でっち上げ探偵「高い男」
塚内 想
第1話 名探偵登場
松葉杖を左手にだけ持ってバランスをとって立ち上がると、テーブルに向かって歩く。リビング中央にあるローテーブルには血まみれの卓上インターホンが置いてあり、それに杖で塞がっていない右腕を伸ばす。
背の高い俺に取ってローテーブルに置いてあるインターホンを取るのは骨が折れる。文字通り骨が折れてるのだから膝を曲げてしゃがむこともできない。
ソファに座るのは気持ち悪いので、立ち上がったまま前屈をして、なんとかインターホンの受話器を取ると、そのままキッチンに繋げるボタンを押す。たしか、まだ帰る時間ではないはずだ。案の定、ツーコールで繋がった。
「……
受話器の向こうで、お手伝いの濱西
俺は全開になっている窓を見ながら、これからのことを考えてる。
……もう、後戻りはできない。
「つまり、あなたが客間で仮眠をとって戻ってくると、この家の主人、
警視庁の捜査主任だという
この年代の人は男であれ女であれ正確な年齢がわかりにくい。自分が経験してない年齢だからだろうか。一緒に働いている人を見ても年齢不詳は多い。厳つい顔に刻まれた皺は相当な年輪を重ねてる気がするが、声の調子から意外と四十代後半くらいかもしれない。
俺は肯定の意味で首を縦に振る。
殺人現場のリビングは鑑識作業が行われているので、重村警部補と俺は玄関で事情聴取を行っている。
座ってじっくり話を聞きたかったらしいのだが、この家に住んでいる唯一の住人は死んでいるし、俺もこんな足だから座るのは少々しんどい。だからまあ、気にはならない。それよりも……。
「バカヤロー!なにしてやがんだっ!」
突然でかい怒鳴り声が聞こえてきたかと思うと、リビングから鑑識の服に身を包んだ男が別の男の首根っこをひっ捕まえて飛び出してきた。
刑事物のドラマに出たときに知ったのだが、鑑識作業をする時はヘアキャップや手袋などをつけて自分の髪の毛や汗などを現場に落とさないようにしているそうだ。その完全武装した鑑識員につままれた男は釣りの時に着ているような黒のベストにオフホワイトの開襟シャツ、ベージュのスラックスで帽子すら被っていない。軍手だけはしているみたいだが。それどころか口になにか咥えている。……葉巻?いや、黒っぽい色をしている。
「重村主任っ。お前さんの客人だろうがっ!連れてくるのは勝手だが捜査の邪魔はさせんなよっ」
男を重村警部補に押し付けると、鑑識員はすぐにリビングに戻っていった。
「ネツガミくん。いったいなにをやらかしたんだ?」
重村警部補が引っ張ってこられた男に向かって語りかける。男は悪びれる様子もなく
「単にキャビネットを見ていただけですよ。そうしたらチョコ棒の穴から僕のよだれが落ちて床を汚してしまったからサッと拭いただけです」
ニコニコしながら答えた。
咥えていたのは葉巻じゃなくてチョコ棒だったのか。……って鑑識は自分の体毛や体液で現場を汚さないようにしているのによだれを落としたのか。刑事にしては、おそまつすぎるだろう。
「君だって鑑識がどれだけ大事か知らないわけじゃないだろう。大体……」
警部補の説教に背を向けたかと思うとベストを着た男は俺を見て
「……うわぁ!
