ハディルの回想1

 あれはハディルが魔王の力を受け継いでどれくらいの年月が経過をしたときのことだったか。詳細な年月は覚えていない。人間よりもはるかに長い時間を生きる魔族は暦読みのもの以外、月日を数えることに厳格ではないからだ。


 先代魔王から混沌の力、魔王の力を受け継いだのは百歳を十数年数えた頃のこと。そのあと百年以上を数えた頃、ハディルは人間の国の高位の神官らが召喚した異世界の勇者と相対した。

 黒髪黒目の壮年の男は、人間の国に伝わる光の神の加護を纏った剣を持っていた。代々の勇者が持つ聖なる剣だ。そのときハディルは実物を初めて見た。


 その時代、人間の国と魔族の国は仲が悪かった。

 先代魔王は持てる力を誇示するために敵味方関係なく戦を吹っかける男だった。人間の国から姫を攫ってきて凌辱の限りを尽くすような最低な男だった。もちろん人間の国とも何度も戦をしていた。そんな男が長年魔王として世界に君臨していたのだ。人間たちにとって魔王とは諸悪の根源、倒すべき悪、悪の化身とはおまえのことだ、というような存在だった。


 代替わりなど関係ない。人間たちは魔王を倒すため勇者を召喚した。ただ戦をしたのでは魔王は倒せないと、彼らは一定の周期で勇者を召喚ぶ。

 異世界とこちらの世界が近づくとき。人間たちは運命に導かれた存在を異世界から召喚する。それが勇者もしくは聖女だ。魔王を倒すという運命に縛られた異世界の人間が次元を渡りこちらの世界へ連れてこられる。


「こっちの人間たちは俺に何度も言ったよ。おまえを殺せってな」

 それが彼の第一声だった。体をある程度鍛えた、剣の扱いに慣れた男だった。

「おまえこそ。元の世界に帰るためには俺を殺さないといけない。だが、俺は死んでやる気はない」


 この世界の均衡のためにも魔王の存在は、混沌の力は必要。力を受け継いだ時からハディルが背負った宿命。ハディルの命は混沌と共にある。己はこの力を次代に引き継ぐためにあることを理解していた。


「元の国……か。どうだろうなぁ。俺はもう、うちのもんの前に顔も見せられねぇしな」


 勇者は自嘲気味に肩をすくめた。

 その仕草にハディルは興味をひかれた。

 この人間は元の世界に帰りたくないのか、それとも帰りたいのか。初対面の人間たちから勇者とあがめられ、魔王を殺すことを依頼された勇者。その勇者は魔王相手に隙だらけだった。


「おまえは、やる気があるのか?」


 自分のことを棚に上げハディルはつい聞いてしまった。

 ちなみに当時のハディルもやる気などみじんも持ち合わせていなかった。

 なにしろ生まれたときから命を狙われる生活を送ってきたのだ。やる気など先代魔王から魔王の力を受け継いだ時にすべて燃え尽きた。これでようやく静かに過ごせる、と思えばその後の人生などすべては惰性のようなもの。力を引き換えに長い寿命を貰っても、どうしていいのか分からない。そのくせ魔王の力はハディルに命じる。おまえの使命はこの力を次の器に渡すこと、だと。


「どうだろうなぁ。俺はもう、人を殺すのはたくさんだ」

「……そうか」


 そうして彼はその日は去って行った。

 その後勇者とは何度か対峙をした。戦の前線に魔王が出て行く意味はあるのかと当時の側付きに問うと、魔王が人間側の用意した勇者を倒すことに意味があるという答えが返ってきた。面倒な、と思ったが側付きは魔王の威厳のためですと言ってきかない。


 面倒だ、とやっぱり思った。


 人間の国の王は勇者を傍らに引き連れ己の軍を鼓舞した。

 勇者を倒さないことには延々と人間どもが攻めてくる。それは厄介だった。とりあえず直接対決をするか、とハディルは考え彼は人間が用意した勇者と二人きりで相対する場を作った。

 勇者は病に侵されていた。もちろんハディルは勇者と初めて顔を合わせたときに気が付いていた。彼には死の気配がまとわりついていたからだ。


「俺は長くはない。だから……俺のために死んでくれ」


 勇者はハディルに懇願した。病を自覚した途端に里心がついたと勇者は語った。

 しかしハディルだってこの場で死ぬわけにはいかない。


「悪いが聞けない。俺が死ぬと均衡が崩れる」

「そうか」


 勇者は己を鼓舞するように高笑いをし、それから剣を持ちハディルに突進してきた。ものすごい気迫だった。彼にはどうしても元の世界に帰りたい理由があるのだろう。けれどもハディルも十分に理解をしていた。今この場で命をくれてやるわけにはいかないと。


 結果ハディルは勇者を退けた。

 人間たちが力を合わせて異世界から召喚した勇者は魔王に負けた。

 それがあのときの戦の結果だった。


 ハディルは勇者をレギン城へと連れ帰った。側仕えたちは訝しがった。自分を倒す存在をどうして保護するのか。重傷を負った勇者は長くはない。一命をとりとめたとしても病に侵されている。どうせあと数日で死ぬ運命だった。


 ハディルもどうして彼を連れ帰ったのか分からない。

 ただ、聞いてみたいと思った。里心とはどういうものなのか、と。勇者は寝台に寝かされた状態で短く語った。彼は役人で、人を裁く仕事をしていた。仕事だから、相手は罪人だからと多くの人間を切ってきた。しかし、勇者はある日知ってしまった。勇者の仕える上司こそが不正を働き、彼によって貶められた人々が罪を着せられ罪人として殺されていたことに。勇者が切っていたのは善良な市井の者たちだった。

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