第四十六話 初春の近江へ

「難波の宮跡の寺となれば、主上には御報告いただきたいと思いますが、それはさておき、王法為本の原則については、手紙などでも思うところは伺っております。しかるに、この度の越前の儀はいかなる王法にございましょうや」

「・・・越前の儀は拙僧の意思にはございません」

下間蓮崇しもつま れんそう

 ある人物の名を発すると、蓮如師が顔色を変えた。


「は!? 破門した男ですが?」

「破門した? 何故です?」

「それは、重ねて一揆を煽動したが故に・・・」

「そう、越前、加賀で重ねて百姓に一揆を煽動した者でしたな。この度の吉崎御坊にも同じことをした者が数多くいるのではありませんか?」


「揆一郎殿は、あれらを破門しろと言われるか?」

「彼らのなしたことが、蓮如殿のお言葉に適っているのであれば、お褒めの言葉を下されればよろしいでしょう。言葉に反することをしているのであれば、お叱りなされ、破門することもあるでしょう。しかし、負けた時は破門し、勝ったときは、褒める。それが、人の道を説く僧侶のあり方でしょうか?」

「・・・・」


「ま、いいでしょう。更に、もう一つ訊きたいことが。蓮如殿。何故、百姓に布教いたすのか。その存念をお聞きしたい」

「いえ、そんなことは・・・」

「確かに、地侍にも門徒はおるのでしょう? だが、商人はどうですか? まさか、舅殿が商人を賤しい職業のものには、などと言われますまいね」


「商人は・・・・」

「ははは、商人は商売敵ですからな。真宗だけではございませんよ。五山も、叡山も同じです」

「商人は利に敏い。明に船が出るのは何時かと、ことあるごとに訊いてくる。坊主も同じ事を訊いてくる」

 義尚が言葉を挟む。

「百姓には『念仏を唱えるだけで極楽に行ける』そう教えているそうですが、商人にはその教えは届かない。仏の教えは万人の教えであるはず。これはどうしてでしょうな」


「だから、真宗も商家に教えを説くようにしたら良いと思うのですよ。そこで、石山の地です。山科も同じこと。あの地に町を作りませんか。信者の百姓をではなく、商人の町屋を、宿屋を、食い物屋を、両替を、入れ物を作って、商家に任せるのです。真宗の僧は、百姓に寄り添って、教えを説いた。商家に教えを説くには商家の真似をするのでなく、寄り添って暮らしてみる。


 仏のことは坊主に、神のことは神職に、油は油屋に、餅は餅屋に、田畑のことは百姓に、戦は武家にではござらんか?」

 蓮如師は、考え込んだようであった。

「時に、教行寺の方はどの様に過ごされていましょうか?」

「ふむ、蓮如殿、どうなのじゃ?」


「お、おう。かの六角殿のことですな。特に、格別変わりがあるとも聞いておりませんが。また何故?」

「美濃の斎藤と武衛家が兵を出しました。旗頭を寺から脱出させて、というのがよくある話故」

「それは、確かに。外からの接触がないよう厳重にいたしましょう。あ、あの方は、剃髪して宗椿そうちんと名乗っておいでとか」


「そうちんですか?」

「うむ、このように書く」

 義尚が、矢立を取り出し、端切れの紙に宗椿と書いて見せた。

「美濃と接触があるのでは?」


「それはあるまい。椿の字を使うだけで、そうとるのは早計じゃ。九郎の手のものが張って居る」

「細川殿の手のものとは?」

「望月じゃ」

「元の被官を見張りに使うとは危ういと思います」

「そうかの。もし逃げれば捕らえて今度は首を刎ねるしかないの」

 公方はうっすらと笑った。


「蓮如殿。吉崎のこと、山科のこと。受けてくれるな」

 蓮如師は深々と礼をした。

「承知いたしました」

 その場はそれでお開きとなった。


 その夜、義尚の部屋で、案の定酒につき合わされた。

 義尚の懇願に負け、何度目かの管領になった、細川九郎政元と、蓮如師、俺。酒は、まだ舐めるだけ、呑むことはできない。

 公方が桐箱から取り出した茶碗に俺は目を見張った。

「その茶碗、馬蝗絆ばこうはんではありませんか!」


 見事な青磁の茶碗であるが、茶碗には大きなひびが入り、それを幾つかの鉄のかすがいで補修してあるようだ。馬蝗絆は所謂東山御物、大御所足利義政のコレクションの中でも最高のものの一つだ。

