目覚めたら知らない部屋でした

 翌日の朝。青空はいつものようにぐっすりと眠り、そして目覚めた。

「うーん。良く寝た。おはようございます。ハディル様……」

 青空は隣のハディルに声をかけて、それから違和感に気が付いた。まずハディルからの返事が無い。いつもは青空が起きると「起きたか、青空」と声をかけてくるというのに。

 ついでに枕もない。まあ、三日に一度は青空の足元に転がっているのだが。


 しかも、どことなく寝台の意匠が違うような気がする。

 青空はむくりと起き上がる。そして驚いた。


「えっ。えっ?」

 忙しなく首を動かして室内を見る。

「おはよう。青空。あなた二日間も眠っていたのよ。我ながら、術がききすぎちゃったかしらと思ってひやひやしたのだけれど」


 部屋にはディーテフローネがいた。

 美しいお姉様に寝顔を見られていたらしい。青空はひゃっと上掛けを引き寄せた。なにしろ寝間着のままだったのだ。


「起きたのだから身支度をしなければいけないわね」

「え、ちょっと」


 青空は困惑するがディーテフローネは前回会ったときと変わらない朗らかな声を出す。ベルを鳴らすと女性たちが入室をしてくる。青空と同じ年頃の、揃いのお仕着せを身にまとった女性たちだがレギン城の侍女のいで立ちとは違う。それに彼女たちの瞳は碧だったり茶色だったり、要するに魔族の特徴的な赤系の瞳ではない。


 そのことに気が付いた青空は「ちょっと待って」とか「あなたたち誰ですか」と発するがそれらに対する返答はなく、青空は遠慮なしに寝間着を剥がされ浴室へと連行された。


 慣れとは恐ろしいもので、この世界に来てから入浴を世話されることに慣れてしまった青空はお仕着せをまとった女性たちにされるがまま身を清められドレスに着替えさせられた。足元までスカートが覆っている、まさにドレスと呼べるものだ。

 すっかり身支度を終えた青空を眺めたディーテフローネは「可愛らしいわよ、青空」と言って微笑んだ。


 それから青空はディーテフローネに連れられて部屋から出た。

 彼女にいくら聞いても何も答えてはくれない。ただ彼女は「そういう疑問はこれから行く部屋で全部教えてあげるわね」と言った。仕方なく青空は頷いた。一体ここはどこなのか。今はそれが一番知りたい。


 青空が連れてこられたのはやたらと凝った造りの部屋だった。青空が眠っていた部屋もなかなかに豪華だった。ここはお金持ちの屋敷らしい。


「ようこそ、聖女殿」


 部屋の中には数人の人間がいた。

 その中の一人が青空に向かって聖女と呼んだ。


(ど、どういうこと?)


 青空は目を見開いた。

 全員がローブを身にまとっている。男女それぞれ年齢はばらばら。知らない顔ばかりの状況に青空は混乱する。


「我らは光の神に仕える神官。そしてあなたは、我らが呼びし聖女殿」

「聖女……?」


 一団を代表して髭を生やした男が話をする。中年よりももうちょっと年を食った印象の男だ。指にはめた指輪のお陰か、とりあえず理解することができた。二つの指輪は青空の指にはまったままだ。


「そうじゃ。我らは力を合わせて術を練り上げ異世界より勇者もしくは聖女を呼び出した。それを、忌々しいことにあの魔王めが横やりを入れたのだ」


 青空はどきりとした。魔王とはどの魔王のことだろう。青空の知っている黒髪に深紅の目をしたちょっと不愛想なハディルのことだろうか。

 男は心底腹立たしいように、「あの魔王め」と吐き捨てる。なんとなく、青空の中で目の前の初老男性の印象が悪くなる。


 しかしわからない。青空が聖女というのはどういうことだろう。

 青空は一緒に入室をしたディーテフローネに助けを求めるように視線を向ける。彼女はふんわりとした笑顔を保ったまま口を開かない。


「さあ、まずはお座りください」


 青空は促されて部屋の真ん中にある応接用の椅子に腰かけた。

 ほどなくするともう一人、男が入室をしてきた。


「この方はリュデンシュベル帝国の第一王子、アレキクリス様であられる。今回の魔王征伐の責任者でもあられる」


 初老の神官が仰々しい声を出した。青空は慌てて立ち上がる。

 王子と呼ばれた男は青空よりも少し年上に見え茶色の髪に青い目をしている。なかなかの美丈夫だと思った。


「ふうん。これが異世界の人間か。今回は女で、聖女いうことになるからどれくらい美女かと思って期待をしていたら。普通だね。黒い髪に黒い目……珍しくもない。だったらそこの黄金族の女の方が美しいね」


 青空は絶句した。

 確かに青空は普通だ。クラスの中で埋もれてしまうくらい十人並みの容姿をしていることくらい自覚をしている。しかし、上から下までじろじろ見て、それから面と向かって言わなくてもいいのではないだろうか。


