居候はエルフさん
ムク文鳥
プロローグですか?
四つの月と無数の星々が輝く夜空。
その他に灯りといえば、鬱蒼とした森の近くを通る街道脇の見通しの良い場所で、ちろちろと燃える焚き火の赤い光のみ。
今、その焚き火の周りで、数人の年若い男女が楽しげに語り合っていた。
「しかし、今回の迷宮探索は当たりだったな」
水袋の中身──水ではなく酒──を喉に流し込みながら、重厚な金属鎧を着込んだ青年が嬉しそうに言う。
「本当ね。宝石や装飾品もたくさん見つかったし、魔力が込められていそうな
ローブを纏い、傍らの木に杖を立てかけた少女が、隣で熱心に古ぼけた短剣を焚き火の灯りに翳しながら見ているもう一人の少女へと尋ねた。
「うーん……魔力が込められているのは確かですけど……どんな魔力なのかまでは私にはちょっと……町に戻ったらどこかでしっかりと鑑定してもらった方がいいでしょうね」
少女がやや申し訳なさそうに言うと、それに合わせるように彼女の長くて先の尖った耳がぴくりと揺れた。
「そっかー。エルフのあなたに分からないんじゃ、仕方ないわね」
「おいおい、魔力の込められた道具の鑑定は、精霊魔法を使うエルフじゃなくて、古語魔法を使うおまえら魔術師の領分じゃないのか?」
「えー? だって私、そういうちまちましたのって性に合わないのよね」
「確かにおまえは火力特化型だからなぁ」
革鎧を着た青年の言葉に、一同が楽しげに笑い声を上げた。
冒険者。
そう呼ばれる者たちが、この世界にはいる。
依頼を受ければどんなことでもする「何でも屋」であり、時に迷宮などに潜って魔物を倒し、そこに隠された財宝などを掘り起こす「発掘屋」でもある。
今、街道脇で焚き火を囲んでいる彼らもそんな冒険者の一団であり、彼らが拠点としている町から徒歩で二日ほどの場所で新たな迷宮が発見されたと聞き、早速その迷宮に挑んだ帰り道であった。
さすがに一度の探索で迷宮の最奥まで到達することはできなかったが、それでも半日ほどの探索でかなりの財宝を発見できた。しかも、魔力の込められた短剣まで発見したのだ。これは彼らのような中堅の冒険者にとっても、相当運がいい方である。
そう。彼らは冒険者の中でも、中堅と呼ばれる立場の者たちだ。
彼らが出会い、パーティを結成して約二年。これまでこつこつと実績を積み重ね、最近では拠点となっている町でも少しは知られた存在となっていた。
最初はそれこそ薬師に頼まれて町の周辺で薬草を探したり、肉屋に頼まれて食肉となる野生動物を狩ったりといった地味ながらも堅実な仕事から始め、その後は行商人の護衛や畑を荒らす魔獣の駆除といった荒事も請け負うようになった。
ようやく初心者から一人前、そして中堅と呼ばれるようになった彼ら。そんな彼らに元に舞い込んだのが、迷宮の発見の報である。しかも、町からそれほど離れていない。
その情報を得た彼らは、運試しと腕試しを兼ねて早速その迷宮へと挑み、それなりの成功を収めたのだ。
彼らにとって初めての迷宮探索。そして探索の成功。そのことにパーティのメンバーは皆浮かれていた。
そのため、彼らの警戒心は薄れていた。今自分たちがいるのが決して安全とは言えない町の外、しかも夜であるというのに。
冒険の成功に、彼らは高揚感と共に慢心も抱いてしまっていたのだ。
そして、それは突然訪れた。
最初に気づいたのは、エルフの少女だった。その長い耳が、ひゅんという風切り音を捉えたのだ。
次いで、ぷすりという何かを貫く音。
エルフの少女が反射的に音のした方を振り向いて──そのままひっという声にならない悲鳴と共に息を飲んだ。
彼女の視線の先。革鎧を着た青年の眉間に、それまでなかったものが生えていた。
いや、生えたのではない。突き刺さったのだ。
少女の脳がそう判断するまで、更に数瞬の時を必要とした。
革鎧の青年の身体がぐらりと揺れ、そのまま仰向けに倒れ込んだ。
その音が合図であったかのように、少女とその仲間の周囲に次々と矢が打ち込まれる。
「な、何ごとっ!? 何が起きているのっ!?」
愛用の杖を胸に抱えるように握り締め、魔術師の少女が周囲を見回す。
「ちくしょうっ!! 山賊か何かの襲撃かっ!? よ、よくも仲間を────」
金属鎧の青年が立ち上がり、愛用の盾と剣を構える。だが次の瞬間、先程の矢よりの重量のある物が飛来し、立ち上がった青年の顔面にぶち当たった。
手斧だ。
投擲された手斧を顔面に受け、青年は周囲に血と骨と脳漿を撒き散らして大地へと沈んだ。
「ひっ!!」
再び短い悲鳴を漏らしたエルフの少女の手を、魔術師の少女が強引に引き、そのまま彼女を立ち上がらせた。