「うむ。父上に六角征伐の成功に褒美をと強請ねだったら、呉れたのだ。天下の名物で、天下の美酒を味わう、これに勝る馳走はないわ」


 管領細川政元に酌をさせ、澄酒を馬蝗絆で受けながら、からからと笑う。大御所がこれを見たら、泣くだろうか、怒るだろうか。

 公方が透き通っていると言って小さく歓声を上げた。


「揆一郎様、潤童子殿については、どうぞお任せください」

 政元が話しかけてきた。

「足利の血を引く養子を迎え入れることができ、我が家郎党端々まで沸き返っておりますぞ」

「それは重畳なことです。可愛い弟が他家の養子に入るのは寂しいですが、喜んで迎えてもらえるのは嬉しいですね」


「ところで、美濃・尾張の兵がいよいよ不破の関を越えたとの報が入りました」

「やはりそうですか」

 不破の関が破られたということは、京極家は負けたということか。

「後詰として、丹波衆を送っております。阿波からも畿内に慣れた者を寄越すことになっております」


「畠山殿はどうなされるので?」

「左衛門督殿(畠山政長)は、右衛門佐殿(畠山義就)のことがあり兵は出せぬとのこと。加賀のことは左衛門佐殿(畠山義統)が上手くやるだろうとの仰せではあるが、あの方には少々荷が重いかと案じておる」

「大津の手前では、真宗門徒が抑えてくれるとの上人の言葉だったのですが・・・」

 蓮如にはああ言ったが数が多いとはいえ、百姓の集まりはあてにはできない。


「京極殿はどうなさっておるので?」

「南近江の兵を集めて、和田山に向かっているとのこと。不破の関で敗れた浅見対馬守は勝楽寺城に籠っているとのことだ」

「武衛殿は北国脇往還から北国街道の確保が目的でしょう。美濃の兵は京に向かうでしょうね」

「高島七頭には、塩津街道を抑えるよう命じてある。脇往還を抑える田部山城は浅井備前守が守っている」

 浅井? 浅井亮政の養父だったかな? 浅井氏は京極家の根本被官だから、守れと言われればとことん守るかな。六角征伐の陣にはいたんだろうか?


「武衛殿から、手紙は来ていますか?」

「ああ、来ているとも。例によって越前守護の件だ。当然だが、敦賀の朝倉からも文が来ている」

「朝倉家から?」

「うむ。先々代の末の男子が家督を継ぐことになったとのことだ。当面は敦賀を居城としたいとのことだ。元服し、小太郎改め教景と名乗るという」

 あの朝倉宗滴だ。俺と同じ歳だったかな。


「それで、どちらを守護にするので」

 政元は義尚を振り返る。

「うむ」

 馬蝗絆の澄酒を呷ると、政元に突き出した。政元は大徳利を持ち上げてトロトロと注ぐ。


「六角征伐の折には、武衛の願いは退けておる。こうなったからと言って、今聞き入れれば、幕府の権威は落ちる。また、入れねば京に攻め入り、公方の座に義材を据える。そういうことだろう」

 義尚が唸るような口調で言った。

「おそらくは」

 政元が頭を下げる。


「ふん。母に懇願されたから猶子と認めたが、いまや猶子であることが害になっておるな。京を占領し、主上に迫るつもりであろう。そうなれば、揆一郎。お主の可愛い弟達も殺されるぞ」

「清丸も潤丸もどちらも殺されるわけにはまいりません」

 睨みつけるような義尚の眼に眼を合わせる。


「ならば、迎え撃つか? 揆一郎」

 あれ、そうなるのか? また出陣?

「しかし、私には兵がございませんが」

 政元がニヤッと笑う。

「細川家きっての戦上手をつけましょうぞ」


「え?」

「名を、三好筑前守之長と申す男です」

 それって、三好長慶の爺様じゃ?

 しばらく呆然としている間に、話は進んでいる。


「では、朝倉には富樫との和睦を条件に守護職継承の認可の使者を出しましょう」

「富樫には、叱責の文で良いか?

 蓮如殿が吉崎御坊の破却を認めたでな。鯖江か武生にでも真宗の寺を建てるを条件としよう」

「織田大和守にも、斎藤の後ろをつくよう指示しましょう。尾張上四郡の守護代にすると条件を付けましょう」


 また、近江に出陣か。しかも、まだ冬だというのに野戦になりそうだ。考えただけでも寒い。まったく、どうしてこうなるんだ。

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