EPISODEⅠ - Rapture

EPISODEⅠ - Rapture



「赤点の山を眺めながら狂ったように笑う僕が目に浮かぶようだよ……」

 少年はくすんだ瞳を夜空に向けた。

 それを見た灰色の猫は、鼻で笑うように部屋を出て行った。優雅に尾を振り、部屋を出て行く様は、まるで人間を見下しているようだった。

 彼は常々考えていた。高等学校で学ぶ「勉強」というものが「勉強ごっこ」に過ぎないのではないか……と。学生の本分は、紛れもなく学ぶことにあるだろう。しかしながら、学ぶ内容は正しく選ばねばならない。彼は、現在強制されている「勉強」が、自分が本来学ぶべきものと相反するものであると感じていた。

「くだらない。テストと課題で僕を振り回して、僕の時間を奪っていく……。あの御方なら、きっと解ってくださるだろうに……」

 少年は自分の最も尊敬する人物を思い浮かべ、そう言った。

 そこでふと、彼は時計を見た。

「!!」

 彼は目を疑った。

 少年の目には、時計の針が逆回転しているように見えたのだ。

 しかし、見れば見るほどその光景は鮮明な映像となって目に焼きついてくる。

 彼は目をこすった。この眼前の異常を簡単に受け入れることができるはずがない。簡単に受け入れてしまえば、それは自らの「異常」を認めるようなものである。

「幻覚だ。そうだろ……。時間が戻るわけがない」

 少年は呟きながら、再び時計を見た。

「嘘……だろ……?」

 時計の針は逆回転していた。速度はゆっくり、しかし加速度的に――

「はははは」

 少年にはただ笑うことしかできなかった。疑いを向けることすらできなかった。目の前の光景が真実であると、彼は直感的に感づいていた。

 この時、少年は追い詰められていたのだ。期末試験は明日に迫っていた。勉強が追いつかないのは解っていた。彼には時間がなかったのだ。そこで……時が戻った。

 それは「神の業」であると、少年は疑わなかった。日頃の信仰が神に届いたのだと……

「やった。これで十分に時間がある! テストは完璧だ! はははは!」

「はははは!」

「ハハハハ!」

「!!」 

 少年は思い切り振り向いた。自分以外の誰かが、背後で笑ったように思われたのだ。

「……勘違いか」

 少年は不気味に微笑した。

 彼は携帯電話の画面を見た。液晶に映し出された現在時刻は、目まぐるしく変化していた。数字が増減を繰り返す。しかし、それは時間の逆行を表していることに相違なかった。

「戻ってる! 戻ってるぞぉ!!」

 少年は笑った。残り十二時間と、差し迫っていた試験開始時刻からはもう、一日以上離れていた。

「くはははは! ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっゴホッ、ゴホッ!! ハァ!」

 少年は笑いすぎて噎せ返った。すぐに、テーブルに置いてあったペットボトルのお茶を手に取り、喉に流し込んだ。

 少年はだんだんと落ち着きを取り戻していった。しかし、すぐに興奮が舞い戻ってくるのが分かった。

 気付くと、三日前の朝日が沈み出していた。

 朝日が沈み行く様を見るのは、もちろん初めてである。それは想像以上に美しかった。彼の意識は、次第に「神」という存在に収斂していった。 

 少年はハッキリとした口調で、叫んだ。

「僕は、神に選ばれたぁ!!!!」

 少年は窓を開け、再び大声で笑い始めた。

 彼にはもう、世界が巻き戻る様しか見えていなかった。

 ……そう、もう見えはしなかったのだ。

 異常に気付いた隣人が警察に電話を掛ける、その姿など。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る