第18話

 レイラの手がゆっくりと……まるでこの瞬間だけ世界がコマ送りにでもなったかの様に、 少しずつリュートの頬から離れて落ちて行く。


 その光景を、 どこか他人事の様に茫然と眺めていたリュートの頭の中で。

 不意に何処かで見たような……懐かしさと苦しさを同時に彼へと呼び起こさせる映像が流れた。





 何の変哲へんてつも無い、 日本でならば何処にでも有りそうな、 庭の付いた一戸建ての住宅の玄関口。

 周囲に降りしきる酷い雨の中、 自分では無い青年が、 これまた誰か分からないが……女性を路面から少し浮かすように抱き止めていた。

 女性は腹部から血を流し、 青年へと何かを託すように呟いている。

 雨音が激しすぎて二人の会話の内容は聞き取れない。

 リュート自身にとっては、 記憶の片隅にも見に覚えも無い光景。

 だがーー


「また俺は守れなかった……また・・? 」


 ーー知らない間に口から出ていた、 自分の声の大きさにリュートは驚く。

 慌てて周囲を見てみると、 目の前には倒れたレイラとそのすぐ横で泣きわめくアル。

 そして唇を噛み締めながら……少し離れた所から三人を見守るテュレミエールの姿。


 改めて視野を広げた彼の目には、 破壊された壁面と床に薄く伸びた赤黒の模様が映る。

 グランディニアに生をけてから、 何度も通った……いつも暖かく、 自分を迎えてくれた人が居た場所……レイラの食堂の室内に違いなかった。

 リュートの意識が此処ではない何処かへと飛んでから、 時間は殆ど経過していなかったようだ。


「なん……だ、 この感情は……? 」


 訳のわからない映像を見てから、 自分の中に沸き上がる、 言葉に出来ない感情にリュートは戸惑う。

 怒りとも、 悲しみとも判断がつかない不思議な感情。


 その感情に突き動かされる様に、 リュートは目の前で倒れたまま微動だにしないレイラの腹部……紅く滲んだ箇所に優しく手を伸ばした。

 決してこれ以上傷付けないように、 出来うるだけ優しく。


「……!? アンタ何してんだい、 リュート? 」


 リュートの様子に疑念を抱いたテュレミエールが、 彼に声を掛けたが……リュートの耳にその声は届いていなかった。

 傷口にそっと触れたリュート、 当然彼の伸ばした左手にはまだ温かいレイラの血液が付着する。

 リュートはそこから更に、 手当てをする際のようにレイラの傷口を自身の手のひらで覆う。

 当然……リュートの手のひらには今まで以上にレイラの血液がべったりと付着した。


「おい! 何してんだリュート!! 」


 テュレミエールの怒号が室内に響く。

 彼女にはリュートが気でも狂ったのか……死者を冒涜する様にしか見えなかったのだろう。

 彼女の眉は釣り上がり、 その体は今すぐにでもリュートへと向けて飛びかからんとしていた。


「大丈夫だよ、 テュレさん 」


 リュートはレイラから手を離すと、 落ち着いた雰囲気でテュレミエールへと声を掛けた。

 事実、 リュートには自分が今までに過ごしてきた時間の中で、 現在が最も冷静だと断言する自信があった。


「だったら何を……ひっ!? 」


 リュートへと行動の意味を問い掛けようとしたテュレミエールの台詞は、 言葉の途中で彼女が抱いた感情……即ち恐怖によって遮られる事となった。


 リュートは有ろう事か、 レイラの血液が付着したままの左手で自身の顔を……汗を手で払う時の様に、 そのまま拭ったのだ。

 当然、 リュートの左の頬から鼻筋にかけてがべっとりと朱に染まる。

 何度か同じ動作を繰り返したリュートは、 おもむろ に立ち上がりテュレミエールへと向き直った。


「テュレさん、 その槍借りるね 」


 両手で自身の口を抑えるテュレミエールと目を合わせたリュートは、 彼女がここへ入るなり床へと投げ捨てた長槍を指差して宣言した。

 強制力を感じさせる様な口調では無かったにも関わらず、 彼女はリュートを止める事が出来なかった……恐怖のあまりに。


「リュート……アンタは一体…… 」


 二人が初めて向き合って話した時と同じ様な台詞を文言はそのままに、 それでいて内心は全くと言って良いほどに異なった気持ちで彼女は尋ねた。

