美味しいケーキが焼きあがりました

 今日も青空そらが菓子を作り上げる頃合いを見計らいハディルは彼女の元へと向かった。最近はこの時間になると胃が空腹を主張してくるようになった。とくに今日は面倒な六家の者たちから逃げ回ったおかげでいつもよりも空腹だった。


 ハディルが青空を妻としたことで女たちは諦めたかのように見えたが、それなら愛人制度はいかがでしょうと懲りずに進言をしてくる馬鹿がいるのだから勘弁してもらいたい。


 別にハディルは女を侍らしたいのではない。青空を妻にしたのは成り行きで、さすがのディーターも「どういうつもりですか」とハディルに真意を求めたが、ハディル自身首をかしげているのだ。理由など説明のしようもない。しかし、毎日同じ部屋で、すぐ隣で青空が規則正しく胸を上下させながら眠っていることが案外に悪くないと感じている。そういう風に考える自分自身の心の変化にもハディルは驚いていていた。


 ハディルがいつもの部屋へ向かう道すがら、いつも以上にご機嫌な青空と鉢合わせた。


「ハディル様! 待っていました。今日は天気がいいので、お外でお茶会をすることにしたんです。ヒルデたちが待っていますよ」

 青空のほうからハディルに近づいてくることが珍しい。


「今日はルシンが今日いろんな穀物を粉にしたものを持ってきてくれて。その中に、米粉があったんです。わたしの世界でもお菓子の材料に使われている粉で。これだったら間違いないかなあって思ったんで、わたし今日は思い切ってシフォンケーキを焼いてみたんです。オーブンに不安があったけれど、そこは心の目で見極めました。わたし、すごい。やりました! わたしやりましたよ、ハディル様」


 道中彼女は饒舌に語った。朗らかな青空の声がハディルの耳をくすぐる。要約すると納得のいく菓子が出来上がったということ。


「遅い!」


 庭園の一角にたどり着くとヒルデガルトの鋭い声が耳を刺す。そこまで時間に遅れたわけでもないのに、とハディルが眉を顰めるとヒルデガルトが再び喚いた。


「青空が、ぬしが来るまで茶会は開かぬというからじゃ。我は早う食べたいのじゃ。いつもとは違う、ふわっふわの菓子が出来上がったのじゃ。魔王よ、早う座れ。そして青空、我はもう待ちきれないのじゃ」


 ヒルデガルトは足をばたつかせ、文字通り駄々をこねている。

 青空はヒルデガルトに苦笑をしながら菓子の乗った皿を各自の前に置いていく。双子とハディルと青空の分だ。その後青空は「わたくしたちにお任せくださいっ」という侍女に給仕をとって代わられ同じテーブルに着席。


 ハディルは目の前の皿の上の食べ物を眺める。

 形状はパンだ。しかしこの国でよく食べられる平べったいパンとは違い、もっと厚くふんわりしている。それぞれの皿には元は丸い形のケーキとやらが切り分けられた状態で置かれている。その隣にはなにやら白いクリームと切られた果実。


「では食べるのじゃ~」


 というヒルデガルトの弾んだ声に続いて青空の「いただきます」という声が聞こえてきた。彼女のその声を聞いた後ハディルは自分もフォークを手にして青空の焼いた菓子を一口大に切って口の中へ持って行った。


「んんん~! 美味じゃ。美味! ふわっふわで甘いのじゃ。我はこの瞬間が一番好きなのじゃ」


 ヒルデガルトが足をじたばたさせながら喜びを露わにしている。あの気難しいクヴァント族長の娘をここまで虜にするのだから青空の作る菓子はすごいと思う。金を払えば魔法具や魔法薬を作る彼女だが、要求する値段は法外だからだ。


「ん、美味しく焼けてる。よかったぁ。ヒルデったら味見させてくれないんだもん。まあ切ったときに断面を見ていたから生焼けの心配はなかったけど」

「我には我慢せよ、というのに青空だけ先に食するのはずるいのじゃ」

「いやだから、味見だって」

「ならばその味見役は我がするのじゃ」

「そうすると味見じゃなくて本番並みにぱくぱく食べちゃうよね、ヒルデは」

「こんなにもうまいのじゃ。当たり前なのじゃ」

「もう」


 二人は隣同士の席で楽しそうに笑い合っている。いつの間にかずいぶんと仲良くなっている。ハディルはここ最近の青空との会話を思い出す。ここまで親し気だっただろうかと思い返し、いやもうちょっと距離があったことに気が付いてもやもやした。


 ハディルはぱくりとケーキを食べる。ふわふわ甘くていくらでも食べられると思った。となりのクリームは少し酸味があって一緒に食べると違った味わいになる。ケーキは口の中にいれると溶けてしまうと思うくらい柔らかく、どこか青空の頬に似ているな、とか考えた。


 青空とヒルデガルトはまだ仲良くおしゃべりをしている。

「黒糖を使ったシフォンケーキも美味しいんだよ。明日作ってあげるね」

「うむ。楽しみにしているのじゃ」

「ほかの粉も試したいからこれ食べ終わったらまた厨房に戻ろうかな」

「うむ。青空は我らクヴァント族に通じるものがあるのう」


 ヒルデガルトの言葉に青空は「なんだかんだいってやっぱり好きなんだよね、お菓子作り」と答え、ハディルに目を向ける。


「いかがですか、ハディル様」

 ようやく青空がこちらを向いてくれてことにハディルの心が弾む。

「こんなにもふわふわしたパンみたいなものを食べたのは初めてだ」


 いつのまにか皿の上の菓子はすっかり空になっていた。


 ハディルは不思議に思う。こうして穏やかな日々を過ごしていることに。

 ハディルが生まれた頃、オランシュ=ティーエは荒れ切っていた。当時この国を統治していた魔王が暴虐の限りを尽くしていたからだ。そしてハディルは生まれた瞬間、魔王の新たな受け継ぎ手の候補となりそれを知った先代から命を狙われた。

 荒廃しきったオランシュ=ティーエでは六家といえども贅を尽くした食事などできるはずもなかった。魔王を継いでからずっと平和だったわけではない。人間の領域と接しているオランシュ=ティーエは時折人の国と剣を交えることもある。その中でハディルは一度異世界の人間と出会ったことがあった。青空はハディルが二度目に出会った魔力を持たない普通の人間だ。前に出会った異世界の人間は男だった。あの男は元の世界でも人を殺す仕事をしていたと言っていたが、青空は本当にか弱い普通の人間だ。


「美味しかった」


 ハディルがあっという間に皿の上の菓子を平らげてしまうのは、それが美味しいからなのだろう。青空の作る料理は美味しい。

 そう伝えると青空は優しく目を細めた。今日の日差しのような強さのある笑顔ではなくもっとつつましやかだけれどホッとする微笑みだった。


「わたし、ハディル様がお菓子を食べてくれる姿を見るの、好きです。言葉は少ないけれど、気持ちよく食べてくれるから。美味しそうに食べてくれているなぁって。またハディル様に美味しいって言ってもらえるお菓子作りますね」


 こちらに向けられた眼差しを受けたハディルは。

 彼女の笑顔がハディルの心に焼き付いて、呼吸すら忘れてしまった。




 木の陰からそっと盗み見る先には、なごやかな茶会が繰り広げられていた。

 異世界から持ってきたという面妖な物質で作った食べ物で魔王の気を引く人間の娘が笑っている。ハディルの目の前で。楽しそうに。


「許しませんわよ~。盗人メス豚の分際で……」


 悔しくてヘルミネはぎりりとハンカチを噛みしめる。力が入りすぎてびりりと破れた。


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