第8話
本日の特訓と銘打たれた空き地での模擬戦は、 その後相手を幾度か代えて繰り返す事で無事に終了した。
一行は狩りから帰宅した両親達と合流し、 解散。
トゥールーズ家の面々――リュートは除く――は夕食を終え、 皆が各々の時間を過ごしていた。
色が黒く、 とても丈夫な事で有名な南部大森林産の木材によって建てられた領内の中でも最も大きな家屋。
その二階のとある一室にて、 古い型の魔導ランプが淡い橙色の光を放っている。
時刻が夜と言うことも相まって、 外は暗闇に覆われていた。
壁面に映る人影は二人分、 その内の片方は直ぐに何かに倒れ込んだのか、 姿が消えてしまった。
「スウェント、 頼む…… 」
床上にはベッドとテーブルと椅子しか無いよく整頓された室内に四つ有るうちの、 部屋の最も手前にあるベッドへうつ伏せになったままのマガトが何とか顔だけを上げて今にも消え入りそうな声を発した。
彼はリュートの魔術が直撃した事で、 実は尋常でないダメージを受けていたのだ。
両親や弟達の手前もあり、 身体能力の全てを賭して何とか耐えていたのだが……正直に言えば気力と体力の限界を迎えていた。
「今日は特に危なかったもんね、 兄さん 」
頼まれた側のスウェントは、 これから使う魔術の名を口ずさみながら服の袖を
訓練中は詠唱をして魔術を行使していたスウェントが、 今回はその大部分を必要としなかったのは――
「いつも済まんな、 スウェン…… 」
――日夜この行為を繰り返すあまり、 詠唱をほぼ必要としなくなる程に熟練してしまったからだ。
淡い光がベッドに倒れるマガトの体全身を包み込んでいき、 やがて消える。
同じ流れを三度ほど繰り返すと、 漸くマガトが自由に動ける迄に回復した。
今スウェントが使用した物は、 疲労回復魔術の一つで“リカバリー”と呼ばれるものだ。
即効性は無いものの、 対象の疲労を和らげる効果がある。
回復の効果を持つ魔術自体は各属性ごとに存在しているが、 マガトが【火属性】持ち――マガトの適性は【火】のみ――の為、 スウェントは他よりも効果の高い【火属性】の魔術を用いていた。
ちなみにトゥールーズ領では、 魔術属性の適性診断の際にはこの方法を利用していたりする。
一人を延々と追い込んで疲れてきたら各属性の回復魔術を掛けてその
王都や大都市等では水晶であったり血液を装置に垂らして判定する物だが、 それらは大変高価であったり出所が限られている為、 トゥールーズ領のような辺境の村には存在しないからだ。
「リュートの魔術は相変わらず発動が速いな 」
ベッドから立ち上がり兄弟部屋の反対側に置かれた椅子に腰掛けたマガトが、 本日の特訓の感想を述べた。
威力も充分な【水属性】――リュートは【風】と【水】が適性――の魔術だったのだが、 彼が何より驚いたのはその発動の速度だった。
気付いた時には目の前に魔法陣が浮かび上がっており、 咄嗟に両手で顔を守る事しか出来なかったのだ。
「一応、 最初から狙ってたみたいだよ? 」
離れていた為に、 双方の動き――魔力も含む――を観察する余裕があったスウェントが、
幾らリュートとは言え、 あれ程の魔術をノータイムで繰り出す事は出来ないだろう、 だが。
「まぁでもよく練習してるみたいだから、 ね 」
「いずれは、 と言う事か…… 」
兄弟二人してため息を吐いた。
他の何処よりも強さが求められるトゥールーズ領で、 『弟が強すぎて辛い 』等と誰かに言える筈もない。
しかも二人は領主とその妻であり、 偉大な冒険者“竜殺し”のラグナと“氷の魔女”アリアを親に持つ身なのだ。
それに加えて――
「兄貴ってのは、 弟を守る
「うん、 まぁリュートの受け売りだけどね 」
――リュートの転生を知って以来、 二人はリュートに様々な話をせがんだ。
その中の一つのオサレな死神の話を聞いて以来、 二人はそう心に決めているのだ。
異世界でもと言うか異世界だからこそ、 某師匠の輝きはより増すのかもしれない……彼等も“己の全ては家を守る為に”の白いお兄さんの様な嗜好までは持っていないが。
リュートの転生の事実を二人が知ったのは、 突然の事だった。
ある日、 一歳になろうかといったリュートの面倒を両親が不在の為に初めて二人だけで――当然マガトがメインで――見た時の事だった。
昼寝をしていたリュートが、 ふいに目を覚ましたかと思えば二人を見て――
『やべぇ、 俺の兄さん達? 二人とも超イケメンじゃん!? 』
――等といきなり
これに驚いた二人と、 気まずそうにするリュートとの間で一悶着あり、 暫くして落ち着いた兄二人に対してリュートがことの顛末――転生の件――を説明した騒動があった。
リュートにとって幸いなのは、 兄二人が現代の同年代の少年達と比べると非常に理知的で責任感が強かった事と、 グランディニアについての知識を多少なり植え付けられていた事であろう。