 リュートがその言葉に返事をしようと口を開いた所で――


「僕も行くから 」


 ――いつの間にか泣き止んだだけではなく、 か弱かった表情を戦士のそれへと変化させていたアルが、 宣言した。

 提案ではなく断言する、 と言った形相ぎょうそうで。


 立ち上がったアルは周囲を見回すと、 レイラが振るっていた短剣を見つけて歩み寄った。

 少し屈んで右手で短剣を拾い上げたアルは、 リュートの方へと体を向き直し、 先程の言葉を繰り返した。


「僕も行くから 」


 アルの強い眼差しに見つめられたリュートは、 無言で頷きを返すと槍を手に取って、 ゆっくりと外へ向かって歩き出した。

 アルも落ち着き払った様子でその後を追う。


 二人の足が食堂の本来の出入口へと差し掛かった所で、 テュレミエールが先程よりもにわかに増大した恐怖を、 どうにか体内へとねじ込んで口を開いた。

 リュートの横顔が……左の頬に付着しただけの、 言わばただの血痕がいつの間にかその模様を変えていたのだ。


「 アンタ、 のその顔……血が……狼…… 」


 途切れ途切れになりながらも、 どうにか紡いだ彼女の言葉に対してリュートは背中を向けたまま、 ただ一言のみを残した。


「行ってくるよ 」


 過ぎ去っていく二人の少年の小さな背中を、 力無く見つめることしか今のテュレミエールに出来ることは無かった。





 当初の目的を果たせなかった双剣の男を出迎えたのは、 幾つかの冷ややかな視線と、 フォンタナの――恐らくは労いの気持ちを込めた――暖かい眼差しであった。


 襲撃者である彼等は、 焼け落ちてなお、 今も熱を放つ領主館の北側に広がる庭のような場所で落ち合った。

 この場に灯りの類いは無いが、 領主館から時折立ち上る火の粉と雲間から射す僅かな月明かりが各々の顔を照らしている。


 二パーティー分にあたる、 総勢十二名で本作戦へと臨んだ彼等であったが、 ここに居ない者は恐らくトゥールーズ村の面々に拘束されたか討ち取られたのであろう。

 その数を七名にまで減らしていた。


「これからどうします? デヴォリさん 」


 フォンタナから掛けられた声に、 デヴォリと呼ばれた腰の位置に双剣を携えた襲撃のリーダー格の男は、 余談を交えずに答えた。


「計画は失敗だ。 即座に撤退する 」


 即座に頷きを返して撤退の算段を開始したフォンタナであったが、 彼の思考は襲撃メンバーの一人によって妨げられた。


「おいおい、 こっちは5人もられてんだぞ? このままで終われるかよ!! 」


 どうやら異議を唱えた男は、 領主館からの略奪に飽きたらずに仲間達のかたきを討ちたいようだ……彼の本心が何処にあるかは不明だが。

 男の主張に、 フォンタナ以外の面々も同意を示していた。


「勝手にしろ。 フォンタナ、 行くぞ! 」


 議論する時間すら勿体無いと感じたのか、 デヴォリは吐き捨てるように告げるとフォンタナを伴って彼等の来た道、 つまりはトゥールーズ村の北門を目指して走り始めた。


「ぎぃぁぁ!? 」


 走り出したデヴォリとフォンタナの背中を、 先程まで一緒に居た男の短い叫び声が襲った。

 一番始めに継戦を主張した男だったが……その体は腰から下が上半身と切り離され、 残った上半身すら地面に縫い付けるように上から押さえ付けられていた。


「おいおい、 何処に行くつもりだ? 」


 叫び声に反応する形で振り返った、 振り返ってしまったデヴォリとフォンタナの耳に……戦場にはとても似つかわしくない、 明るい声が届いた。

 偶然、 駅前で出会った友人に対して行き先を尋ねる時の様な気安い声が。


「あれ、 聞こえなかった? ……何処に行くつもりだって聞いてんだけど? 」


 自ら真っ二つに断った男の上半身を踏み付けながら、 襲撃者達へリュートが問う。

 その肩には身の丈よりも遥かに長い槍が据えられていたが、 穂先にもの部分にも血は一滴たりとも付いていなかった。


「動け!! 」


 奇襲を仕掛けながらも、 会話を始めたリュートの様子に違和感を抱いたデヴォリが一同に叫ぶ。

