第10話 春間マリーと公園の野良猫

 本日も授業が終わり、いまは放課後。


 僕は今日も今日とて春間マリーと一緒に、家路を歩いている。


 少し前にいる彼女は、相変わらずの上機嫌だ。


 見た目は可愛しくもあるけれども、寧ろ美人といった方がしっくりとくる彼女が、「ななななー」なんて上機嫌に口ずさみながら、軽い足取りで歩いている。


 その姿はきっと、見るひとにギャップを感じさせるだろう。


 後ろ姿を眺めながらそんなことを考えていると、彼女が急にこちらを振り返った。


「ね、ね、テル。

 今日の晩御飯はなんにするか、もう決めているの?」


「いや、まだ決めてないよ。

 うーん、どうしようかな。

 きみはなにか食べたいものある?」


「そっかー。

 私はなんでもいいのよ。

 テルのお料理って、なんだっておいしいから!」


 彼女がトテテと駆け寄ってきた。


 腕を絡めてくる。


 並びあって帰路をてくてくと歩く。


 特に交わす言葉はなくお互いに無言だ。


 けれども僕たちの間に流れる空気はとても穏やかだ。


 彼女のお腹の虫が、くぅと小さく鳴いた。


「お腹、すいたの?」


「うん。

 お腹すいたー。

 ね、テル、スーパーに寄って、晩御飯の買い物をしていこうよ」


 彼女はお腹をぎゅっぎゅっと押さえながら、「もっと鳴らないかなー」なんて言って無邪気に遊んでいる。


「ふふふ。

 そうしようか。

 でも、そうだね……」


 少し思案をする。


 たまには変わったことでもしてみようかな。


「じゃあ寄り道しようよ。

 晩御飯までまだ少し時間があるから、ちょっとコンビニで、おやつでも買っていこう」


「コンビニ?

