第4話 春間マリーとクラスメイト

「……ん、……ふぁ」


 朝。


 窓から差し込む陽の光が暖かく頬を照らす。


 まだ薄ぼんやりとしてはっきりしない目を開いて、瞼を擦った。


 目覚め切らない重たい頭で、昨夜の出来事を思い出す。


 昨夜、すったもんだとあった結果、転入生の春間マリーをひと晩泊めることになった。


 ふたりで遅い夕餉ゆうげをとってから、あとはもう眠るだけという段になる。


 そして母が使っていた部屋のベッドへ彼女を案内すると、不思議そうな顔をした彼女にこんなことを言われたのだ。


『……ねぇテル?

 なんで?

 どうして、一緒に寝ないの?』


 本当にひとをからかうのが得意な少女だと思う。


 僕は俯いて顔を赤くしてしまった。


『い、一緒に寝るなんて、そ、そんな訳ないじゃないか』


 慌てて顔を背けながら、彼女を母の部屋に残してそそくさと自室へと逃げ込んだ。


 自室へ戻った僕は、すぐにベッドに潜り込み、頭から薄い掛け布団を被って眠ってしまおうとした。


 けれど、妙に高鳴った胸がドキドキとうるさくて、なかなか眠りに就くことは出来なかった。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「んっ……。

 んんー」


 枕から頭を離して上体を起こし、伸びをする。


 そうすると、背筋や関節がぽきぽきと鳴って、身体が朝の目覚めを受け入れていく。


「ふあぁ……。

 そろそろ、起きなきゃね」


 ベッドから這い出ようと手をつくと、薄い掛け布団の下で何かがもぞもぞと蠢いた。


(はて?

 これはなんだろう?)


 眠気まなこを擦りながら考える。


 まだ頭は重く完全には覚醒していない。


 取りあえず蠢いたあたりを眺めてぼうっと考えてみるのだけれど、特に思い当たるものはない。


 ともかく薄く盛り上がったそこを、掛布団の上から指でツンツンと突いてみた。


 ――ピクッ。


 お、反応あり。


 さらに激しく突っつく。


 ――ツンツンツン。


 ――ピクッ、ピク、ピクッ。


 ホントになんだろう、これは?


 ――ツンツン、ツンツンツン。


 ――ピクッ、ピクピクピク、ピクッ。


 ちょっと楽しくなってきた。


 もっと突いてみようかなぁ。


「ん……。

 んん……。

 んにゃあ……」


 掛け布団の下から、可愛らしい寝言が漏れ聞こえてきた。


 って、寝言……?


「え……、えっと。

 これは……いったい……」


 靄の掛かっていた頭が急速に覚醒してゆく。


 思考がクリアになるにつれ、顔が蒼くなっていく。


 ――ッ!?


 まさか!


 ガバッと、掛け布団を捲った。


「ど、どうして!?」


 案の定だ。


 布団を捲ると、ベッドに潜り込んで丸まって眠る美少女、春間マリーがそこにいた。


 布団を剥ぎ取られた彼女は「んなぁ」と寝息を漏らして寝返りを打つ。


 するとその拍子にパジャマの胸元が少し開いて、線の細い、すっと綺麗に浮き上がった鎖骨が胸元から露わになった。


 霰のないその姿に目が釘付けになる。


 けれども少しの間をおいて、この状況に、はっとなった。


「……あ、あわわ。

 慌てるな、僕っ!」


 深呼吸をして意識を落ち着ける。


 すーはー、すーはー、と深く息を吸い込み、吐き出す毎に、落ち着きが戻ってきた。


 最後にひとつ、ふぅと大きく息を吐き、完全に冷静さを取り戻した頭で、彼女の寝姿を眺める。


「…………」


 本当に、美しい少女だ。


 こうして間近で眺めると、それがよく分かる。


 絹のようなその肌には、染みなんてひとつもない。


 白磁のような美しさが遠目で眺めるよりも際立って感じられて、ひときわ僕の目を惹いた。


 閉じた瞳を飾る睫毛もとても長く、クルンと巻いていて、彼女のチャーミングさをこれでもかと強調する。


 肩より少し長いくらいの、淡い栗色の綺麗な髪が、寝癖であちらこちらへと飛び跳ねているのもなんだかおかしくて、可愛らしい。


 今度は視線を彼女の唇に移した。


 形の良い胸が上下する度に、すぅ、すぅと可愛らしい小さな寝息が、唇からこぼれ落ちる。


 その唇は薄桃色で、下唇がぷっくりとした厚みを帯びていた。


 時間をかけて眺めていると、まるで意識がそこに吸い込まれていくような倒錯しためまいのような感じを覚えてしまう。


 自分の頬が、だんだんと紅潮していくのが分かる。


「……っと!