と声を上げた。背のちっさいネツガミと呼ばれた男は俺に近づくと右手を伸ばしてきた。
「大ファンなんですよ。ぜひ握手をしてください」
そう言われたのも、ずいぶん久しぶりな気がする。ここのところテレビや映画に出ることはあっても端役ばかりだからなのか街や撮影現場で発見されても、さほど関心を示されなくなってる。芸能人が珍しくもない都心だとそういうこともあるかもしれないが地方でもそうなのだから、俺の人気も陰りが見えてるなと思ってたがどうやらそうでもないらしい。
右手の松葉杖を左手に持ち直して重心を二本の松葉杖に預ける。そして、空いた右手を男に向けて差し出す。男は手をさらに伸ばして俺の手を握る。
「残念ながら小劇場時代は存じ上げていなくて、申し訳ありません。でもテレビドラマ初出演の『隣に誰かいた』から、全ての映像作品を追いかけさせていただいてますよ」
「そうですか、それは嬉しいです」
当たり障りのない答えだが、あながち嘘じゃない。俺の名前が世の中に広まったのは映画「なんくるす」で悪役を演じてからだから、それ以前から知ってもらえてるというのは望外の喜びだ。そう言えば「なんくるす」のプロデューサーは金満だった。奴が映像でパッとしなかった俺を拾ってくれなかったら、こんなことにならなかったのに……。いや、拾ってもらえたのはありがたい。問題なのは……。
「ネツガミくん、君ね……」
ネツガミは警部補の言うことが耳に入っていない様子でニコニコと笑いながら
「最近は舞台には出られていないみたいですね。一度は拝見したいと思っているんですが」
手を離さないまま俺に話を振ってくる。
「そんなことはないんですが映画やテレビの仕事が忙しくて時間が取れないんですよ。舞台は稽古を含めると数ヶ月は拘束されてしまうので」
所詮、素人だからこの程度の説明で納得してくれるだろう。実際は映像と舞台を両立させている俳優はいっぱいいる。
「でも、これからは舞台の仕事も積極的にやっていきたいと思っていますよ。なにしろ僕の原点は舞台ですから」
心にもないことを平気な顔して言えるのは俳優の
「そういえば足の怪我はどうなんですか?ニュースで撮影中に怪我をしたと聞いて心配していたんですよ」
ギプスをはめてる左足を見ながら本当に心配しているのか、わからないくらいにこやかな顔で語りかけてくる。
「大したことはありませんよ。ギプスをしてるから大怪我に見えますけど」
俺も負けないくらいの笑顔で返す。どうでもいいが、そろそろ手を離してくれないかな。
「いやあ、プロの俳優さんは大変ですね。アクションまでやらなくちゃいけないんですから」
そんなわけねえだろ。この怪我だって本来ならする必要はないアクションを監督の気まぐれで、やらされたからなんだ。なんのためにプロのスタントマンがいるんだよ。いや、今だったらCGで十分だろ。
「アクションシーンは僕のクランクアップの日の撮影だったので映画の完成には支障はないようです。あとは半年後の公開を待つだけ、それまでにはこの足も治っていると思うので宣伝もやれると思いますよ」
今にして思えば俺に怪我をさせるためにわざと金満が監督に指示してアクションをやらせたんじゃないかと思える。
「おい、世間話はそれくらいにして事情聴取の続きをしたいんだがね」
重村警部補がネツガミの肩を叩いて促す。ネツガミは渋々といった感じで俺の手を離した。
やれやれファンサービスの大切さはわかっているつもりだが苦手なんだよな。さっきまで握らされた右手にじっとりとした感触が残っている。汗っかきなのか。まあ、小太りだからな。
右手を反射的に見るとまだらに黒くなってる。においを嗅ぐと甘い香りがする。
……あの野郎、チョコ棒食った手で人の手を握ってんじゃねえよ!
