第五十六話 家と養子と策謀と

 帰国の用意を始めてから、初めて知ったことだが、義母は関東には戻らないのだという。

 親父の漁色に歯止めが効かなくなる。京に来てからは随分と打ち解けたと思っていたのだが・・・

 一度しっかり話し合っておく必要がある、そう思った。


「母上、関東には戻らぬとお聞きしましたが?」

「ええ、政綱様には伝えておりませんでしたが、細川家で乳母の役を賜り、潤丸の養育をと」

「その事細川家には?」


「はい。九郎様に奥方がいないので、春林寺様(政元の母)には了解を頂いております」

「父上は、何とおっしゃっていますか」

「実を申せば、伊豆を出るときには帰って来なくとも良いと・・・」

 親父ぃ~。何言っちゃってるんだろ。でも、これは、夫よりも子を取るということ、仕方ないか。


「実を言うと、母上がいないと、父上の 悪い癖が収まらなくなりそうで」

「鎌倉で暮らした時も、ここ二年はいっかなお渡りがありませんでした、私に諫められるとでも。鎌倉には何人か臨月が近い娘もいたはずです」

「はぁ、しかし、京で暮らすには何かと物入り。銭はおありなのでしょうか」

「富子お姉さまに持参金としていただいたものが、二百貫は残っています」


「そんなに・・・」

「政綱様にははした金でしょうに。上様も堀越から鎌倉に動座されてからは、なにかと羽振りがよくなりましたから、其方の才に恵まれたのは親子なのと思いますが」

「で、母上。その銭は何に使われる?」

「もちろん、潤丸のために・・・」


「それはいかん。細川の面子を潰す御積りか」

 義母はハッとした様子である。

「では、どのように。清丸に?」

「清丸については、九郎殿と私にお任せください。これでも銭の使い処は、心得ておる心算です」


「ならば・・・」

「そのつもりがなくとも、細川家は京第一の富強。意に染まぬ使い方をすれば、まずいことになるやもしれません。ただでさえ母上は御台様に近しいと見られておりますに」

「ならばどのように」

「母上の御実家のために使っては如何でしょうか?」


「実家? 妾の武者小路むしゃのこうじ家の?」

「武者小路家の御当主は権大納言縁光様。だが、御嫡男資茂様が早世し、後嗣がいらっしゃらない」

「はい、そのことは案じていました。では、養子を?」

「うん。先の関白九条政基様に母上の妹様が後添えに入ったはずですが、お子ができたというではありませんか」


「はい、その甥の顔を、先日見に行って参りました」

「その子を、縁光様の、養子としてはいかがでしょうか」

「・・・」

「九条家は既に尚経様が家督を継いで十年になります。正室の三条西保子様との間にまだ男子が生まれていないとはいえ、我が従弟いとこ殿が家督を譲られることはまずあり得ません。いずれどこぞの家へと養子に出されるのなら、武者小路家が貰い受けても良いでしょう」


「それは、確かに。でも、そんなにうまくいきますかしら」

「なに、九条家は手元不如意で首が回らない状態ですから、まとまった銭を渡せば一も二もなく承知するでしょう」

「首が回らないって・・・、面白い言い方をなさるのですね。ああ、でも分かる。それほどなのですか」

「大乱中に二百貫の借財を家宰の唐橋何某に負わせて、その代わりに、九条家の荘園、和泉国日根荘ひねのしょう入山田いりやまだ村の差配を、子の代まで任せることにされたようですよ」

「まあ」

「それを考えれば百貫程の銭を匂わせれば、これ幸いと翌日には妹御ごと牛車で運んできかねません。」


 ほほほと思わず釣られて笑う義母を見る。確かに美人であろうと思う。親父の許に輿入れしたのが二十歳を幾つか過ぎてのことだったはずだ。応仁文明の大乱を避け美濃の川手で暮らした頃は評判の美人三姉妹であったという。


