突然異世界に召喚されました
買い物からの帰り道。
突如足元が光ったかと思ったら見知らぬ部屋にいました。
今ここです。と言われて、はいそうですか、とすぐに対応できる人間はどのくらいいるのだろう。少なくとも青空には無理だ。
さっきまで、ほんの一瞬前まで青空はもう十数年も歩きなれた地元の住宅街の、車の行き来も少ないような路地を歩いていた。
それなのに、今青空の瞳に映っているものはなんだろう。
まず外ではない。室内だ。それも、えらく時代がかった大きな広間。よくファンタジーアニメとか映画とかに出てくる中世の建物の内部のようなところにいる。大きな支柱が何本もそびえたち高い天井を支えている。つるつるの床は大理石かなにかだろうか。
と、その前に。
「ひぃぃっ」
青空は見知らぬ男たちに囲まれていた。ほんの一、二メートルの距離感で。
青空のあげた小さな悲鳴に、男たちが顔を見合わせなにやら話し始める。
青空は知らずに一歩足を後ろに引いた。男たちは皆、現代日本ではまず見ないような服装をしている。マントを羽織る者、軍服にも似た、丈の長い上着を着ている者。
それに。
(あ、あの人! 角! 角がある! おでこに角が生えてる、あの人! ひゃー、こっち睨んだ。なにこれ、怖いっ)
青空の目に見える範囲にいる青年の額には角が生えていた。それも一本。髪の色は銀色でなかなかの強面だ。しかもなにかの格闘選手のように体格ががっちりしている。
「あ、あの……もしかして……コスプレイベントか何か、ですか?」
青空は恐る恐る口を開いた。
大学の同級生にもコスプレにはまっている子がいるくらい、青空の世代にとってサブカルチャーは身近なもの。もしかしたらコスプレの撮影会に迷い込んだのかもしれない。このとき、青空の頭の中から移動時間についての疑問は消し飛んでいる。そもそも混乱しすぎて冷静にものを考えられない。その中で一つの可能性としてコスプレイベント、というワードが出てきたこと自体が奇跡。
青空の声に数人の男たちがもう一度話を始める。
(ひーん。お願いだから訳の分からない言語で話さないで)
青空が身を縮こませると今度はこの中で一番背の低い少年が青空に向かって話しかけてきた。
青空は困惑しながら首を横に振る。白い髪に赤い目を小学校高学年くらいの少年は当然のことながら日本語以外の言語を使った。もちろん英語でもないし青空が去年まで履修をしていたドイツ語でもない。
「英語とか、話せます?」
青空がもう一度口を開くと少年はこちらに向かって足を踏み出した。他の成人した男たちが近づいてくるよりも、まだ怖くない。というか状況についていけない青空は金縛りにでもあったかのようにその場から動けない。
少年はずいぶんと愛くるしい顔をしている。ショートボブ丈の白髪に長いマント、それからズボンといういでたちでかろうじて性別が判別できるが、スカートを履いていたら女の子にしか見えない。
その少年が青空のすぐそばまでやってきて、それから彼女の手を掴む。
「ひぃ」
青空は身を強張らせた。少年はそのまま青空の指に金色の指輪をはめた。飾りも何もないシンプルなものだった。よく見ると文字が刻まれているのだが、あいにくと青空は気が付かなかった。
「これで言葉が分かる?」
少年の発した内容に、青空は目を見開いた。つい一拍前までは何の言語だかもわからなかったのに。それがどうだろう。少年の言葉が青空の耳にちゃんと、日本語として届いている。
「え……。だって、さっきまでさっぱりわからなかったのに……」
「僕にもきみの言っている言葉の内容が分かるよ。うん。さすがに僕の作った指輪だね」
青空の驚きに一度頷き、少年は自画自賛した。青空は自分の右手にはまった指輪をまじまじと見つめた。この指輪作ったのが白い髪の少年だという。
「なにがどうして、いきなり言葉が理解できているの?」
「僕がつくったその指輪には翻訳魔法がかけられているからだよ」
「え、じゃあわたしの話している言葉は」
「それも大丈夫。指輪を介してこちらの言葉に翻訳されているから」
「な、なるほど……」
なんだかよくわからないが、すごい指輪だということは分かった。
「さすがは僕」
「さすが、ではないだろう。おまえが完成させた魔法ではない」
別の男が口を挟む。
「む」
少年は声の主の方へ顔を向ける。
「まあまあ。翻訳魔法が上手くいったことは喜ばしいことですよ。これで異世界のお嬢さんと意思疎通を図ることができますから」
この場にいる男たちの話し声がすべて理解できてることに青空は改めて指輪の性能について感心した。
そして。
(ん……? いま、魔法とか異世界とかって聞こえたような気がするけど……)
翻訳指輪のお陰で、色々と突っ込みを入れたい単語を耳が拾った。
