどバイトよりはマシになるから」

「だけどお正月ってホテルとか高いんでしょ。まさかサラ金とかでお金借りたりしていないよね」

「するわけないだろっ」

 怒気を含んだ声で翔太はさっと顔を上げた。

 まっすぐに佳奈を見つめる強い視線を、彼女はさらりとかわす。

「冗談よ。で、どこへ行くの?」

「秘密」

 あらかじめ考えていたかのようにするりと答えが出てきた。

「なにそれーっ。なんで教えてくれないのよぉ」

「ほら、ミステリーツアーってあるだろ。あれだよ、あれ」

「んー……ま、いいか。翔太が一緒なんだし」

「あまり期待はするなよ」

 彼は箸を動かす手を止めない。

「いつ帰ってくるの? それは決まってるんでしょ」

「あぁ……三日かな」

「なにそれ。大丈夫なの?」

 怪訝そうな色が彼女の顔に浮かんだ。

「とにかく、明日の朝には出るから」

 翔太は最後までサラダに箸を伸ばさなかった。

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