 疑問を覚えながらも命令に反射的に従って、 その場を飛び退いたフォンタナの足下を――


「がぁぁぁ!? 」


「何だ!? 」


「いてぇぇぇぇ!! 」


 ――アルの放った土の杭が貫いた。

 魔紋の光の兆候が有ったとは言え、 魔術によって突如、 地面から突き出た先端を鋭く尖らせた杭は反応の遅れた襲撃者達を文字通りに足止めする。

 動きを封じられた襲撃者達の体表を、 リュートが振るった槍が駆け抜けた。


 一回、 二回、 三回……槍が闇夜の空間に軌跡を描くその度に、 土の杭に捕らわれた男達の体が切り裂かれていく。


「ちっ! 」


 何の抵抗も出来ずに斬り伏せられていく仲間達を前に、 デヴォリは舌打ちを一つ入れて腰元の双剣を鞘から引き抜いた。


 槍の基本は突きだ。

 デヴォリの目から見ても、 その突きでは無く、 穂先による斬り払いのみで敵を倒す少年リュートの戦い方に正直に言って違和感は拭えない。


(「長さもおかしい…… 」 )


 あの槍は確か自分と互角に打ち合った女性の冒険者の物で、 少年の得物では無い筈だ。


(「だがっ!! 」)


 だからと言って……ここから動かずに、 作戦を共にした者達を無抵抗に斬られて良しとは出来ないデヴォリは……動く。


「……ふんっ! 」


「軽いな!! 」


 自身から見て左側面から迫ってきたデヴォリに対して、 リュートは両手で槍を右から左へ払うことで牽制を入れた。


 当然それはデヴォリも予期していたので、 彼は両手の剣を逆手に持ち替え、 それを縦に並べて槍を逸らす。

 二人には純然たる体格差がある為に、 彼の狙った通りにリュートの切り払いは本来の軌道が逸れて地面に向かうが――


「何っ!? 」


 ――難なく防いだ筈のデヴォリの左腕に、 浅い傷が走った。

 不可視の攻撃に警戒してか、 リュートから飛び退いて距離を取るデヴォリ。

 リュートの一閃は、 デヴォリ自体には小さな傷と僅かな警戒心しか与えられなかったが……結果的には有効打となった。


「貴様ぁ! 貫けファイヤーランス!! 」


 デヴォリを傷付けられたフォンタナの動揺を誘い、 彼の魔術を引き出す事が出来たからだ。

 自分へと突き進む炎の槍に対して、 リュートは両手で持った槍を水平に構える事で応じた。

 槍を持つその手のひらは、 既に開かれていた。


「ありがと……さん!! 」


 炎の槍の速度を測り、 眼前に展開した魔紋によってフォンタナの魔術を防いだリュートと、 魔術を唱える為に動きを止めてしまったフォンタナ。

 この流れを、 リュートとアルの二人は狙っていたのだ。

 フォンタナの【火属性】の魔術では、 【水属性】を持つリュートの魔紋は残念ながら貫けない。


 先程と同じくアルがフォンタナの足下付近に魔紋を展開し……フォンタナは詠唱に気をとられて、 そこへの注意を怠ってしまっていた。

 更に今回はその数を一つに絞ったので……より速度を増して――


「生意気な! ……ぐぁぁぁぁ!? 」


 ――彼の足先を、 地面から生えた杭が見事に貫いた。

 仰け反りながら絶叫するフォンタナを救おうと、 デヴォリが直ぐに剣を振るって土の杭を破壊するが――


「はぁっ!! 」


 ――その隙をリュートが見逃す筈が無かった。


 猛然と斬りかかるリュートに対して、 デヴォリは双剣を交差しての防御を選択する。

 その身を固めて迫りくる衝撃を、 全力で受け止めようとしていた。


 一方のフォンタナも、 歯を食い縛って足に刺さった大きすぎるとげを抜き去り体内の魔素を素早く練り上げる。


「クソガキがぁ! 焼き殺してやる!! 」


 怒りに震えるフォンタナは、 無詠唱での魔術を成功させて瞬時に炎の槍を展開。

 デヴォリがリュートの降り下ろす槍を受け止めた所で、 タイミングを合わせて魔術を食らわせようとして――


「死ねぇぇぇぇ!! ……えっ? 」


 ――魔術を霧散させてしまった。


 唖然とするフォンタナの目の前を……デヴォリの右の肘から先が通り過ぎて行った。



 

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