第二十話 江戸湾を制するために

 扇谷上杉家当主、上杉定正。

 太田道灌を謀殺したことで著名である。

 太田道灌は当代一の英傑と謳われた武将であった。定正は、扇谷上杉家を甥の上杉政真が五十子陣での戦死の後を受けて、三十路にして継ぐことになった。扇谷家宿老の談合を受けての話である。


 もちろん扇谷家の宿老の一人は太田道灌である。決め手となったのは、戦上手の一点であった。前当主政真が討ち死にであったことも影響しているのであろう。定正は、自らを当主にしてくれたいわば恩人をその手に掛けたのである。

 定正は、自らの手で太田道灌をその手に掛けたといわれているが、そのかたきは山内上杉家当主上杉顕定であると公言して憚らなかったという。


 山内上杉家当主、上杉顕定。

 前山内上杉家当主上杉房顕が五十子で陣没した後、将軍足利義政の命で越後上杉家から迎え入れられた。

 文明五年の山内家家宰長尾景信が死んだ際に家宰職を景信の嫡男景春でなく、弟忠景に継がせたことから、長尾景春の乱の原因となった。


 江戸湾以西の関東情勢は、両上杉家によって良くも悪くも主導されていた。


 長享元年十月、堀越御所に大物が集まっていた。

 関東管領山内上杉顕定、太田道灌の遺児源六郎資康、相模守護三浦介三浦義同みうら よしあつ、小田原城主大森寄栖庵など。相模、武蔵、上野、そして伊豆国の大名は殆どが集まったといって良い。但し扇谷は除く。俺、足利揆一郎政綱も末席に加わっている。


「先年の道灌殿の義は残念でござった」

「当主が家宰筆頭を害するなどありえぬと、あれだけの功績をあげた父を害するなどありえぬと、高をくくっていたことが、慙愧に堪えませぬ」

「寄栖庵殿、扇谷殿はどのように申しておるのか」


「おそらくは江戸城のことであろうが、『堅固に塁壁を成し、山内への不義の企てをした』が説得したものの容れられなかったと、あたかも管領様が事を起こしたかのような申されよう」

「江戸城は、結城や千葉への手当であろうが」

「『管領こそが備中(太田道灌のこと)の真の敵』などと嘯いたという噂も」


 ざわざわと収拾がつかなくなりそうなところを、入り口に立った政知の一声で収まる。

「いかなることか」

 元高位の僧だけあって、声はよく通る。そのまま上座に座る。上洛の成果を発表しようというのである。


「まずは、三浦介殿じゃ」

「はっ」

 精悍な若侍が、歩み出て座る。


 おれは、初めて見る関東の重鎮たちに圧倒されていた。伊豆の小領主たちとは、オーラが違う。

 ぼーっと眺めているうちに、自分が呼ばれたことに気が付いた。


「はい」

 こちらへ来いと、手で呼ばれて、前に出る。

「ほれ、皆に挨拶じゃ。あちらを向け」


「此度の上洛で、先の公方、東山様に烏帽子親を賜り、わが嫡子茶々丸が元服いたした。官位も戴いた」

「元服いたし、名を改めました。相模守足利揆一郎政綱と申します。覚えて戴きたく存じます」

 おおう、感嘆の声が上がる。

「相模守とな」


 パンパンと親父が手を叩く。

「揆一郎はの、六角征伐に近江へも従軍し、六角四郎を捕えるという、大功を挙げたのじゃ。のう、左京殿」

「はい。揆一郎様率いる伊豆の兵が見事、捉えてございます」


 後ろから声が聞こえ、見ればいつの間にか、長尾左京が座っていた。僅か三月のことなのに、懐かしく感じる。

「揆一郎はここに座れ」

「はっ」

 親父のすぐ脇に座らされることになってしまいました。


「更にじゃ」

 親父が言葉を続ける。

「嫁を二人もつれて帰ったのじゃ」

 おおおっ。さらにどよめき。


「一人は、細川右京兆家の姫。今一人は、本願寺蓮如殿のご息女じゃ」

 おおおおうっ。さらに上がるボルテージ。

 しばらく収拾がつかなくなった。


「して、修理大夫のことぞ」

 管領殿が話し始めた。

「皆、存念を申せ」


「何卒、父の敵を取らせていただきたく」

 太田資康すけやすが頭を下げる。

「守護の位などなくとも困らぬと、嘯いておるとか」


「亡き道灌ほどとは申さぬが、扇谷の当主はあれでなかなかの戦上手。相模、武蔵、上野は五年もあれば平らげてみせると」

「三浦介殿、ててご殿は如何してござろうか」

「わが父、修理亮高救たかひらは、念のためと、私に家督を譲られた後、『お諫めする』と申して、糟屋館(扇谷定正の居城)に向かったまま、帰ってまいりません」


「何、それは、よもや!」

「修理大夫にしてみれば、実の弟。殺すことはなかろうよ」

「弟は殺さずとも、一族、家臣なら。どうかのう」

 関東管領の、言葉に、その簿は沈黙が支配したのであった。

 扇谷家当主が関東管領を殺したがっていることはその場の誰もが知っていたからだ。逆も真ではあるのだが。


 酒宴に際して、澄酒と塩が披露された。

 口々に褒められたものの、蔵元にはあまり量がないことを説明すると皆残念がっていた。

 塩も、後二か月おけば更に旨くなると説明した。三浦や大森を始め海岸部の武将は、作り方を知りたそうだ。


「相模守護殿」

「なんでござろうか、相模守殿」

 顔を見合わせ、笑いあった。

 宴会の中、俺はこっそり三浦義同殿に話しかけた。最近身長が伸び、肉もついて、年上の武将ともだんだん対等に話せるようになってきている。

 

「浦賀の海関のことですが」

「浦賀ですか」

「品川や六浦、香取海に向かうような、全部の商船を浦賀で抑えることは可能でしょうか」

「全部など無理ですな。上杉や神宮の船は捕まえられませんし。安房側の水路を通れば、追いつけません。


「では、館山か、金谷を抑えればどうでしょう?」

 内海江戸湾の海運を抑えるには、対岸にも根拠地が必要だ。

「抑えることはできても、三浦にはそれほどは船がないので」

「実は、伊豆で船を作り始めるのですが」

「ほう」

「安房や上総にも、山内家の御料所があったのではないですか。そこを回復することを名目とすれば」

 

 ともかく、現地調査は必要だよね。

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