「何しているのっ!? 逃げるわよっ!!」
「で、でも────」
「あの二人はもう助からないのっ!! もう死んでいるのっ!! このままだと私たちまで────」
悲痛な表情でそう告げると、魔術師の少女はエルフの少女の手を引いて走り出した。
暗闇が支配する夜の森の中へと。
ふと気づいた時、彼女は一人だった。
最初は魔術師の少女に手を引かれて走っていたが、森の中に飛び込んだ後は彼女が先頭に立って走り始めた。
森の中はエルフにとっては親しみのある場所である。更には、エルフには暗視能力があり、夜の森も昼間の森もそれほど大差はない。
だから、彼女は森の中を魔術師の少女を先導しながら走ったのだ。
だが、背後からの追っ手に怯えて必死に走り、ふと後ろを振り返った時。そこにいるはずの少女の姿がなかった。
どこかで逸れたのか。それとも、走る速度が違い過ぎたのか。夜の森の中を暗視能力のない人間が、灯りも持たずにエルフと同じ速さで走れるわけがないのだ。
突然の襲撃であっという間に二人の仲間が殺され、その魔の手が自分たちにも及んでいるという恐怖から、彼女にはそこまで気を回す余裕がなかった。
「ど……どうしよう……探さないと……」
立ち止まり、周囲を見回しながら呟く。
魔術師の少女を探しに来た道を戻ろうとした時、近くの茂みががさごそと揺れ動いた。
そして、その茂みから現れたのは魔術師の少女だった。彼女の姿を確認し、エルフの少女の顔に安堵が広がる。
だが、その顔はすぐに恐怖に引き攣ることになる。
茂みからふらふらと現れた魔術師の少女。彼女はそのまま数歩足を進めると、エルフに少女に小声で何事かを呟いた。
「に……げて……あ、あなた……けで……も……げて……」
魔術師の少女は、そのまま前のめりに地面へと倒れ込む。
暗視の利くエルフの少女の瞳は、倒れた魔術師の少女の背中に
「え? あ、あれ……? ね、ねえ……?」
あまりにも衝撃すぎる事実に、視覚情報と脳の認識が一致しない。
彼女が何もできずにおろおろしていると、魔術師の少女が現れた茂みの奥から、三人の男たちが松明を手にして姿を見せた。
「おっと、ここにいたのか。ようやく追いついたぜ」
「ほぅ。最後の一人はエルフだったのか。こいつはいい」
「ああ。奴隷として売り払えば、いい金になる」
男たちはエルフの少女の姿を確認し、下卑た笑みを浮かべた。
「あ……あなたたちは……」
エルフの少女には、男たちに見覚えがあった。
それは今日の昼間、迷宮に潜った時のことだった。迷宮の噂は既にあちこちに広まっているようで、迷宮に挑む冒険者は彼女たちのパーティ以外にも当然いた。
今、少女の目の前にいる男たちもそうだ。彼らとは迷宮の中ですれ違い、ほんの少しだが言葉さえ交わしていた。
そう。彼らは山賊や盗賊ではない。エルフの少女たちと同じ冒険者なのだ。
「さて……迷宮で見つけたお宝……渡してもらおうか?」
男の一人が、無遠慮にエルフの少女に向けて掌を差し出した。
「あ、あなたたち……私たちが迷宮で見つけた財宝が目当てで……」
「そういうこった。俺たちは迷宮ではあまり目ぼしい物を見つけられなくてなぁ……それに、手持ちの金も尽きる寸前なんだ。そんな哀れな俺たちに、上手いことお宝を見つけたおまえたちに恵んでもらおうと思ったのさぁ」
彼らと迷宮の中で言葉を交わした時、仲間の金属鎧の青年がそれなりの財宝を見つけたと自慢気に話していたことを、エルフの少女は思い出した。
おそらく、迷宮の中で目ぼしい発見のなかった彼らは少女たちが手に入れた財宝を奪うべく、こっそりと後をつけてきたのだろう。
エルフの少女が彼らのことを考えている間に、男たちの一人が倒れた魔術師の少女の体を調べ始めた。
着ていたローブを剥ぎ取り、その下の衣服も破り去る。そうして彼女の所持品を全て奪った男は、更には下着の中まで手を入れて、それ以上何もないことを確かめる。
「値の張りそうな宝石や装飾品があるじゃねえか。しかし、少し勿体なかったな。てっきり
「こっちのエルフの小娘と一緒に、売り飛ばすって手もあったな」
闇に包まれた森の中に、男たちの下卑た笑い声が響く。
エルフの少女は、唇を噛みながら男たちを睨みつけつつ、手の中の短剣を握り締めた。
その時、彼女はようやく気づいた。先程まで調べていた短剣を、そのままずっと握り締めていたことに。
手の中の短剣に目をやる少女。彼女のその様子に、男の一人が何やら気づいたようだった。
「おい、お嬢ちゃん。その短剣、こっちによこしな」
「だ……駄目っ!! こ、これは……」