ズボンで手についたチョコを拭う。
「そうそう失礼しました。ぼ……私、こういうものです」
チョコ棒男はまだチョコのついた手でベストの左胸のポケットから、なにやら取り出した。どうやら名刺入れのようだ。
名刺入れから名刺を一枚取り出すと、俺に手渡した。
「捏上探偵事務所 所長
……探偵事務所?なんで探偵が事件現場に顔を出してるんだ?今どきフィクションの世界でも私立探偵が殺人現場にいるなんてリアリティがないってクレームになるぞ。
俺がなぜ驚いてる顔をしてるか、わかっているのか捏上探偵は
「いえ、別に事件の捜査に来たわけじゃありません。たまたま重村警部補に用事があって警察署に伺ったら、テレビ局のプロデューサーさんが殺されたとかで、これは着いていったら誰か有名人に会えるんじゃないかと思って来た次第です。
まあテレビ局に行くかと思ったらご自宅だったのは予想外でしたが、こうして和久利さんにお会いできたんだから目的は達成されたと言っていいと思います」
一気にまくし立てた。要は部外者ってわけか。
「和久利さん、客間から戻ってきて金満さんの遺体を発見してから、どうされましたか」
重村警部補は捏上を無視することに決めたようだ。俺もその方がいいと思う。
「部屋の中の惨状は一目見てわかりましたから、とにかく現場を荒らしちゃいけないと思ってドアのところから先生に向かって声をかけました。もちろん返事はありませんでした」
「プロデューサーさんのことを『先生』って呼ばれるんですね」
無視されてることに気がついていないのか、捏上が俺を見ながら話しかけてきた。重村警部補の顔を見ると「どうぞ、答えてあげてください」と表情で言ってる。
「金満プロデューサーは僕を映像の世界で使ってくれた恩人ですから、敬意を込めて『先生』と呼ばせてもらってます」
せっかく答えたのに捏上は、なんの感想も言わずにベストのポケットから新しいチョコ棒を取り出した。そして、おもむろに開けて嬉しそうに頬張る。
そういえばこいつは所長なんだよな。そんな偉そうな肩書きの似合う年齢には見えないんだが。二十代、いや十代でも通用しそうなくらいの童顔だ。チョコ棒食ってる姿が、よく似合ってる。
リビングが騒がしくなったかと思うと中から、さっきの鑑識員が顔を出した。
「ひと通り終わったから撤収するよ。現場で実況見分やるんだろ」
そう重村警部補に言うと警部補は
「
阪上という名の鑑識員に近づいていった。
重村警部補と阪上鑑識員は小声でリビングの中を見ながら、なにか話している。漏れ聞こえてくる言葉を拾うと
「指紋は……」「凶器にも……ないか」「……そくせきは……」
「そくせき」ってなんだ?……ああ
どうやら犯人につながる決定的な証拠は出ていないようだ。……当たり前か。
「どうして現場を荒らしちゃいけないと思ったんですか?」
二人の会話をなんとか聞き取ろうとしている俺の隣でチョコ棒をムシャムシャ食べながら捏上が聞いてくる。
「そんなのは常識じゃないんですか。ミステリー小説でも現場の保存を大事にするなんて普通に書かれてますし、僕が出演した刑事ドラマでも現場が荒らされて捜査が難航したなんてありましたよ」
リビングのドア付近で話している二人から視線を外さないで捏上の質問に答える。捏上は「ふうん」と気のない相槌を打つ。ふうん、ってなんだ!あんたから振ってきたんだろう?そう怒鳴りたい衝動を抑えながら警部補たちの会話を聞き取ることに専念する。
やがて他の鑑識員がゾロゾロとリビングから出てきた。
「それじゃ俺たちは帰るけど、あんまり期待しないほうがいいと思うぞ。なにしろ、現場を荒らす探偵なんかがいたからな」
阪上鑑識員は捏上に向かって嫌味を言うと玄関から出ていった。
「なに言ってやがんだ。猟犬じゃあるまいし地べたを這いずり回って調べてなにが楽しいんだか」
捏上がボソリとつぶやく。いや、楽しくて鑑識やってるわけじゃないだろうに。
リビングはまだ血痕が残っている。……これ誰が掃除するんだろう。窓も開け放たれたままで発見当時の状況そのままになっている。ただ死体と凶器だけが無くなっている。
部屋の中央にはローテーブルを挟むように横長のモスグリーンのソファが二脚(椅子の仲間なんだから『脚』で数えていいよな)。その下に毛の短いペイズリー柄の悪趣味なカーペットが敷かれている。大きさはローテーブルとソファの置かれている部分より若干広め。
映像プロデューサーなのに、この部屋にはテレビやモニターがない。俺は行ったことないが別室にプロジェクターを備えた映写室があるらしい。ここはゆっくり酒を飲むためだけの部屋なのだそうだ。入口付近、金満が倒れているソファの背後の壁に沿うようにデカいキャビネットが鎮座ましている。
金満は普段エラそうなくせに上座には絶対座らない。
「それではこの部屋で改めて、お話を伺いたいと思います」
重村警部補はそう言うと
「まず、あなたは被害者の金満さんから呼び出されて、この家にやってきたわけですね。どんな用事だったんでしょうか」
リビングのドアのそばで両手に松葉杖を持って突っ立っている俺に向かって尋ねてきた。
「撮影で事故にあった僕をねぎらうためだったみたいです。少なくとも本人はそう言ってました」
「ねぎらう相手を呼びつけたんですか。変わったことしますね」
俺の答えに部屋のあちこちをウロウロしている捏上が会話の権利を奪う。まだいたのか。地べたは這いずり回ってないが歩き回って楽しいのか?
