逃げない、諦めない、迷わない!

「ちょっと一騎! 早く避難するわよ!」


 何時までたっても動こうとしない一騎の手を結奈が握る。

 結奈の顔は焦燥に滲み、今にも泣き出しそうだった。


 避難警報が発令されてもう十分以上が経過している。

 《魔人》の事を知らない結奈はいつ来るかわからない地震に脅えていたのだ。


「どうして……」

「何か言った!?」


 一騎の手を強引に引っ張りながら学校のシェルターへと向かう結奈。

 ボソリと呟いた一騎の声に結奈が振り返る。


「どうして、一人で避難しなかったんだ」

「はぁ!?」


 結奈が素っ頓狂な奇声を発し、足を止めた。

 何が気に障ったのか目尻をキッと吊り上げて一騎を睨んでくる。

 

「なんでそんな事言うわけ?」

「なんでって……」


 怒りを内包した結奈の問いかけに一騎は押し黙る。

 結奈の怒りはもっともだ。

 心配して探しに来てくれたのに、一騎がそれに疑問を抱いたのだ。


 だが、今の一騎には結奈の気持ちを察する余裕が無かった――


 ◆



 結奈が駆けつける少し前、一騎はギアのボタンに触れたまま、青白い表情を浮かべ、固まっていた。


『イノリ君、大丈夫か!? イノリ君! くそ、本部を急行させろ! このままだと――』

『ですが司令、そうなれば《魔人》による被害が!』

『今、ここでイノリ君を失うわけにいくか! 優先すべきは人命だ!』


「……」


 ――先ほど、警報に驚いて一騎が触れたギアのボタン。

 それは偶然にも本部との回線を開くボタンだったらしい。

 今、本部の情報を一騎は一方的に聞かされていたのだ。


 どうやら空中艦アステリアは一騎の監視を一時的に中断しているらしく、一騎が本部に連絡を繋げても誰一人として気付く事はなかった。

 だからだろうか。本部は一騎の盗み聞きなど気にした様子もなく、一方的に情報を一騎に与えているのだ。


 《魔人》は学校のすぐ近くにいる。

 どうやら、この前遭遇した二体の《魔人》とは異なる力を持っているようだ。

 《反射リフレクト》――クロム達は敵の能力をそう呼称している。


 あらゆる力を跳ね返す絶対の防御。状況から察するにイノリの攻撃は全て反射され、無効化されているようだ。


 先ほど、切り札とも言える強力な一撃を放ったようだが、それも反射され大技を出して硬直したイノリにそのまま反射された技が命中。イノリは撤退を余儀なくされていた。


 だが――


『大丈夫……まだ、やれます……』


 今度は女の子の声がギアを通して耳に入る。

 彼女の言葉はそのまま一騎の心臓に矢となって突き刺さる。


『今、ここで前線が下がれば、シェルターの中にいる人達が襲われる。防壁が避難した人達のオドを遮断してくれているとはいえ、シェルターだって安全とは言い切れないんですよ』

『《アステリア》でオドを散布して《魔人》を誘導する! それならシェルターの人に被害は出ない!』

『ダメですよ。《魔人》はきっと《アステリア》を探して街を破壊します。彼らの住む街が無くなったら意味ないじゃないですか』


 イノリの正論にクロムは言葉を濁らせる。


『だが――』


『私は人間が嫌いです。でも、もっと嫌なのは、助けられる力があるのに、助けられるのは私しかいないのに――逃げる事です。私は、この街もこの街に住む人達の笑顔も全て守りたい。だから――戦います!』


 一騎はそっとギアのボタンを押して、《アステリア》との通信を切る。

 これ以上、聞きたくなかった。

 知りたくなかった。


 すぐ近くで一騎達の為に命を燃やす彼らの言葉を――

 戦いの盤上から逃げ出した事を叱責されているみたいで聞きたくなかった。




 だからこそ、知りたかった。


 どうして、命を省みず助けたいのか。

 助けようとするのか――



 その答えを見失った一騎は愚直にもその答えを幼馴染みに求めたのだ。



 ◆



「……死んじゃうかもしれないだろ? なのに、どうして……助けにこれたんだよ」

「――そんなの当たり前じゃない」

「へ……?」


 それがまるで当然のことであるかのように結奈は考える素振り一つ見せずに。


「一騎は私がいないと全然ダメダメじゃない。私が助けてあげないとアンタっていつもドジばっかりでしょ? だから、私が面倒を見るんじゃない」

「……それが命を賭けてまで僕を探した理由?」

「あ、当たり前でしょ、バカ!」


 何故か赤面して早口で捲し立てる結奈に一騎はどこか納得出来ない様子だった。


(確かに僕は運動神経も悪いし、ドジだ。けど、それだけの理由で……?)