 いけない、いけない」


 頭を振った。


 赤くなった顔を手のひらで扇ぐ。


 眠りこける彼女に薄い掛け布団を掛けなおして、僕はベッドから這い出した。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「ん……、うなぁ。

 あふ。

 ……おはよ、テル」


 キッチンで朝食の準備をしていると、起き抜けの春間マリーが挨拶をしてきた。


 手を猫の前足のように曲げて、両目を擦っている。


 まだ眠たそうだ。


「おはよう。

 いま、朝食の準備をしているから、先に顔を洗ってきたら?」


「……んにゃ。

 ……そうするの」


 起き抜けの彼女はフラフラと頭を左右に揺らしている。


 そういえばマリーも、猫だけあってよく眠っていた。


 遊んでいるときやイタズラをしているとき以外は、いつも僕に寄り添って眠っていたっけ。


 寝起きのゆらゆらした足取りで、洗面台へと歩いていく彼女の後ろ姿を眺めながらそんなことを思い出した。


 ◇


「いただきます」


「いただきまぁす!」


 ふたりで手を合わせ、朝食をいただく。


 今朝の朝食のメニューは、トーストにサラダ、あとはお味噌汁だ。


 テーブルには輸入雑貨屋さんでみつけてきた、パイナップル果汁を混ぜて味を整えたクリームチーズを置いている。


 これは密かな僕のお気に入りだ。


 トーストにこの甘い香りのクリームチーズを塗って食べると、なかなかおいしいのだ。


 サラダはスーパーで袋詰めされて売られているものを、お皿に開けただけのお粗末なものなのだけど、まあ無いよりはマシだろう。


 そして、お味噌汁は昨日の残り物。


 我が家では朝はたとえトーストを食べるときでも、スープはお味噌汁なのだ。


 この場合は味噌スープなんて言ったほうがしっくりくるのかもしれない。


 トーストにクリームチーズを塗りながら、春間マリーに尋ねる。


「きみね。

 どうして僕のベッドに潜り込んできたりするの?」


 なぜか彼女が目を丸くした。


 キョトンとした表情だ。


 僕、そんな変なことを聞いたかな?


「どうしてってそれは、一緒に寝たかったからだよ」


「……い、一緒にってそんな。

 ダメじゃないか」


「どうして?」


「そっ、それは……」


 思わず狼狽えてしまう。


 彼女は僕の様子に首を傾げている。


「どうしてダメなの?

 私は、テルと一緒に眠りたいの」


 真っ直ぐに瞳を見つめくる彼女に、なんて応えればよいかわからなくなる。


 そして結局僕は、なにも言えなくなって押し黙ってしまった。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 朝食を食べ終えた僕たちは、制服に着替え、登校の準備をする。


 ベストにスカート、チェックの生地で仕立てられた制服に身を包んだ春間マリーは、とても可愛らしい。


 彼女は服を整えながら姿見に映った自分を眺めている。


「どうしたの?

 なにか気になることでもある?」


「ううん、なんでもないの。

 ……これが、いまの私なんだなぁって」


 相変わらずなにが言いたいのかよく分からない。


 彼女の言葉は、時折理解が難しくなる。


「そうそう。

 僕たち、学校には別々に登校しよう」


 彼女は胸元のリボンを整える手を止めて、こちらを振り返った。


「え?

 どうして?

 一緒に行こうよテル」


「それは……。

 いや、だって目立つじゃないか。

 きみだって僕なんかと一緒に登校して、変に噂されるのはいやだろ?」


 彼女は振り返った姿勢のまま、満面の笑顔で言った。


「ううん、全然!

 嫌なわけないじゃない!」


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 チャイムが鳴り響く。


 4時限目の終わりを告げる鐘の音だ。


 教壇では教師が授業の後片付けをして、教室をあとにしようとしている。


 いまからは、お昼休みの時間。


 教師が出ていくのと同時に、教室が騒がしくなった。


 同級生たちが、春間マリーの席へと殺到する。


 今日も昨日と変わらず、彼女は人気者だった。


 いや、昨日と変わらずではない。


 むしろ、昨日よりも、というべきだろうか。


 今日なんて昨日と違って、授業合間の休み時間に1年生や2年生といった下級生の男子までが、どうにか彼女をひと目見ようと押しかけて来て、クラスの強面の男子たちに追い払われていたほどだ。


「なあ、おい、春間!