「こんな普通の娘を魔王ハディルは妻にしたのか。己の魔力まで与えて。おかげで聖女だというのにこの女は穢れに満ちている。こんなことで〈光の剣〉を扱えるのか?」

「それについては我々にも予想外のことでございました。しかし、その体は紛れもなく生身の人間。そして此度の召喚の術にて選ばれた者でございます。〈光の剣〉に触れることに問題はございませんでしょう」

 アレキクリスの問いに神官が答えた。

 青空にはさっぱり分からない。


「ちょっと待ってください。わたしには何が何だかさっぱり……。聖女って一体どういうことですか?」

 青空はたまらずに口を挟んだ。まずは自分の身に起こった状況を知りたかった。

「こら、聖女殿。いくら聖女殿とはいえ、アレキクリス殿下の言葉に口をはさむとは」

 年若い神官が青空をたしなめる。


「あら、青空の主張は当然よ。この子、何も知らされていないのよ。ちゃんと説明をしてあげないと可哀そうってものだわ」


 ここでようやくディーテフローネが口を開いた。

 一同は黄金族の女に注目する。ディーテフローネは一堂の視線を集めながらも平素通りの優雅な笑みを顔に張り付かせたままだった。


「仕方ありません。では、聖女殿。ご説明をしましょう」


 着席を促され、青空は再び椅子に座った。

 その正面にアレキクリスと神官が座る。初老の神官はこの中では王子の次に身分が高いからだ。青空の後ろにはディーテフローネが控えている。このあいだのヒーラーのようだと青空は思った。


「まずは我らの素性から。先ほども伝えましたが、こちらはリュデンシュベル帝国の第一王子アレキクリス殿下であらせられます。そして今聖女殿がおられるのは帝国の宮殿。人間側の領域にございます」

 ようやくはじまった状況説明に青空は一言一句聞き逃さないよう全神経を集中させる。


「我らの悲願は魔王の破滅。古来より異世界から呼びし勇者や聖女は我らを助けてくれました。〈光の剣〉を扱えるのは異世界の人間のみ。ですから我らは二つの世界が近づく周期を読み、力を合わせ異世界召喚の術式を作り上げました。あなたを、聖女殿をこちらの世界へお連れするために。それをあの魔王は……よりにもよって召喚魔法の途中で横やりを入れてきたのです。そして、あなたを攫った」


 神官の説明に青空の心臓が大きく脈打った。青空の頭の中でハディルのこれまでの言動がフィードバックする。暇つぶしで青空をこの世界に召喚したと言っていた。そのわりに、周りの人たちが青空の召喚劇について何か口にしようものなら彼はことごとく遮っていた。彼は青空に真実を伝えなかった。青空だって、彼が何か隠していることくらいうっすらと感じていた。


「けれども、もう安心です。あなたは無事にこちら側へ戻った。安心してくだされ。そして、我らの悲願を達成してください」

「ひ、悲願……?」

「さきほども言っただろう。我らの目的は魔王ハディルを滅することだ。我らがリュデンシュベル帝国に伝わる〈光の剣〉を使って」


 アレキクリスが堂々と答えた。

 あまりのことに青空は何も言うことができない。


「状況説明は終わったわね。では、わたくしの要求も呑んで頂戴。わたくしたちから奪った〈光の蝶〉を返して」


 ディーテフローネがアレキクリスに向かって言葉を放つ。朗らかな声色だけれど、頑とした強さを持った口調だった。

 アレキクリスはゆっくりとディーテフローネのほうを見やる。


「さて。聖女奪還への協力は申し出たが……。聖なる遺産は我らリュデンシュベル帝国が預かっておいた方がよいのではないかと判断をした。すまないね」

 アレキクリスは薄ら笑いを浮かべた。

「……あら、そう。そう言うの」


 ディーテフローネは青空の肩に手を置いた。

 ゆったりとした口調のまま、彼女はもう片方の腕を振り上げる。

 すると彼女の手のひらに蝶が生まれる。


「〈光の蝶〉……」

 誰かが声を出した。

「あなたたちに〈光の蝶〉は扱えないわ。今の使い手はわたくし。資格が無いもの。返してくれないというのなら、この取引は失敗ね。青空、さあ行きましょうか」

 ディーテフローネは優雅に微笑んだ。

「待て! 約束が違うぞ」

 アレキクリスが叫ぶ。


 青空の視界を七色に光る羽をもつ蝶が染めていく。きらきらと細かい光の粒をまき散らしながら蝶々は青空とディーテフローネを取り囲む。


「約束をたがえたのはあなたたちのほう。では、ごきげんよう」


 ディーテフローネがそう言うと青空の視界が金色に染まった。

 あっという間の出来事だった。

 次の瞬間、青空は見知らぬ部屋の中にいた。

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