「まあ、あの人はそういう人ですから僕も気にしないで呼び出しに応じました」
苦笑いで答える。いったいいつの時代のプロデューサーなんだと思う。
「それでこの家に着いてどうされましたか」
警部補が質問を取り戻す。
「この部屋に通されて一緒にワインを飲みました」
「この部屋のどこでですか」
「もちろんこのソファに座ってです」
いくら足を折っているからといっても立ったまま酒なんか飲めるか。
「では、申し訳ありませんが写真を取りますので、そのソファを指差してください」
ああ、たしか実況見分ってそういうことをやるんだったよな。言われた通りにソファを指差す。写真に撮られている俺を捏上が冷ややかな目で見てる。こういうのもバカバカしいと思ってるんだろうな。俺もそう思うけど。
「それにしても、でっかいキャビネットですね。二メートルは超えてるんじゃないですか」
実況見分とやらをやっている真っ最中なのに、そんなこと関係ないといった感じで捏上が喋っている。
「中はほとんどグラスですか。ワイングラスだけじゃなくてシャンパングラスや……これはビールグラスってやつですか。上の方のやつは僕の背じゃ取れませんね」
「金満先生は酒道楽ですから。中身だけじゃなくて器にもこだわっているみたいですよ」
捜査に関係ないことでも、つい答えてしまうんだから俺も相当にお人好しだな。
「そうなんですね。……それにしても、おかしい」
キャビネットを開けて中を見ながら捏上が首を傾げている。
「なにがおかしいんだ?」
重村警部補までが捏上の話に入ってくる。
「グラスはこんなにあるのに……どうしてお酒は一本もないんでしょうか?」
「そんなの簡単じゃないか。酒はキッチンに置いてあるんだろう」
「だったらグラスもキッチンに置いておけばいいじゃないですか。すぐに飲めるようにグラス専用のキャビネットをリビングに置いているんですから、お酒だって、すぐに取り出せるところに置いておくのが普通じゃないですか」
捏上はそう言いながらポケットからまたチョコ棒を取り出す。
「そういえば凶器はワインの瓶だったんですよね。そのワインは誰のものだったんですか」
「それは……僕が持ってきました」
捏上の質問に答える。
「呼びつけられた上に酒まで持ってきたんですか。超のつくお人好しですね」
「……よく言われます」
余計なお世話だ。
「だったら酒は他人任せだったんじゃないのか。グラスのコレクターだったのかもしれんじゃないか」
「……そうなんですかね」
捏上は警部補の答えに不服な顔をしながらキャビネットの中をチョコ棒をモシャモシャ食いながら見つめてる。
「それじゃ和久利さん、実況見分を続けます。あなたが持ってきたワインを金満さんと二人で飲んでたんですか。他に人は?」
「いません。僕と先生の二人きりです」
「どんな、お話をされたんでしょうか」
「……撮影お疲れさまとか、怪我の具合はどうだとか。そんな感じのことを話してました」
「なにかその話の中で気になることとかありませんでしたか」
「……気になること?」
「誰かから命を狙われている……とか」
「……いえ、そんな話は」
怨恨の線も考えてるのか。まあ、そんな話はなかったんだから正直に答えてもいいだろう。
「それで、あなたが客間に移ったのは何時ごろですか?」