 頬を赤らめ、もじもじと視線を逸らす結奈は明らかに一騎を異性として意識している。

 だが、幼馴染みとしてのこれまでの時間が一騎の中から『愛』という気持ちを弾き飛ばしていたのだ。

 幼馴染みからの恋心――そんなハードルの高い気持ちに一騎は当然気付けるはずもなく――


「僕がドジじゃなきゃ助けに来なかったのか?」


 そんな最低な事を口走っていた。


 その言葉を聞いた直後、硬直する結奈。

 わなわなと肩を震わせ、唇を噛みしめた。

 加えて、吊り上がっていた目尻がさらに吊り上がり、今度は一騎にもわかる怒りという感情に満ちた赤面を浮かべ、一騎を壁際に押し倒したのだ。


 再びの壁ドンである。


 バンッと力強く叩かれた壁の音に一騎が驚いていると、結奈が顔を近づけてきた。

 

「ふざけないで」


 怒り以外の感情を排斥したような声音に一騎の股間がキュッとなる。

 今まで一度も見た事がない結奈の怒りにどうしていいかわからず一騎は目を瞬かせ、声を詰まらせる。


「な……え……?」

「例え、アンタがドジでなくても探すに決まってるじゃない!」


 途端に結奈の目尻から涙が溢れる。

 声を震わせ、怒声を浴びせながら、涙でグシャグシャになった顔。

 怒りと悲しみ。その両方をひしひしと全身で感じながら、結奈の気迫に呑まれる一騎の胸に結奈は顔を押しつけて呻く。


「アンタがどこにいても探すわ。もう二度と嫌なの。味わいたくないの。アンタがいなくなったあの気持ちを!」


「ゆ、結奈……?」

「どうして一騎を助けるかですって? そんなの決まってるわ。私が助けたいと思ったからよ! 面倒を見ないといけないとか、私がついてないとダメとか……そんな責任感だけで今、この場所に来られるわけないでしょ!? 私は、私が助けたいと思ったから、気持ちに素直になりたかったからここまで来れたの!」


 なおも涙で声を枯らしながら、結奈は嗚咽まじりに吐露し続けた。


 一騎はそれを黙って聞き続けた。

 

 いや、少しばかり違う。


 結奈の言葉から何か希望を見出したかのように一心不乱に耳を傾けていたのだ。



 ――そうだ。


 一騎の心の中で変革が起こる。



 昨日までの弱かった自分。

 

 ――違う!


 気付かなかっただけ。目を向けなかっただけだ。

 

 確かに僕は弱い。けど、弱いだけじゃないだろ……


 僕の中にだってあるんだ。


 誰かを助けたい――その気持ちが。


 十年前の大震災からずっと一騎の中で息づく声音。


 一騎の心を導くように深く刻まれた誰かのその強い意志こそが一騎の理想ではなかったのか?


『大丈夫、絶対に助けるッ! だから生きようとする意思を捨てないでくれッ!』


 誰かの為に、命を賭けるその姿がまぶしかった。

 目指したいと思った。

 一騎の夢。理想。


 そして――希望。


 力があるから戦うんじゃない……


 義務でも責任でもない。


 僕は――守りたい。


 皆の笑顔を。

 顔も思い出せない誰かのように。

 守りたかったんだ。


「そうか……」

「かず……き?」


 一騎は結奈の肩を掴んでそっと身体を引き離した。


「ゴメン、結奈。僕はずっと逃げてた。出来ることがあるのに、逃げてた。ずっと」

「何を、言ってるの?」


 キョトンとした表情を浮かべる結奈の手をそっと握りしめると一騎はシェルターへと走り出す。


 たたらを踏む結奈を優しく支え、一騎はこれまでになかった高揚感を滾らせ、強く足を踏み出した。


「ちょ、ちょっと一騎! どうしたの!?」

「わかったんだ。僕が今一番したいこと!」

「一番、したいこと……?」

「うん。僕は皆の笑顔を守りたいんだ。だから、もう逃げない。諦めない。迷わない!」

「な、なんの事か全然わかんないだけどッ!?」


 さっきまでふて腐れて結奈に愚痴をぶちまけていた姿とのギャップに唖然としていると一騎の足が急に止る。


 目の前には息苦しさを覚える鈍重な鉄の扉。

 何重にも束なった隔壁はこの学校の避難シェルターだ。


 結奈は釈然としない気持ちでその壁を見上げた。


「嘘、でしょ……」


 一騎と結奈がいた場所からシェルターまではそれなりの距離があったはずだ。

 少なくても数分でつけるような距離でも――


 なにより、一騎が息切れの一つも起さず走りきれるような距離ではなかったはずだ。


 

 言葉を詰まらせる結奈を余所に一騎はシェルターの隔壁を開ける。

 人一人分が入れる小さな隙間を開け、結奈をその隙間に押し込んだ。


「一騎……?」


 結奈はシェルターに押し込まれるその時まで一騎のその行動を予測する事が出来ないでいた。

 このまま一緒にシェルターに避難してくれる――そんな結奈の淡い期待が、結奈の目の前で音を立てて崩壊する。


 一騎を外に残してゆっくりと隔壁を閉ざすシェルター。

 一騎は慌てた素振りすら見せず、ゆっくりと閉じるその鉄の扉を眺めていたのだ。


「どうして……」


 掠れた声が結奈の口から漏れる。

 涙で視界が霞み、よく見えない。


 よく見えないのに……


「どうして、笑っているのよ!」


 一騎の凛とした、そしてどこか力強い笑みだけが脳裏にはっきりと焼きつき、結奈は泣き叫ぶように悲鳴を上げるのだった。

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