 うん、行く行くー」


 彼女はその提案に、嬉しそうな顔を見せた。


 ◇


 ふたりで公園のベンチに、隣り合って腰をかける。


 彼女の手には、いましがた、コンビニで買ってきた唐揚げが握られている。


『ねえ、きみ。

 こっち。

 甘いのが売ってるよ』


 コンビニに寄った僕は、レジカウンター横の陳列ケースに並べられたドーナツを指差した。


 けれども彼女は、少し思い悩む素振りを見せてから、『こっちの方がいいな』と、ホットスナックの保温層で温められている唐揚げを指差した。


 どうやら甘いものより、お肉系がお好みらしい。


 僕と彼女は公園のベンチに座り、コンビニの唐揚げを食べる。


「テルも食べなよー。

 はい、あーん」


 楊枝にさした唐揚げを、ひとつ差し出してきた。


 すこし照れながらも、パクリとかぶり付く。


 照れながらもぐもぐ口を動かしていると、背後の茂みで、ガサガサと草花が揺れた。


 なんの音だろう。


 ベンチに座ったまま、うしろを振り向く。


 すると、そこには1匹の痩せた細った野良猫がいた。


「あ、ねぇ、きみ。

 ほらあそこ、猫がいるよ」


「んにゃ。

 ホントだぁ」


 唐揚げをモグモグと食べながら、彼女も野良猫に振り返る。


「……ニャー」


 野良猫は、僕らを見つめながら目を細めて、小さく鳴いた。


 ◇


「ほぉら、おまえー。

 これをお食べー」


 彼女は野良猫に近付き、手に持ったコンビニ唐揚げの、最後のひとつを分け与えた。


 ベンチに座ったまま、そんな彼女と野良猫の様子を見守る。


 猫は警戒した様子を少しも見せずに、彼女が差し出した唐揚げをパクッと咥えた。


 なんだか、警戒心の薄い野良である。


 もしかすると元はどこかの飼い猫だったのかもしれない。


 そんなことを思いながら、猫を驚かさないようゆっくりとした動作で腰を上げ、彼女たちのほうへと歩いていく。


 すると、それまでゆったりと構えていた野良猫は、急に警戒心を強めて姿勢を低くした。


「あ、大丈夫だよ。

 テルはね、嫌なことなんてしないから」


 彼女が猫の頭を撫でた。


 すると逃げ出そうとしていたその猫は、ふたたび警戒心を解いて、僕らの前でゆったりと寛ぎ始めた。


 そんな様子に感心してしまう。


「すごいね。

 ……なんだか猫と会話をしてるみたいだ」


「うーん。

 会話ってわけじゃないけど、なんとなくねー」


 彼女は野良猫をじゃらしたまま、今度は尻尾の付け根の辺りをポンポンと軽く叩く。


 野良猫は、尻尾をピンと立てて、うっとりとしている。


「きみ。

 猫、好きなの?」


 随分と慣れた手つきで猫をじゃらしている。


 もしかしたら彼女も猫を飼っていたのかも……。


「好きっていうか。

 んー。

 元々、猫だもん、私」


「……またまた。

 たしかにきみは、猫みたいだけど」


 冗談を軽く受け流した。


「僕もね。

 以前、猫を飼っていたんだ。

 白くて毛並みの綺麗な猫でね……。

 名前は、きみと同じで『マリー』っていうんだ」


 彼女が野良猫をじゃらす手を止めた。


 こんなことを誰かに話すなんて自分でも思わなかった。


 これは僕にとって大切な思い出話だ。


 あまり人に話すような類のものではない。


 だけど、彼女になら聞いてもらいたい。


 彼女は……。


 春間マリーは僕の顔をジッと見つめている。


 その顔に表情はなく感情は読めない。


「僕は、マリーのことが本当に大好きでね。

 家では、いつもマリーと一緒にいたんだ。

 寝るときなんかも一緒だったよ。

 僕がベッドに入るとね。

 マリーもベッドに潜り込んでくるんだよ。

 でもね。

 よくマリーは寝返りを打っては、ベッドから転げ落ちちゃったりするんだよ。

 あはは……。

 猫なのに、なんだか間抜けだよね」


 いざ口を開いてみると、思い出が洪水のように脳裏に浮かんできた。


 そのひとつひとつを思い出しながら、いまは亡き最愛の猫、マリーへ想いを馳せる。


 自然と目が細まった。


 胸に湧き上がるのは、たくさんの懐かしさと、わずかな寂しさ。


「もうっ!

 ヒドイのね、テルは。

 間抜けだなんて、私の目の前で悪口を言うなんて!」


「えっと……。

 悪口?

 僕、酷いことを言ったっけ?」


「いま言ったじゃない。

 私のこと間抜けだーって。

 そんな風に呆けても、誤魔化されないの!」


 なぜか彼女はプンプンとお冠のようだ。


 いったいなにが気に障ったのだろう。


 首を捻る。


「んと。

 間抜けって言ったのは、僕が飼っていた、白猫のマリーのことだよ?」


「うん。

 だから私のことでしょ。

 マリー」


「……ええと。

 たしかにきみは、マリーだけど」


 おかしな話の成り行きに困惑してしまう。


 彼女はそんな僕の困惑に気付いた様子はない。


「だからね。

 私、猫のマリーだよ?

 テルが拾って、育ててくれたマリー。

 私、死んじゃったはずだけど、死んでからもずっと、テルのことを、そばで見ていたのよ?」


 なにを言いだすのだろうか。


 話し続ける彼女に、僕は困惑を一層強くする。


「それでね。

 私、ずっとテルを見ていたら、テルが、どんどん笑わなくなっていくものだから、お祈りをしていたの。

 テルに、笑顔を取り戻したいって」


「…………」


 自分の顔から表情がなくなっていくのがわかる。


 彼女はそんな僕の様子に気付いていない。


 そのまま話を続けている。


「私、毎日毎日お祈りをしていたの。

 そうしたらね、いつの間にか私、変な場所にいて。

 どうしてか私、生き返っ――」


「やめてくれ!」


 悲鳴のような声が漏れた。


 彼女の言葉を遮る。


 ――マリーが生き返る。


 そんなことが起きれば、どれだけいいだろうか。


 そんなことはもう何度だって考えた。


 そしてその度に、現実に打ちのめされてきたのだ。

 

 もし……。


 もしもまたマリーと会えるのなら、僕はどんなことだってするだろう。


 でももう、マリーは死んだのだ。


 僕がこの手で、力なく横たわる小さな白い体を荼毘に付して焼いたのだ。


 遺骨を納めた小さな仏壇だって、部屋にちゃんと安置してある。


「……あんまりね。

 マリーのことで、ふざけないで欲しいんだ」


「ふざけてなんか――」


 彼女は、まだ続きを離そうとした。


 けれども彼女の言葉を、僕は遮る。


「もう、この話は終わりにしよう」


 彼女はまだなにかを言っていた。


 けれども僕は、その話の一切を拒絶して背を向けた。


 彼女はそんな僕の頑なな様子に唇を尖らせて、「もうっ……」と小さく呟いた。


 痩せた野良猫は、さっきの僕の大きな声に驚いて、遠くへと駆け去っていた。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 夜。