「午後七時ごろだったと思います。撮影の疲れが出たのか急に眠くなったので帰ろうとしたんですが先生から客間で横になってくるといいと言われて」
「そういうことは、よくあったんですか」
「まあ、この家には時折泊めてもらうことがあるので。その時は客間を使わせてもらっていました。だから今回もいつものようにお言葉に甘えて客間に行きました」
「その時、金満さんは?あなたと一緒に客間に行ったのですか」
「いえ、先生はそのままワインを飲んでました」
「では、客間にはあなた一人で」
「はい」
「では、ご足労ですが、このまま客間まで行きましょう。捏上くんも来るかね」
呼ばれた捏上は扉の開いたキャビネットを見つめたまま左手を振って拒否のサインを出した。
客間まで歩く時間を警部補が計っている。俺は足に怪我をしているから普通より時間がかかる。俺が犯行を行えるかどうかも考えてるんだろう。
客間に着いてどうやってドアを開けたかとかベッドにはどうやって寝たかなど、かなり長い時間、細かく聞かれた。
「それで一時間くらい仮眠を取ったあとで、またリビングに戻ったわけですね。その帰り道でも誰にも会わなかったんですね」
肯定の返事をする。
「では、リビングに戻りましょうか」
リビングに戻ると捏上がドアの前で椅子に座って、またチョコ棒を食べてる。いつまで食う気だ。
「中に入ってなかったのか」
警部補は捏上に問いただす。
「中は寒いですからね。……窓閉めちゃダメなんですか」
「発見時には開いていたんだから、これからが重要なんだ。……その椅子はどこから持ってきたんだ」
捏上が座っている椅子を指差す。
「お手伝いさんに頼んでキッチンから持ってきてもらいました」
「どうやって頼んだんだ」
警部補の問いに、なにバカなことを聞くんだという顔をしながら
「インターホンを使ったに決まってるでしょう」
と答えると
「現場のものを勝手に使わないでほしいな。インターホンだって重要な証拠品だ」
「もう現場検証は終わってるんだからいいでしょう」
ああ言えばこう言う。事件現場に部外者がいてはいけない理由がよくわかる。
「それにしても和久利さん、よくあんな血が付着したインターホンを使う気になりましたね」
突然、俺に話しかけられて思わず動揺してしまった。あんたも使ったんだろう。
「いや、あれを使わないと濱西さんが帰ってしまうかもしれませんから。この足でキッチンまで行くのも大変ですし。ちゃんと手はきれいに洗いましたよ。……って、ダメでしたか?」
「濱西さんって、お手伝いさんですね。通いなんだ。あの人が帰っちゃうと問題なんですか」
突っ込んでくるな。逆に手を洗ったことは気にならないのか。
「濱西さんが警察の人を案内してくれないと困りますよ。僕はこの家の住人じゃありませんし、先生は一人暮らしで他にご家族はいらっしゃいませんから」
「この広い家に一人暮らしなんてもったいないですね。僕にくれればいいのに」
なに言ってんだ、こいつ。
「さて、では中に入って実況見分の続きをお願いします」
警部補がドアを開けて俺を促す。俺は松葉杖を使って歩き出す。
「必要ないと思いますよ。窓が開いてるのなんてフェイクですから」
俺の背後で探偵が声をかける。警部補が声をかける。
「どういう意味だ」
「重村さんもわかってるんじゃありませんか。……
……足跡?