 一緒に昼メシ食おうぜ!」


 その言葉にピクリと反応してしまう。


 若干挙動不振になりながら、声のしたほうを振り返る。


 すると、いま彼女を昼食に誘った男子生徒と目があった。


「……んだよ、野郎のほうの春間ぁ?

 お前のことは誘ってねーから。

 どうせ今日もまた、ひとりでメシ食うんだろ?」


「……ああ、そうだよ」


 男子生徒は嫌なものでも目にしたかのようだ。


 彼は僕の話など聞くまでもないと、返事の途中で春間マリーのほうに向き直った。


「な?

 な?

 いいだろ?

 一緒にメシ食おうぜ、春間!

 まだ食堂とか購買とか不慣れなんじゃねーのか?

 俺が案内してやるよ!

 あ、それか弁当でも持って来てたりすんのか?」


「なに言ってんの!

 男子はあっち行きなよ!

 春間さんは私らとお昼ご飯食べるって、最初から決まってるのー」


「んだよ、それ!

 んなこと、いつ決まったんだよ!?」


「いつでもいいでしょー!」


 舌を出す女子生徒に、男子生徒がくって掛かる。


 ホント凄い人気だ。


 そんなクラスメイトのやり取りを横目にみながら、僕は我関せずと登校前にコンビニで買ってきたパンの袋を開けた。


 ぱくりと噛り付く。


「みんな折角誘ってくれたのに、ごめんなさい。

 私ね。

 誰と一緒にお昼ご飯を食べるか、もう決めてあるんだぁ」


 騒がしい集団のなかから、鈴を鳴らすような綺麗な声が耳に届いた。


 積極的に春間マリーを昼食に誘っていた男子が自分を指差しながら、「俺? やっぱ俺か?」なんて戯けている。


 けれども彼女はそんな男子に見向きもせずに、人垣を掻き分けて歩き出した。


 ――カツ、カツ、カツ。


 かかとで床を蹴る、軽快な足音が教室に響く。


 ――カツ、カツ、カツ。


 そうしてその足音は、教室窓際の一番うしろ。


 つまり、僕の席のすぐそばで鳴りやんだ。


 クラスメイトの一同が見守るなか、彼女は近くの空いている椅子を引き寄せてそこに座る。


「ねえ、テル!

 一緒に、お昼ご飯食べようよ!」


 教室の喧騒が、いっそう強くなった。


 ……やはり、そうきたか。


 予想通りだ。


 実は僕は、なんとなくこうなる気がしていた。


 大小の騒めきがそこかしこで上がり、いくつもの好奇の視線が僕たちに突き刺さる。


 先ほどから彼女を誘っていた男子生徒にちらりと目を向けてみた。


 するとその彼は、顎が落ちるのではないかと思うほど大きな口を開けて、呆然としていた。


「僕はひとりで食べるからいいよ……。

 きみは、クラスのみんなと一緒に食べなよ」


 用意してあった台詞を淀みなく伝えた。


 春間マリーが「むー」っと不満げに呻く。


 するとあごを落として呆けていた男子生徒が、我に返った。


「そ、そうだぜ、春間!

 そんな奴と一緒にメシ食っても、辛気臭くてうまくなんかねーぞ!

 こっちで俺らと一緒に食おうぜ」


 ……辛気臭くて、悪かったね。


 まあ、事実だからなにも言い返せないのだけど。


 春間マリーが男子生徒を一瞥した。


「そんなことないのよ?

 テルはね、すっごい優しいし、笑うと、とっても可愛いんだから!」


 微笑む彼女に、クラスメイトたちが胸をときめかせる。


 そこに女子生徒が割って入った。


「……ね、ねえ、春間さん?

 春間さんって春間くんとどういう関係なの?

 今朝も一緒に登校してきてたし、名字も一緒だし、もしかして親戚だったりするの?」


「ううん、違うよ。

 親戚じゃないの」


 女子生徒が困惑している。


 どうも納得がいかないらしい。


「じゃ、じゃあ、どう言う関係なの?」


 なかなか食い下がるなぁなんて他人事のように思いながら、僕は紙パックのコーヒーを口に含む。


「えっと、テルはね!

 私の飼い主?

 ご主人様?

 そういうのなの!」


「――ぶッ!?」


 盛大に吹き出した。


「ちょ!?

 ちょ、ちょ?!

 きみ!

 いったいなにを言ってるの!?」


「だって、本当のことじゃない!」


「い、いいから、もう!

 こっち来て!」


 悲鳴のように叫んで、とんでもないことを言い出した彼女の手を引く。


 そして僕は彼女を連れて、驚愕にざわめく教室を足早にあとにした。

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