第四十五話 北陸道仕置き問答
「ようこそ、いとこ殿」
「これは、大樹様。無沙汰をしております。揆一郎政綱にございます」
幕府の執務所と化している伊勢家の屋敷の玄関口で、将軍義尚が俺を出迎えた。
慣例を無視して自ら出迎えに立つほどには、歓迎されているらしい。
「おお、すっかり大きゅうなったの。元服した頃は、まだ臍の高さどにしかない童であったものを」
「これでも武家の端くれ、人並みに鍛錬は致しておりますれば」
「積もる話もある、儂の部屋で話そう」
俺は、義尚に手を引かれ、彼の自室へ向かった。連れの郎党などその場に置いてきぼりである。左京になんとか指示するのがやっとである。
義尚の部屋に入ると、広い畳敷きの部屋の隅に禿頭の老人が座っていた。
「蓮如様?」
「さよう。真宗本願寺門主の蓮如殿だ」
「お久しぶりですな。揆一郎様」
急いで老人の前に座って、挨拶する。
「蓮如様は相変わらず御壮健な様子」
「はは、これでも節制しておりますからな。勝子は如何ですかな」
「ああ、勝子は元気ですよ。松と仲良くやっています」
「如何された。二人とも」
将軍がいつの間に取り出したのか大徳利を抱えてどっかと隣に座った。
「門主殿、これはこの揆一郎が送ってくれた、澄酒だ」
「大樹様、まだ昼でございますよ」
「何を言う。お主が送ってくれた酒ではないか」
「はい、良いものができれば、親しい人に味わっていただきたいと思うもの。されど、今は酒を味わう時にはございません」
義尚は、フンと息を吐いてつまらなそうにプイと横を向いた。
「酒は良いものですが、過ごせは酒毒に侵されます」
義尚は、蓮如に愚痴をこぼす。
「真宗の教義でも酒を禁止してはおらぬのだろ」
「確かに。なれど、勧められて付き合うのと、自ら望んで口にするのは違いまする」
蓮如はにこにこ笑いながら返した。
「修行の妨げとなる。そういうことですな。御仏の道を究めんがためには、衆生の欲を我慢するということでございますな。なれど、これこれの修行をしている、これこれの煩悩を遠ざけている。だから、偉いと、有難いと勘違いする者が居りますからな。それよりも、世間一切の衆生皆々の欲も受け入れ、変わりない立場で語り掛けようというだけのことにございます」
「だから?」
「御念仏さえ唱えれば一切が救われる。罪あるものでも許される。私共はそのように教えておりますが、念仏を唱えれば罪を犯しても良いということではないのです。まず、御仏への信心があってこそ。御仏への信心があって懸命に御念仏を唱えれば、そもそも罪を犯そうなどとは思わなくなる」
「ええい。もう良いわ。白湯を持て、三人分じゃ」
義尚は向きを変えて、叫ぶと。戸の向こうで、かしこまりましたと、声が聞こえた。
「酒は、夜まで楽しみに取っておこう。代わりに、二人とも夕餐には付き合うてくれるな」
「御意にございますれば」
俺が、頭を下げると、蓮如も、はいと声に出して、頭を下げた。
「与一、与一はおるか」
義尚が叫ぶと、子供の声で返事があって、恐らく俺と同年配の、剃り始めたばかりの月代も青々とした少年が一人入って来た。筆記具を携えている。少年は、離れて座ると、額を畳に擦りつけんばかりの礼である。
「薬師寺与一郎
「薬師寺元一にございます」
そういって、顔を上げる与一を見ると、細面の美少年と言って良い。ただ、如何にも険の強そうな釣り目勝ちの目が気になった。
「書記をせよ。そして、この部屋の中のことは他言無用じゃ。
「畏まりました」
薬師寺少年が、部屋の隅から書台を出して、書記の用意をする。
と、蓮如が、義尚に平伏した。
「越前のこと、門徒の不始末のこと誠に申し訳ございません」
その時、白湯がやって来た。盆の土瓶から白湯を、まず皿にとって毒見をし、朝鮮のものらしき茶碗に見事な所作で白湯を注ぎ、流れるような手捌きで各自に茶たくを配りその上に茶碗を乗せた。その初老の僧は、伊勢左衛門尉貞興と、大湊の町屋で名乗ったその人であった。その言葉が正しければ伊勢新九郎の兄であるはずだ。
「伊勢殿?」
「一別以来でございます」
「おお、
公方の言葉で確信できた。伊勢新九郎は、自分の兄を質に幕府に残していたのだ。今川が幕府を裏切らないように連絡窓口を残したということだろうか。
衝撃で何も言えないでいるうち荏呈は下がってしまった。
いろいろと問いたいことはあったが、そんな時でも、場所でもない。本願寺門徒に対する、幕府のあるべき姿勢を、上奏しなければならない。
