第三十六話 燃える城、焼けたイカ
「安房は多く見積もって六万石。動員できるのは千五百程度だろう。
関東公方家として、三千の兵、武具、一か月分の兵糧を提供しよう」
そう千葉介自胤に約束してから三月が経った。
安房に千葉自胤が攻め入ったのは、温暖な安房が稲の刈り入れを終えた頃であった。
千葉軍は払暁に汐入川から平久里川にかけての砂浜に上陸を果たすと、鶴谷八幡宮に集結し、ここに本陣を設けた。
八幡宮には警固の武士もいたが、やってきたのが大軍と分ると一戦もせずに逃げてしまった。
そうするうちにも上陸した兵の数は膨れ上がり、二千を数えるまでになった。
鶴谷八幡は里見氏の居城稲村城からは3キロほどしか離れていない。
この軍事行動は、里見
だが、稲村城の里見義成はその軍隊が、どこの誰であるのかを測りかねていた。十曜紋を用いていることから、千葉氏であろうことはすぐ分かった。しかし、下総の千葉氏は古河公方の忠実な配下であり、味方であるから攻めるはずがない。
では、敵対していた、武蔵千葉氏であるかというと、石浜城を退去し行方知らずであった。そんな簡単に二千もの兵を作ることができるはずがなかった。まして、武蔵千葉氏が船を持っているなど聞いたことがなかった。斥候を何度となく出したが、誰一人戻って来なかった。
稲村城には、周辺に在する家臣が集まってきていた。今日の今日では、大した準備もできないが、しかし領主のもとに馳せ参じない選択肢はなかったのである。いずれにしても、虎の子の水軍衆が出払っている状況では、圧倒的に不利であった。城門を閉ざし、閉じこもることしかできなかった。
翌日、千葉軍は進軍を開始した。とはいっても、半刻歩けばついてしまう。城門前に布陣すると
無論のこと、里見として受け入れられるものではない。
かといって正面から攻めて勝てるわけもない。
使者は三日待つといい置いて退去した。
三日の間、城側で何もできないうちに、城門前には、馬防柵が幾重にも築かれ、周囲の木々が切り払われ、城の後背の平久里川には幾層もの船が浮かんでいた。
その朝、夜明けとともに、城下の里見家重臣の屋敷、城の周りにいつの間にか築かれた焚き木の山に、一斉に火がかけられた。
そして、何百という火矢が場内に撃ち込まれる。稲村城のあちこちから炎が上がった。
しばらくの後、城門を開けて数十の騎馬が飛び出してきたが、案の定馬防柵で引っかかり、思うように突進力が得られないまま、矢や槍にかかり討たれていく。
「随分とあっけない城攻めだね」
堀越の屋敷で、俺はツツ丸の報告を聞いていた。
「そりゃまあ、水軍衆が出たのを見て上陸しましたから」
「白浜城はどうなった」
「鎧袖一触って言葉がありますが、正にその字のごとしでした。んぐんぐ」
「別に取らないから、話を先にしろ」
「いや、申し訳ない。止まらなくって。この、烏賊の干したの、炙るとこんなに美味しいんですね」
「伊豆ではあまり獲れないらしいので、珍しいからと言って内浦三津の三郎右衛門尉が献上してきた。アシが早いから、捌いたのを塩につけて一夜干ししたものだ」
「火鉢で焼いたんですか?」
「金網を渡してな」
「ほんと、揆一郎様って便利なもの考えますよね。頭の中どうなってるんだろう」
「お前こそ、猿より速い動きすることがあるが、どう鍛えりゃそうなるんだか」
「へっへっ、教えましょうか」
「いやいい。今は、安房の報告が先だ」
「はーい」
ツツ丸は、今度はゲソをつまみ上げた。
「稲村城の前に布陣が終わったころ、白浜に上陸しました。上陸中に徒武者が二十人ばかり切りかかってきましたが、すぐに取り押さえられました。そこに、里見義実様がちょうど上陸して、見知った武者であったらしく、臣従することになったようです」
「翌々日の、昼頃北に大きな煙が立つのが見え、稲村城が落ちたのだと分かりました。義実様は、安房中の地侍に使者を出し、三浦の大将は、野島の沖で、帆走の訓練をしてました」
「そこに里見の軍船が攻めてきたんです。思うに、稲村城の仇を討ちに来たってところでしょうか」
「大きい帆船の三浦水軍と何十人もの手漕ぎ船の里見水軍。里見は、一隻当たりの人数は多いですけど、海の上での速さは三浦の方です。里見の方が船は多いですけど、大きさでは三浦の船です。里見が突っかかり、三浦が躱すという場面が何度も繰り返されて、里見の漕ぎ手が疲れて、いきアシがなくなったところで、三浦が、鯨銛を里見に撃ち込みました」
「最初の一撃は、狙った船を飛び越えて、その後ろの船に当たりました。次々と、銛が撃ち込まれ、里見の船は、一艘残らず沈むことになりました」
「三浦の被害は?」
「船は何も。急転回の時に、帆桁で頭を打って海に落ちたのが何人かいます。すぐに助け出されています」
「そうか」
三浦水軍衆も、初めてなのによくやったものだ。ぶっつけ本番で、バリスタを使ったようだが、結果オーライだ。バリスタは、鋼の板バネと、鉄線を捩り合わせたもので弓を作り、巻き上げ機で引いて撃つものだ。矢は、先をとがらせた丸太を使った。
「千葉介殿はどうしている?」
「海岸を北上して、金谷湊を攻めるようです」
「義実殿は?」
「当面は白浜城にいるみたいです。いずれは、滝川城に移るって言ってました」
「さて、扇谷はどう出るかな」
河越城には扇谷定正だけではなく、古河公方足利成氏、結城家の家宰多賀谷和泉守がいることがわかっている。関東三戦の最後、ここだけは関東管領に勝ってもらわないと。
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