 応仁文明の乱で川手に疎開していたせいで、武者小路家の娘は皆晩婚なのかと思っていたけど、考えてみれば、権大納言の娘だ。嫁ぎ先に困ることはまずない。遅くとも十六、七には結婚するだろう。父親の武者小路隆光は文安五年に亡くなってるんだ。それは応仁文明の乱が始まる十九年前。同じ父の兄弟はそれまでにはみな生まれているはず。応仁文明の乱が始まり疎開したにしても、一年やそこらで疎開したとも思えない。疎開の時には三人とも二十歳は過ぎている。しかも母親は日野家の娘である。ということは、武者小路家の美人三姉妹は戦乱のためか、あるいは何かあって当初の結婚が続けられずに実家に戻されたということだろう。出戻りの輿入れ先は妾か後添えである。


 一番上が近衛家の妾、三番目は九条家の隠居の後添え。二番目の娘だけが、高位の武士(親父)に輿入れした。おそらく、姉、妹は初婚では子供ができなかったのだろう。戦乱の中にあって子を産めない女は実家に返す。そうして、一番上と三番目の娘も返され、三姉妹そろって川手へ疎開ということか。義母だけが京では嫁がないまま川手へ行って、そこから親父のもとへ嫁いだ。高位の武士相手に出戻りを押し付けることはできないからだろう。残りの二人は、京へ戻ってから適当に始末された。


 応仁文明の乱の終結後京へ戻って、九条家の隠居の後添えに下の娘が嫁いだ。いや、嫁がされた。隠居にとうが立った女を後添えに、当たり前の話だな。それが、子供、しかも男子を産んでしまった。誰も期待してはいなかったのに。史実ではこの子を、細川政元が養子にとるわけだが、九条家に頼み込まれたのだろうな。嫡子として育てられたのに、政元との折り合いが悪く、後に廃嫡までしている。高位の武家の当主が公家出身ではうまく収まるはずもない。この子のためにも、武者小路家で引き取るのが吉であろう。


「武者小路家の血に歴とした摂家の血も入っている男子です。上手くいけば、大臣家や清華家並みに上ることも?」

 今一つ乗り気でないような義母を説得してみよう。

「実家での良い思い出などありません。当主の縁光様は、兄の子ではありますが、兄が身分の賤しい女房に産ませた子なのです」

「ふむ、お父上、私や潤丸の祖父はどの様な方だったのですか」

「いえ、存じ上げないのです。物心ついた時には父も母もおらず、兄と女房たちが家族でした。」


「その兄上、いや伯父上は?」

「一昨年出家したそうですよ。出家の前には手紙を寄越しました。清丸か潤丸を養子になどと、冗談にすらなっていないと返しましたが。兄の子の息子が元服後まもなく病で死んだため 。兄の子は、名を変え種光から縁光としましたが、名を変えても子はできなかったのです」

 だんだん激しくなる口調。怒っていいのか、泣いていいのかという風情。甥を兄の子と敢えて言っているのは、思うことがあるのを感じてしまう。


「ならば、母上が妹御が御子を連れて武者小路に帰れば、お兄上も、甥御殿も、決してお二人をおろそかにはできないでしょう。母上の暮らしの足しには幾許か銭は送らせていただきますし、御実家にも援助を切らさないように致しましょう」

