第31話 ミラに仇為す騎士
※
彼は激しく床を踏み鳴らし、玄室に降り立った。
腰には黒い拵えの剣を佩き、背には黒金の盾を負い、白髪に白い悪魔面を着けた異装の騎士。
〝
疲労と苦痛に息を荒げながら、仮面越しの紅い眼光が真っ先に向いたのは、棺の前のユラ。彼女の無事を確認し、大きく息を吐いた。
「ふむ、思ったより早かったな」
前方に待ち構えていた黒陽騎士が、その琥珀の双眸を細めて笑った。
アガトは、荒げた呼吸を無理矢理にねじ伏せ、問い質す。
「グレン……これはどういうことだ?」
アガトの声は、呻きの如く濁っていた。
対するグレンは、血まみれた彼の姿を、その失われた右腕を見やって深々と溜め息をこぼす。
「オマエこそ、何だその姿は……」
ウンザリと、ほとほとあきれ果てたという失望の呻き。
「現王は死に瀕し、次代の王は幼い子供。国防を担う騎士たちは戦を知らず、貴族は
「答えろグレン! これは、どういうことなんだ……!?」
アガトが左手に持った書簡を差し出して再度問い質した。対するグレンは、大仰に肩をすくめて返す。
「どういうことも何も、そこに記したままだ。ミラに仇為す内通者を、こうして捕らえた。オマエには黒き太陽として、この女に裁きを下してもらおうと────」
「嘘をつくな!」
鋭い声がグレンの台詞を
「嘘を、つくんじゃないグレン。ユラさんが内通者じゃないのはわかっている。それをあんたが承知なのもわかっている。オレは、クルースニクだから……!」
かすれ抑えた怒声。
アガトの紅い瞳が、グレンの双眸を……そこにゆれている黒い濁りを、真っ直ぐに睨みつける。
グレンは、いつもの皮肉げな笑みを浮かべて肩をすくめた。
「嘘を見抜く紅い瞳か……」
「知っていたのか……!?」
「知らん。だが、そうなのだろうなと思っていた。人の心の機微などわからぬオマエが、やけに察し良く振る舞うことが幾度もあったからな。伊達に長い付き合いではない」
小さく鼻を鳴らしたグレンは、改めてアガトに向き直る。
「さて、では無意味な腹芸はやめようか。アガト、オマエは黒き太陽として、私に問うべきことがあるだろう。その問いに、私はミラの騎士として真摯に正直に応じよう」
言葉の通り、真っ直ぐに向き直り正対してくるグレン。
その琥珀の瞳を見返したアガトは、微かに喉を鳴らして頬を震わせる。
「……グレン、アスガルド兵を呼び込んだのは、あんたなのか?」
腹の底から無理矢理に絞り出した苦い詰問。
「そうだ」
返答は、さも平然と事も無げに返った。
「王立図書館への放火は?」
「うむ、私が誘導して仕向けた」
「……イザクたちを雇ったのは?」
「私だ。残党兵狩りと、国境地帯の動向把握。そして、王都で騒乱を起こすよう依頼した。もちろん、オマエや騎士団と衝突することを前提でな」
「なぜだッ!?」
声を荒げたアガト。
グレンは、なおも淡々と応じる。
「平和ボケしたこの国の者たちに、危機という概念を呼び起こすためだ。いつまでも仮初めの平穏に
大陸全土を巻き込んだ戦争は、すでに五十年以上が続いている。
それ以前にも、大陸のあちこちで、様々な国で、多くの争いが繰り広げられてきた。
そして、それはこのエシュタミラも例外ではない。
「千年王国エシュタミラ。この二百年は小競り合いにすら巻き込まれたことはない、絶対なる平和を誇る国……それが、張りぼての幻想であることを、私たちは知っている」
グレンの言う通りだった。
実際には、この国は何度も戦乱に巻き込まれていた。
その度にアガトは〝棺〟から呼び起こされ、仇為す敵を葬ってきた。攻め入ろうとする敵を闇から討ち倒し、追い払い続けてきた。
古の国エシュタミラには、黒き悪魔の騎士がいる。
その伝承によって守られてきた平和。
だが────。
「現在、北の国境にアスガルドの本隊が迫っている。その数は一万五千以上。過日の先遣隊をふくめれば二万を超える大軍勢だ」
エシュタミラ軍の十倍近い侵略軍。
「今度は、大将首を討ったからとて、時間稼ぎにもならんだろうな」
前回、大将フレデリックを討ち取られた敵軍が退いたのは、あくまで一時的な撤退だった。
しかも、完全に引き揚げたわけでもなく、近在の拠点……おそらくはウルクレイアのイレウス砦にて、本体の到着を待っていたに過ぎなかった。
「小国の小競り合いならいざ知らず、大国を相手取っての戦では、現場の将官をいくら仕留めようと、新たな将官が派遣され、さらに大規模な後攻めが送られてくるだけ。大国を相手に暗殺だけで対抗するならば、将ではなく国主を狙わねば、ほぼ意味はない。ならば、アスガルド本国にオマエを送り込んでみるか?」
無理だ。
