二人きりでお花見です

 ハディルが青空と再び寝起きを共にするようになって数日後。

 青空はハディルと共にレギン城から離れた草原へとやってきた。おはぎに乗ってひと飛び。ハディルが手綱を握ってくれているから青空は安心して空の旅を楽しむことができた。


「もうすぐ着く」

「あ、あそこ。青い花が見えてきました。すごーい。きれいですね」


 いくつかの森を抜け、畑を越えた先に広がる荒野。その一角に青い花が群生しているという。ディーターが教えてくれてハディルが花見に行こうと誘ってくれた。

 真上から眺めるとまるで青色の絨毯が広がっているようだ。


「ああ。スマホを持ってくればよかったなぁ。せっかくえる景色なのに」

「映え……?」

「いえ、なんでもないです」


 さすがに異世界の風景をSNSにアップして拡散でもされたら大変なことになる。ああでもスマホで写真を撮るくらいはしたかったかもしれない。青空のスマホはこちらの世界にやってきてからずっと電源をオフにしたままだ。

 そろそろ降下するのだろう。青空のお腹の辺りに回されているハディルの手に力が籠るの感じた。その手の指には青空と揃いの指輪が光っている。


(それにしても、どうして指輪にしたんだろう……。おそろいのものをあげるなら他にもなにかあったはずなのに)


 とはいえ女の子同士のおそろなら髪飾りとか色違いの洋服とか簡単に思いつくのに男性とおそろいとハードルは上がる。腕時計などこちらの世界にはまずないし。

 青空の細い指にももちろんハディルにあげたのと同じデザインの指輪がはまっている。翻訳指輪と合わせて二つの指輪をはめている。


 ハディルの指に指輪がはまっているのを見るたびに青空の胸はむずむずとする。

 降り立った青い花畑はまさに今が満開の盛りだった。

足首までの花は何枚もの花びらに覆われている。さっぱりとした夏の日の空のような色をした花が延々と続いている。


「す、すごい……」

 ネモフィラよりも大きな花だ。

「リュアーナという花らしい」


 二人はおはぎの背中に積んでいるピクニックの道具を降ろす。敷物を敷いて、その上に座りバスケットの中身を広げていく。魔石も持ってきたためお弁当のキッシュやパイを温めることもできる。魔石を便利に使いこなす青空だ。単に食い意地が張っているともいえる。厨房を制する者は料理も制するのだ。


 青空とハディルは横に並んで座る。


「ハディル様。こっちがベーコンと野菜のキッシュで、こっちが茸とチーズのキッシュ。それでこっちのパイの中身は鶏肉をクリームで煮込んだものです。あとひき肉と芋のパイもありますよ。あとサラダもいくつか作ったのでまずは野菜から食べてくださいね。健康のためにはまず野菜から食べた方がいいんですよ」


 父の健康診断前によく母親が言っていたことをそのまま引用する青空はすっかりハディルの妻だ。ことに食事のことに関してだけだが。てきぱきとハディルに昼食を取り分ける青空と、素直にそれらを食べるハディル。


「これが、花見というものか」

「そうですね。たぶん……」


 青空はキッシュを頬張りながら答えた。

 日本の花見は基本花を愛でていない。みんな桜の下で宴会をするのが好きなのだ。青空のいまの頭の中も、今日のキッシュもよく焼けてる、だ。

 ハディルはいつものように気持ちよく青空の作った料理を食べてくれる。デザートはプリンを持ってきた。


「ハディル様の氷魔法のおかげで良く冷えていますね」

「グランゼよりも俺の方が頼りになる」


 妙な対抗心を燃やすハディルだ。

 たくさん昼食を食べたはずなのにハディルはプリンもきれいに平らげた。男性は良く食べるなあ、と青空は感心しきりだ。


「どうした?」

「いいえ」


 青空は慌てて下を向く。

 なぜだか最近ハディルの顔をうまく見ることができない。彼の瞳に青空の姿が映っていることを認識すると急に体温が上昇するのだ。そのくせハディルが側にいると安心する。


 ハディルのほうは、あの日以降も淡々と過ごしている。魔王のお仕事に就いても知りたいのに彼は大体いつもディーターやその他側近から逃げ回っている。曰く面倒ごとは嫌いだと。青空がお仕事も大切です、というと渋々ながらディーターと一緒に魔王の間に赴いていく、という日常だ。


(わたしとしてはハディル様が毎日ごはんをしっかり食べてくれて、それで心安らかに過ごしてくれたらいいなあって)