「それにしても……」
いつのまにか黒髪に深紅の瞳をした青年が青空の目の前へと移動していた。白い髪の少年は黒髪の青年に場所を譲るように一歩後ろへと身を引いた。
彼はじっと青空のことを見下ろした。青空よりも身長が高いからだ。
「筋肉もついていない。弱弱しい娘だな」
「!」
割と失礼な言葉を彼は吐いた。端正な顔立ちをした青年は感情の乏しい瞳で青空を見下ろした。背が高いため目の前に立たれると威圧感がある。これで筋肉粒々のいかつい男だったら青空は泣いていたかもしれない。細身の彼は青空に腕を伸ばしてぺちぺちと二の腕を触った。
「陛下! むやみに異世界の人間に近づくべきではありません。もしやとてつもない力を隠し持っているかもしれません!」
銀髪の、角を生やした男が険しい声を出して黒髪の男の横に並ぶ。それだけで青空は逃げだしたくなった。しかし体は変わらずカチコチに固まったまま。青空の顔が青く染まる。
「この娘からはなんの魔法の気配も感じない」
黒髪の青年はちらりと横を一瞥し、それから青空のことを見下ろした。
「おまえ、名は何という?」
「そそそそういうあなたこそ……だだだれなんですか」
青空はなけなしの勇気を体中からかき集め、震える声を出した。いきなり人の腕を触っておいて失礼にもほどがある。
「おい、小娘! 陛下に向かってなに生意気な口をきいている!」
間髪入れずに銀髪角男が叫ぶ。周囲の男たちはそれぞれに何やら話をしている。全部は聞き取れないが、どうやら目の前の青年に失礼な口の利き方をしたらしい。
青空はひぃぃっと背筋を粟立てる。
そのときぱんぱんっと手が打ち鳴らされた。
「はいはい。皆さんお静かに。異世界のお嬢さんが戸惑うのも無理はありません。わたくしめから少しばかり状況説明を」
よく通る声を出したのは金髪に赤い目をした青年。
黒髪の、目の前にいまだ佇んでいる青年と似た年頃だが、彼よりも幾分声のトーンがやわらかい。
「私の名前はディーター・ベルン・フォルト・ヘルツォーゲンと申します。異世界からお客人。そして、こちらにいらっしゃる方こそ、この世界に三人いらっしゃる魔王のうちのおひとり、ハディル様」
「え、ええっ? ま、魔王……?」
「はい。この世界にいらっしゃる偉大なる混沌の力を受け継ぐ存在。それが我らが魔王陛下ハディル・バッハ・フォルト・ヘルツォーゲン様。御年五百歳。と、いくらか数えております」
いろいろとついていけなくて青空は口を開けたり閉じたりした。聞き間違いでなければ、今このディーターという青年は黒髪のハディルという男性を魔王だと紹介した。
魔王ってどういうこと、と青空の頭の中に盛大に疑問符が立ち上がる。
それに、異世界とかなんとか。この世界は青空が知っている地球ではないということなのか。どうしてそんなところに青空がいるのだ。ああでも、と頭の中の冷静な部分が青空に告げる。家までの道のりで突如目も開けていられないほど足元が瞬いた。そのあと体を襲った奇妙な感覚。その後のこの情景。認めたくはないのに、青空は認めざるを得なかった。なにしろ今青空がいるのは明らかに日本ではないどこかの国。これがコスプレイベントではないのなら。その前にテレポートなどという技術が現在の地球では存在しないことを前提に話を進めるのなら。
青空は改めて目の前に無感動に佇む魔王、ハディルを見上げる。
深紅の瞳の奥を覗き込もうとするが、彼が何を考えているのか青空にはさっぱりわからない。
「そもそもの発端は―」
「おまえは俺に
ディーターの説明をばっさりと遮ったハディルから抑揚のない声で告げられたのは。
あまりにも身勝手で身も蓋もない言葉だった。
「そ、そんな……ことで……」
「ああ」
「陛下!」
ハディルがもう一度頷くとディーターが勢いよく割って入る。
「そんな説明がありますか!」
「ある。これは俺の暇つぶし以外の何物でない。現れたのがこんなちっぽけで弱そうな小娘で少々驚いたが……」
ハディルはもう一度青空のことを見下ろした。
青空は、無意識に息を呑む。感情の読めない深紅の瞳。端正な顔立ちのせいで余計に冷たく感じる。
青空は固まったまま動けない。
彼の言動が信じられなかった。彼は自身の暇つぶしのために、青空をこの世界に召喚したというのか。なんの理由もなしに?
「……ひどい」
小さな声が漏れた。
「……そうだな」
ぽつりと、返事が聞こえた。
え、っと思う間もなく彼はくるりと踵を返えす。
「世話をしてやれ。丁重に」
ハディルはそれだけ言って青空に背を向けて歩いて出て行ってしまった。
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