「そう、そうですね。富子お姉さまに頂いた銭の使い道に相応しいこと」

 義母はそう呟いて、ふふふと壮絶な笑い顔を見せた。これで良しというところかな。


 細川政元に話を通さなければと思っていたところ、呼ばれたので茶室に向かう。

 細川屋敷の茶室は、密談のためにあつらえたような部屋だ。

 先代、細川勝元が流行の茶の湯に高じて作ったものだ。後年のような躙り口などはない。

 早速、九条家、武者小路家のことを話す。


「それは、良いお考えですな。九条殿が某の養子にどうかと言い出したもので案じていたもので」

「なんと」

 早く話を進めないとまずいかもだな。

「では、九条様に関東との縁を結ばせていただきましょう。右京兆家には足りぬかもしれませぬが」

「それはなかろうよ。随分と窮しておるようだし。それはそうと、話というのは、播磨のことなのだが」


「山名殿は播磨から撤退するとか」

「赤松家が、備前、美作、播磨と三国の太守になりおおせた」

「備中、摂津、淡路、丹波とまわりは細川家の分国ではありませぬか」

「戦になれば、たやすく畿内に飛び火しよう」


「細川家は赤松家とは仲が悪いのでしょうか?」

「悪くはない。今までは、山名という共通の敵があった故な」

「今は良い。これからが問題ということですか」

「何せ、そなたの高祖父を討った一族故な」


「ああ、確かに。嘉吉の乱でしたか」

 嘉吉の乱とは、当時の播磨守護赤松満祐とその嫡子の教康が、将軍足利義教を暗殺した大事件である。

「大樹様が嘉吉の乱のことを蒸し返されるとは思わぬが」

「そういえば、赤松の御当主には御子が居りませんな」

「ん? まさか?」


「備中守護家か野州家には、潤丸、いや、聡明丸殿と同じ年の男子がいらっしゃいませんでしたか」

「ふむ。確かに野州には、おるな」

「その子が、赤松を継げば、赤松家も細川の身内」

「うん、うん」


「その子は、大樹様の奉公衆とすれば野州家も文句は言いますまい」

「なるほど、しかし赤松は・・・」

「赤松家は急激に大きくなったため、統治に必要な家来が足りないのではないでしょうか。五山から見繕って高位に上れないでいる坊主を送り込めばよいでしょう。赤松家は播磨が大事、美作、備前はこのままでは放置されかねません」

「放置されれば、土一揆か」


「そこで、お願いがあるのですが」

「伊勢守の三河の件か」

「流石は管領殿。何を言うかわかってらっしゃる」

「確かに、三河のことは困っている」


「阿波家では、もう手は出さないのでしょう?」

「うむ。三河は本来であれば足利家の領国。それに、東西吉良家

もいる」

「守護になったことがない伊勢が色気を出して、一色を焚きつけたことも分かっている」

「ですが、このままでは、土一揆の国になってしまいます。足利所縁の領地など、代官の松平という者が我がものにしております」


「だが、兵はどうする」

「尾張に」

「武衛殿か、かの方は、越前に・・・」

「遠江と比べれば、大国の越前が欲しいのは当然でしょう。ですが、三河は遠江への道になりますから」


「では、伊勢に三河守護職を与え、斯波殿には合力せよと?」

「武衛殿ではなく、織田大和守に、では如何でしょう」

「武衛殿は無駄な出征の責任を取ってもらい、謹慎していただくか」

「その沙汰を守っていただけるかは分かりませんが」


 ふーっと、政元は大きく息を吐いた。

「武衛家は、足利の親族衆というこだわりが強すぎますからな。我が細川のように家臣として、務めを果たすことを一心に考えいただかねば」

「それを言うなら、三河の吉良家もご同様でしょう」

「それを分かっていて伊勢を咬ませるか」


 ハハハと乾いた笑いを上げる政元。史実で半将軍と言われた傍若無人さは、まだ抑えられている。

「武蔵の吉良家は良く心得た御仁ですが、古河にはもっと困った方々がいらっしゃいますからな」

「そのための、京都扶持衆ですか」

「いえ、まさか。三河の御領所回復のため、駿河にいる伊勢殿に合力をお願いいたすだけにござれば」


「伊勢新九郎とはそこまでの者ですか」

 いきなり名前を出されて、ぎょっとする。

「荏呈殿にお願いされましたが、新九郎殿の人となりから、主人でもない者からの扶持は受けるかどうか。切り取った上で貰えば、自らの領地と喜びもあるでしょう。かの御仁は備中の本家を継ぐ気はないようですし」

 どこまでの者かとか、俺を殺すかもしれない男だと言いそうにもなったけど。そ知らぬ気になんとか返したけど、やっぱり、政元このひとは油断できないね。

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