 そよそよと風が吹く。穏やかな午後だった。

 青い花に見守られ、二人は会話もなく風の音に耳を傾ける。


「青空……」

 静寂を、ハディルが破る。

「はい」

 ハディルはおもむろに自身の上着を脱ぎはじめる。


「えぇぇっ! ちょっと、ハディル様。何を始めるんですか!」


 青空は慌てた。二人きりの状況で、たしかにそういう雰囲気があるといえばあるというか。いやいや。今自分は何を考えたのか。

 青空は両手で目を覆う。布ずれの音が青空の耳に届き青空の体が熱くなる。


「ハディル様! わわわたしたち、その……夫婦といってもまだまだプラトニックな関係で。わたしにも色々と心の準備ってものが。しかも、最初はやっぱりちゃんとベッドの上がいいんですけど!」


「なんの準備だ。背中を見ろ」


 青空が色々と先走ったことを言い募っているとハディルの平坦な声が返ってきた。その声の通常運転さに青空の気持ちが落ち着く。

 青空はそおっと目を覆っていた手を降ろした。すると視界に飛び込んできたのはハディルの背中。上半身が裸だった。背中には不思議な文様が浮かび上がっている。黒い墨のようなもので書かれた魔法陣のようなもの。三角形やら四角形が幾重にも重なり、ミミズが這ったような文字らしきものが書かれている。それがじんわりと輝いている。


「これが、魔王の証だ」

「え……?」

「俺の中には、確かに、どう猛な魔王としての本性が隠れている」


 青空は魔王の証を見つめた。

 ひとしきり眺めたところでハディルは上衣にそでを通し始める。


「背中の文様の中心を突き刺せば、俺は死ぬ。正面からでも背中からでも構わない」


 あまりにもこの場に似つかわしくない言葉だった。

 どうして。どうしていまそんなことを言い出すのだろう。


「ど、どうして今そんなこと……」

「俺と一緒にいるのなら知っておいた方がいい」


 もしものときを彼は憂いている。それくらい彼は青空のことを案じてくれている。けれどもそれはなんて残酷な台詞なのだろう。


「……青空」


 ハディルは青空の頬に手を添えた。

 熱心に見つめられて青空は彼の瞳から目を逸らすことができない。


「ハディル様……」


 青空はいますぐにハディルを抱きしめたくなる。こんなにも誰か一人のことで心が占められることなんて生れて初めてことだった。ハディルは変わらずに青空の視界を塞いだまま。微動だにしない。

 そののち。彼は何かから目を覚ましたように数回瞬いた。


「すまない……。なんでもない」


 ハディルは青空の頬から手を離す。そしてリュアーナの花々に視線を向ける。

 青空は無性に寂しくなった。今すぐに彼に触れたい。そう思う自分の心の変化に戸惑う。


「そうだ。ハディル様。花冠作りませんか?」


 青空はとびきり明るい声を出した。せっかく遠出をしたのだ。今を楽しもうと青空は心を切り替える。


「なんだそれは」

「お花でつくる輪っかです。作り方教えて差し上げます」


 こうして、次はこうして、と手ずから教えてあげると彼はぎごちないながらも花冠を作り終える。ふたりして作った花冠を交換して、それから笑い合う。ほんの少しだけ彼は口元を緩めてくれて、青空に頭の上に乗ったハディルが作った花の輪にそっと触れた。


 それだけの仕草が妙に艶やかで。自分の心に優しく触れられたみたいに青空は肩を震わせた。



 風が揺れている。

 青い花の群生地区から離れた高い木の太い枝の上。ふたりの男女が横並びで座り、光の神由来の聖術を使っていた。


「あら。残念。彼、とっても強力な結界を張ってしまったわ。うーん、中が見えない。もしかして、こんな真っ昼間っからあんなことやそんなことをしているのかしら。さすがは魔王だわ。破廉恥よ」


 男の作った遠見の遠見の聖術を、傍らの女が覗き込む。

 アギレーシュの街で青空がぶつかってしまった黄金こがね族の男女だ。


「破廉恥なのはきみの頭の中の方だろう。それでよく蝶が愛想をつかさないね」

「あら、最初にのぞき見をしようって言い出したのはアレルトルードのほうではなくって」

 男の言葉に女、金の髪の毛に黄金色の瞳を持った美女は抗議をする。


「まあ確かにそうだけれどね。二人きりで外出なんて好機だろう? ディーテフローネ」

「けれども魔王ハディルは思い切り警戒しているわ。さすがに今は手を出せないわね」


 残念~、とディーテフローネは呟いた。なにしろ準備が足りない。もっと逃げる算段を計算しておかなければ、魔王の手の内から人間の少女を連れ出すことなんてできない。


「彼女、もう一度街へ来ないかしら」

 女はぽつりとつぶやいた。

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