「……なんで、それを?」
「わかりますよ。どう見たって外部犯に見せかけた内部の犯行でしょう」
立ち止まっている俺たちの横をすり抜けるように捏上探偵が部屋の中に入っていく。
「足跡がないのって変なんですか?雨上がりじゃないから足に泥なんてつかないでしょう」
思わず問いかける。
「今の警察の科学捜査はかなり進んでいますから泥や土などが付着してなくても足跡は採取できます。捏上くんの言うように、この部屋の足跡は被害者のものと思われるスリッパと和久利さんの松葉杖とスリッパ、それにおそらく足跡の大きさから女性である濱西さんの三人の足跡しか見つかっていません」
重村警部補の答えに愕然とする。……足に血がつかないように細心の注意を払っていたのに。
「こうなってはもっと直接的に伺ったほうがいいですね、和久利さん。あなたが窓の方に向かった痕跡があります。足跡だけではなく指紋も窓に付いています。これはどういうことか説明していただけますか」
どうやら警察は最初から俺を疑っていたのか。
「それは犯人があの窓から逃げ出したんじゃないかと思って向かったんです。結局、なにも見えませんでしたけど」
「それで犯人を見なかった、あなたはどうされましたか」
なおも問い詰めにかかってくる。
「……僕を疑ってるんですか?」
「あなただけではありませんが重要な容疑者であることは確かです」
警部補も怯む様子はない。
「僕には先生を殺害する動機がないでしょう。先生を殺したら撮影が終わったばかりの映画だってどうなるかわからないし」
「その点はまだわかりません。とりあえず我々は事実関係をひとつひとつ潰していくだけです。ご協力お願いします」
「いや動機は大事でしょう」
金満の死体が置いてあったソファの後ろでカーペットを擦るように歩いていた捏上がふいに話しかけた。
「どういう意味かね」
警部補が捏上に問い返す。
「和久利さんには金満さんを殺すメリットがない。それどころか、映像の仕事を始めて間もない和久利さんにとって金満さんの影響力はまだまだ必要です。あきらかにマイナスですよ」
……こいつ俺の味方なのか?
「別に金満さんだけがプロデューサーじゃないだろう」
警部補は捏上に質問を始めた。
「和久利さんは最初の一年を除けば映像の仕事のほとんどが金満さんプロデュースのものばかりです。つまり、金満さん以外から相手にされていないってことでしょう」
言いたいことを言われて、正直ムカついているがここはおとなしく肯定しといたほうがいい。
「残念ながら捏上さんの言うとおりです。金満先生がいなかったら、とっくに田舎に帰っていたと思います」
うなだれるように声のトーンを落として語る。こんなテクニックで百戦錬磨の刑事を相手に立ち向かえるかどうかわからないが、やるだけのことはやらないと。
「それに和久利さんには物理的に犯行は不可能でしょう」
捏上はそう言うと金満が倒れていたソファの背後に立つ。
「金満さんは右側頭部をワインの瓶で一撃でぶっ叩かれて絶命しています。金満さんの身長はいくらでしたっけ」
「えっと、たしか……」
「百七十くらいです」
重村警部補の返事を待たずに俺が答える。
「そうなると座った状態はもっと低いはずですよね。……和久利さんの身長はプロフィールでは百九十センチだそうです。実際にお会いするとサバを読んでいないことがわかりますね」
感心したように俺を見上げる。
「僕の背丈だったら座っている金満さんの側頭部にヒットすることは容易いでしょうが、和久利さんだったらむしろ頭頂部に振り下ろしたほうが楽に殺せますよ」
そう言いながら右手を振り下ろすポーズを取る。
「しかし、それはどうとでもなるんじゃないか。例えば……しゃがんだり、両膝立ちしたり」
警部補は自身で膝立ちしてみる。
「どうやって膝立ちするんですか。和久利さんは左足をギプスでガチガチに固めてあるんですよ」
捏上の指摘に警部補はハッとした顔をする。忘れてたのかよ。
「和久利さんに犯行が不可能で内部の犯行なら……」
「……お手伝いの濱西か!」
捏上の言葉のあとを追うように警部補が濱西の名を口にする。……おいおい、ちょっと待ってくれよ。
「それはまだ早計ですよ。まだこの広い屋敷の中に誰か隠れている可能性だってある」
捏上はニヤニヤと笑みを浮かべながら部屋から出ようとする。
「おい、どこに行くんだ?誰か隠れているかもしれないんだろ」
警部補の心配そうな声に
「喉が乾いたのでキッチンに行ってきます。誰か隠れているにしても警察がいるうちは、おいそれと出てこないでしょう。必要と思うんなら家探しとかしたらいかがですか」
そう言いながら出ていった。
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