そんな時間はないし、そもそも今のアガトに、帝国に乗り込んで〝お役目〟を完遂するほどの力は残っていないだろう。
悪魔の力は、千年の時を経て減衰している。
斬られた腕を再生することもできない。
だが、それでもアガトは────。
闘志もあらわに力む悪魔の騎士を、グレンは実に苦々しげな
「命ずれば、今にも飛び出して行きそうだな」
「当然だ。それが、ミラを守るためならオレは……」
「仮に、何かの奇跡が起きて、オマエがアスガルドに乗り込むまで、敵兵が攻め込んで来なかったとしよう。
そして、奇跡が重なって見事に皇帝を討ち取り、さらには首尾良く帝国内で後継争いの内乱が起きたとしよう。
その上でだ。
果たして現在攻め込もうとしている敵軍が、回れ右して帰国してくれると? 有り得んな。こんな辺境まで遠征してきているのだ。まずは眼前の獲物を平らげて、後顧の憂いを断つと共に、軍備を調え戦況を検める。歴然なる勝ち戦なのだからな、当然の戦略だ。だからこそ、過日の尖兵隊五千は、将を討たれても一時撤退に留まったのだ」
ゆえにエシュタミラに残された手は和平交渉しかない。クルースニクの
「時代は変わり、世界は変わる。神や悪魔への畏れで人が平伏したのはすでに過去だ。エシュタミラを舐めていると悪魔の騎士を送り込むぞ……現に将を討った上で叩きつけた脅しは、だが、欠片も通じなかったよ」
そも、通じないのはグレンは先刻承知の上だった。
「当たり前だ。クルースニクは真なる悪魔などではなく、人為的な強化兵によるハッタリである……その認識は、とっくに外地に流れている。あの愚かな外道が裏切ってくれたおかげでな」
二十年前、〝悪魔の欠片〟を他国に流した裏切りの黒陽騎士。
マゼンタ・ルゥ・ブランシェネージュ。
グレンの父であり、先代騎士団長だった者。
「あの男を、一時でも騎士の中の騎士と仰ぎ、憧れた自分が腹立たしい。ああ、だが、今になって思うよ。あの男は確かに愚か者だったが、この国に愛想を尽かすのは無理もない。
なあ、クルースニクよ、アガト・ルゥ・ヴェスパーダよ。オマエは、千年も
つくづくあきれ果てた様子で、グレンは吐き捨てる。
「誰の感謝もなく、賞賛もなく、見返りもないというのに……全く理解できん。どうかしている」
本当に、本当にどうかしているぞと、心の底からの落胆を込めて見つめてくるグレン。
その曇りのない琥珀の双眸を見返したアガトは、焦燥に唇を震わせた。
どうして未だに騎士でいるのか? 守りし者を名乗るのか?
答えは明確だ。
あの時、蒼い空の下で交わした約束を、アガトはずっと憶えている。
例え誰に何と言われようとも、あの約束を忘れはしない。
「……グレン、あんたは、オレに期待していると言っていただろう」
「期待していたさ、心の底からな。いい加減に気づいてくれ……と、この国の愚かさに、この国の絶望的未来に、そして、目の前にいる男の裏切りに、早く気づいてくれと。気づいて対処して見せてくれと。それぐらいの先見と気概があるならば、あるいはこの国の未来にも希望が抱けるかもしれないと、期待していた」
だからこそ、グレンはエシュタミラを見限り、内通者として敵を引き込みながらも、騎士団長としてそれに抗うこともやめなかったのだと自嘲した。
自ら脅かしながら、自らそれに抗う。
さながらひとりで遊戯盤に望むような、その滑稽な在り様に、誰かが気づいてくれるのを期待していた。リュードに、マシロに、この国の未来を担うはずの者たちに────。
そして、千年もエシュタミラを背負ってきた英雄に、誰よりも期待していたのだ。
「……さあ、オマエは先ほどから、いらぬことしか問うていないぞ。オマエが問うべきは、常にただひとつだろうクルースニク」
乾いた苦笑、酷薄なまでの嘲りを浮かべたグレン。
アガトは────。
アガトは、腰の長剣に左手を掛ける。
「グレン……オマエは、ミラに仇為す者なのか……!」
アガトの苦い詰問に、グレンの笑みが冷ややかに凍った。
「ああ、その通りだ」
琥珀の瞳が、琥珀色のままに肯定する。
かすれた呻きが、廟内にこぼれた。
かすれた弱々しい呻き、込み上げた感情にむせぶ泣くようなそれは、心なき悪魔からこぼれ出たものであったから────。
黒髪の少女は、蒼い瞳を見開いた。
悪魔の仮面が、閉ざされた天を仰いで嘆きを震わせる。
「グレン……!」
甲高い鍔音と、刃が鞘走る澄んだ音色。
「黒い太陽は、ミラに仇為す者を……赦せない!」
抜き放った白刃を眼前に立てたアガト。
その紅い眼光がグレンを……倒すべき敵を、真っ直ぐに睨みつけていた。
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