真宗の件、もともとは武士ではない故、幕府の管轄下にはない。だが、れっきとした守護が命を落とすまでになってしまった。越前加賀国境の吉崎御坊を囲んだ朝倉貞景に、富樫正親と本泉寺蓮悟の連合軍が襲い掛かり、退却した朝倉貞景が一乗谷まで逃げきれず、命を落としてしまったのである。加賀軍は未だに、越前一乗谷を占領したままでいるらしい。豪雪地帯であることもあり、移動できなくなっただけのことかもしれないが・・・
この事件の影響は大きく、越前の旧守護である尾張の斯波氏が早速兵を出している。だが越前は他国を通ってしか行くことはできない。途中の大名がやすやすと通すとも思えない。
「京に上る際、尾張の熱田湊で宿をとりましたが、武衛殿が兵を出したとの由」
「ふん、美濃の斎藤妙純と合わせて、近江を窺っているとのことだ」
「京極殿は如何なさいましょうか」
「不破の関を通さば、武門の名折れと二万の兵で、関は抑える。そう書状が来ておる」
「斯波殿の目的ははっきりしております。目指すは越前入部と。守護再任のため実効支配」
「で、あろうな」
「美濃の斎藤妙純の方ですが、鳩が同道しているのではないかと」
「鳩?」
「親子の鳩です。大樹様の御猶子でもありましたな。父子二人とも、川手の屋敷を出たという話はありませんが・・・」
「・・・」
「白い旗を巻いて持っている部隊があるとのことです」
「なんだと」
「巻いてある旗には、鳩の絵があるのではないかと」
「見た者が居るのか?」
「尾張清州で、織田大和守が申しておりました。
越前は雪故、近江の道を自由に通れる算段をつけ、雪解けを待ってなだれ込むと」
「ということは、妙純の都合に合わせた出兵か。ならば、儂を京から追って義材を立てようとか。
しかし、二人を見た者はおらぬのだな」
「はい。ですが、武衛家と斎藤が不破の関を破って近江に入れば、止められるものは・・・」
俺は、蓮如をちらっと見る。義尚を振り返ると目が合った。
「山科は、京と近江の間にあったの」
「はい。宇治川も東海道も山科を経由しておりますれば。
本願寺門徒が、京を守るために立ち上がるのならば、正に護国の宗門と讃えられことになるでしょう」
蓮如は、先ほどから笑みを崩してはいないが、暑くもないのに額に汗が浮いている。
「宗門の兵は守護大名の兵と戦える。そのことを、北陸道で示した宗門があります。その兵が公方様の下知のもとに、天子様がおわす京を守るために立ち上がったとなれば、天子様も、公方様も扱いをおろそかにしないでしょう」
「美濃・尾張の兵が攻め来るとき本願寺は、都の盾となりましょう。代わりに、先年の不手際は不問にしていただけましょうか」
しばらくして、蓮如が押し殺したような応えをした。よし、手紙での打ち合わせ通り。
「いや、不問とは出来ぬ」
義尚が意外なことを言う。
「吉崎御坊は破却してもらわねばならん」
「そ、そんな。何故でございますか?」
「あの場所にあってはまずかろう。加賀越前国境にあって、平野の真ん中じゃ。人が集まり過ぎる」
やはりそれなりにものは見えるのだろう。さすがに将軍ではある。為政者のものの見方だ。
「今回のことがうまく収まっても、人が、百姓が、地侍が、門徒が集まりすぎれば、為政者からは扱いに困る場所になる。どこか、他に移ってもらわねばならん」
「どこへでございますか?」
「加賀には本泉寺があるだろう。吉崎御坊がある限り、加賀のことも越前のことも吉崎御坊がしゃしゃり出よう。本泉寺の立場がなくなろう。越前の真ん中ほど、鯖江などはどうだ?」
つまり、二国の国境に吉崎御坊があれば、二国分の人が集まる。その数は脅威である。だから、吉崎御坊は破却して、越前加賀双方に真宗の中心地を作れ。一国分の人の集まりなら、吉崎御坊の半分になるから脅威とまでは言えなくなる。大名の対応も変わってくるはずである。そういうことだ。
蓮如は、しばらく考えた後、分かりましたと答えた。
「時に舅殿」
俺が呼びかけると、にこやかに返された。切り替えが早いのか、
「何でございますか?婿殿」
「摂津の石山に、末寺がございますね」
蓮如はぽかんとした様子で、あっけにとられた風だったが、やがて頷いた。
「確かに、ございます。さして大きな寺でもございませんが」
「あの場所は、今では見る影もなくなっていますが、
「淀川の河口があり、川船の交易路としては大変重要な地です。知っておいでのことか分かりませんが、山科といい難波津といい、河川交易路の枢要を本願寺が抱えていることになるのですよ」
「ふむ、そう言われれば古の御殿の礎石らしきものも出ていたように、聴いておりましたな」
さあ、これからが大事なところだ。気合を入れよう。いきなりだったけど、今交渉してしまえばいいや。
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