仲間たちとの初めて挑んだ迷宮探索で手に入れた短剣。彼女以外の仲間たちが殺されてしまった今、たとえこれが魔力のないただの短剣だったとしても、彼女にとっては自分と仲間たちと繋ぐ大切な思い出の品となった。
その短剣を男たちに渡すわけにはいかず、エルフの少女は短剣を体の後ろに隠した。
「ほう。そうやって大切そうにするところを見ると、その短剣も値打ちものっぽいな。おい」
男の一人がもう一人の仲間に目配せする。どうやらその男は魔術師だったようで、仲間の指示に従って小声で呪文らしきものを素早く唱える。
「──その短剣には魔力が込められているな。それに……そのエルフが耳に着けている耳飾り。それからも魔力が感じられる」
魔術師が唱えたのは、魔力を感知する魔法のようだった。
その男の言う通り、少女の耳飾りは魔法具だった。この耳飾りには翻訳の魔法が込められており、彼女が冒険者となるべくエルフの集落を出る際に、両親から餞別として譲り受けたものである。
人間の世界に出てきた当初は人間の言葉がよく分からなかったこともあり、この翻訳の耳飾りにはとてもお世話になったものだ。
「そいつはいい。その短剣と耳飾り、それから有り金も全部をこっちに渡しな。そうすれば、命だけは助けてやるぜ? もっとも、奴隷として売り飛ばすことは確定だけどよ?」
エルフはその美しい容姿から、人間の奴隷よりも高く取り引される。
細めですらりとした長身の体格と整った容姿。そして何より特徴的な長く尖った耳。彼らは愛玩用、観賞用、そして性交渉用の奴隷として男も女も高値で取引されているのだ。
人間の貴族などの金持ちたちの間では、エルフの奴隷を飼うことが一種のステータスともなっているほどに。
そのことを、エルフの少女も伝え聞いたことがある。
捕えられ、奴隷として売り飛ばされる。既に定められたに等しい自分の未来を突きつけられて、エルフの少女の体はいつの間にかがたがたと震え出していた。
「ほらほら、どうした? なんなら、俺がお嬢ちゃんのおべべを全部剥ぎ取ってやろうか?」
にやにやと嫌らしい笑みを浮かべながら、男の一人が少女へと近づく。
「い、いやっ!! 来ないでっ!!」
少女は咄嗟に魔法を使用した。
彼女と契約している水の精霊が、彼女の願いを聞き入れて腰に下げられた水袋から飛び出す。精霊は水袋の水を水弾に変化させ、近付いて来る男へと叩きつけた。
突然腹に水弾を受け、男がもんどり打って倒れる。しかし、少女の魔法の威力では一撃で男を倒すことはかなわず、腹を押さえつつ男が再び立ち上がる。
「この……下手に出ていりゃつけ上がりやがって……」
怒りで顔を真っ赤にした男は、猛然と少女に襲いかかった。
一瞬で少女の腕を捕えた男は、少女が持っている短剣を奪おうと手を伸ばす。
「だ……駄目……っ!!」
男の手から逃れようとするものの、しっかりと男に手首を押さえられて逃げることはできない。
せめて短剣だけでも守ろうと抗うも、とうとう男の手が短剣に到達した。
「ほらっ!! いい加減に寄越しやがれっ!!」
いつまでも抗うエルフの少女に、苛立った男は強引に短剣を引き寄せる。
この時。
弾みで鞘に収められていた短剣がするりと抜け、その拍子にエルフの少女の指先を僅かに切り裂いた。
「あ……つっ!!」
指先に走る小さくも鋭い痛み。その痛みを堪えながら、短剣を奪われた少女は反射的に男の手首に噛みついた。
「うわっ!! 何しやがるっ!?」
突然手首に噛みつかれ、男は思わず短剣を取り落とした。
零れ落ちた短剣を視界の端に捉えた少女は、男から離れて短剣へと手を伸ばす。だが、少女の手が届くより速く、短剣はそのまま地面に突き刺さった。
そして。
そして、それは起きた。
地面に突き刺さった短剣を中心に、光り輝く魔法陣が突如出現。
現れた魔法陣は、次第にその光を強めていく。
「な、なんだぁっ!?」
「何が起きていやがるっ!?」
眩い光に幻惑され、視界を奪われて騒ぐ男たち。
魔法陣を源とする光は更に強くなり、夜の森の中を昼間のように照らし出していく。
そして一際強く光輝いたのを最後に、光は唐突に消え去った。
闇の勢力が戻った森の中。男たちの持つ松明の灯りだけが、辺りを薄らと赤く染めている。
「……な、何だったんだ、今のは……?」
ようやく視界を取り戻した男たちが、ゆっくりと周囲を見回す。
そして、彼らは気づいた。
突如現れた魔法陣も。地面に突き刺さった短剣も。そしてエルフの少女も。
その全てが忽然と夜の森から消え失せていることに。
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