 自宅で彼女とふたりの夕食を済ませたあと、ソファに座って、テレビを観ていた。


 流れている番組は、クルーズ船での船旅を紹介する番組だ。


 この番組では、世界の様々なクルーズ旅行が紹介される。


 紹介される船も多岐に渡って、オールインクルーシブで楽しむ大衆クルーズ船から、全室バトラーサービスの付いた高級クルーズ船まで多種多様だ。


 ゆったりとソファに腰を落ち着け、テレビを観ていると、今日も彼女が膝に、覆いかぶさってきた。


「ね、ね、テル。

 なんの番組を観ているの?」


「んとね。

 クルーズ旅行を紹介する番組だよ。

 今回の番組内容は、ライン川を上流に向けて遡る、リバークルーズみたいだね」


 彼女は「そうなんだぁ」と声に出しながら、枕がわりの僕の膝に顔をうずめた。


 優しい手つきで彼女の髪を撫で付けながら、僕は番組の説明を続ける。


「今回のは再放送なんだけどね。

 川を北に上りながら、欧州各地のクリスマスマーケットを巡る船旅なんだ。

 川の途中でロマンチック街道の側を通るから、たくさんの古城が出てきたりして、楽しいんだよ」


 ひと通り説明を終えると、彼女が「ふぅん」と呟いた。


 顔の向きを変えてテレビを覗いている。


「……いつか、テルと一緒に、こんな旅行にいけたらいいのにね」


「うーん。

 流石にクルーズ旅行は無理かなぁ。

 行けたとしても、日帰り温泉旅行くらいだよ」


 僕も膝に落としていた視線をテレビに向け直して、ふたりで番組を楽しんだ。


 ◇


 スピーカーから、優しい音色の音楽が流れだした。


 番組終了と次回予告のBGMだ。


 テレビを観終えた僕らは、少し手持ち無沙汰になった。


 まだ眠るには少し早い時間。


 膝に預けられた栗色の髪を眺めながらボーッとしていると、彼女が急にがばっと頭を上げた。


「そうだ!

 このまえ買ったゲームをしようよ!」


 先日ふたりで寄った輸入雑貨屋さんで、ボードゲームを買ったのだ。


 彼女の提案に内心で頷く。


「うん、そうしようか。

 眠る時間までの暇つぶしに、ちょうどいいよね」


「やった。

 じゃあ私、ゲーム持ってくるねー」


 彼女は口に出すなり体を起こして、トテテと歩きだす。


 クローゼットを開いて、そこの奥に納められたボードゲームを持ってきた。


 そのままフローリングの床にいそいそとゲーム盤をひろげて、僕を誘う。


「テルー!

 準備できたよー。

 こっちおいでー」


「わかった。

 いま行くよ」


 ソファから腰を上げ、フローリングに直に座る彼女の対面に、同じよう座りなおした。


「はい。

 これ、テルのオバケね」


 オバケの駒を手渡してくれる。


 このボードゲームは、『ガイスター』というふたり用のボードゲームだ。


 世界中で楽しまれている名作である。


 ゲームのルールはとても簡単。


 駒には良いオバケと、悪いオバケがある。

 そして勝利条件は3つ。


 まずひとつ目。


 将棋のように駒を配置して、相手の良いオバケを全部取ってしまえば、取った方の勝ち。


 次にふたつ目。


 自分の悪いオバケを相手に全部取らせるのでも良い。


 最後のみっつ目。


 自分の良いオバケを、1体でも相手陣地にある脱出口から逃がすことが出来れば、それでも勝利となる。


 実はこのゲーム、彼女はなかなか強くて、僕は負け越している。


「あ、そうそう、テル。

 3回負けたほうが、相手のいうことを、なんでもひとつ聞くのよ?」


 今日こそ勝ち越すぞと袖を捲っていると、急に彼女が、そんなルールを持ち出した。


「え?

 聞いてないよ、そんなルール」


「いま決めたんだもん。

 じゃあゲーム開始ね!」


 早速彼女が駒を動かした。


「あ、先行……」


「にゃふふ。

 早い者勝ちなのよ?」


 少し苦笑をしてしまう。


 僕は微笑んでからボードゲームへと視線を落とした。

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