お互いに共通の認識事項があると言う事は、 コミュニケーションを円滑にする第一歩である。
こうして
あまり波風を立てたくないリュートの希望と、 万が一にも“悪魔の子”のような扱いを受ける可能性を無くす為でもあった。
それからはリュートは奔放な領主家の三男を演じ、 兄二人がそれを諌めるスタイルを取る事が三人のさしあたっての共通理解となった。
今ではすっかりとリュートの
その一方で、 マガトとスウェントはリュートから効率的な各【スキル】の覚え方や伸ばし方を学び、 弟に何かあった際も彼を守ることが出来るだけの実力をつける事を決意したのであった。
「僕にはまだ難しいかな…… 」
日頃から落ち着いた態度を崩さないスウェントが、 急に弱音とも愚痴とも受け取れるような台詞を口に出した。
「その、 俺にはよく解らないがそんなに違うのか? 」
マガトが言葉の先を促すような返し方をした事で、 二人の話題は魔術の発動方法の事に移行した。
マガトは魔力に依って体内機能を強化するような所謂“身体強化”の魔術は得意としているのだが、 リュートやスウェントの様に魔力を体外へと発する所謂魔術的な“放出”は苦手としていた。
故に彼からすらばリュートとスウェントの発動方法の違い等、 解説してもらわなければ理解出来ないのだ。
「僕の魔術は【詠唱】スキルを磨いて、 詠唱時間を短くしているんだよ―― 」
兄に説明を求められたスウェントが、 己とリュートとの違いを語り始めた。
自分の詠唱の短縮は、 ピアニストが譜面を見ながら練習に練習を重ねた先にある、 暗譜のようなものだと。
一方でリュートの
「――あれは儀式魔術だよ、 まるで 」
魔術に疎い――弟達と比較すればだが――マガトでさえも、 基礎的な事くらいは勉強している。
一般的に大規模な魔術――都市への魔物の侵入を防ぐ魔物除けや、 精霊等の高位の存在を召喚する際に用いる――を行使する際に、 複数人、 或いは大人数でまとまって行う魔術を“儀式魔術”とグランディニアでは呼んでいる。
効果は高いが、 完成迄に時間と労力がかかる事が欠点と言えば欠点だが、
それを威力を抑えたからと言って、 個人で扱えるようする事等スウェントには到底想像がつかなかった。
「なら……そういうスキルなんじゃね? 」
語るべき事を語り、 黙ってしまったスウェントに途中からまるでリュートのような砕けた口調でマガトが告げた。
彼からすればスウェントも充分に天才だと考えていた。
七歳にして四属性全てを――下級の域とは言え――扱った者等、 聞いた事が無かったからだ。
そのスウェントの得意分野で解らない事が、 彼に解る筈も無い……だったらスキルの所為にしてしまえ。
投げやりと言われても仕方が無い程に、 雑な解答だった。
だが考えてもみて欲しい。
マガトだって、 “フォン”――つまりは嫡男――とは言えまだ十を迎えただけの、 唯の少年でしかないのだ、 ストレスが貯まらない筈が無い。
「リュートに直接聞けば良いだろ? 」
突き放しすかの様に弟に告げるマガト。
彼からしたらせっかくリュートがペイルレート家――アルの実家――にお呼ばれしていて不在の夜だ。
日頃の
それなのにいつの間にか自分がスウェントの悩みを聞かされてる……我慢の限界がやって来た。
「だいたいスウェント! お前はいつだって―― 」
突如として椅子から立ち上がり、 マガトによる弟への説教が始まった。
先に愚痴を口に出してしまったスウェントが悪いのかもしれないが、 マガトの説教の内容が一部、 スウェントにとっては間違っていた為、 彼も兄を迎え撃つ様に椅子から立ち上がった。
「――そう言う兄さんだって、 ちょっと情けなさ過ぎやないかい? 第一、 兄さんはトゥールーズ家の“フォン”なんだから―― 」
普段大人しい人物こそ、 一旦火が着いたら中々怒りが収まらないのは何処の世界でも変わらないのかもしれない。
マガトの発言一つに対して、 スウェントからは四つも五つも反撃が繰り出された。
しかもその全てが理論武装された、 筋の通った物であった。
しかし――
「――お前のそう言う賢ぶった所が俺は気に食わないんだよ!! 」
――正論が何時でも正しいとは限らない、 と言う事も世の常なのかもしれない。
次第に両者の応酬は激しさを増し、 論点も当初とズレて感情的なやり取りが増えだした。
二人の声量も大きくなり、 会話の内容も他室まで漏れ聞こえ始めた……それはつまり――
「今日の兄弟喧嘩は、 えらく勢いが良いな…… 」
――当然二人の両親が、 食後のゆったりとした時間を過ごしていた私室まで響いていたのだ。
暖炉の薪が激しく燃え盛るかの様な赤い髪に、 日に焼けた褐色の肌。
四十代とは思えない程に若々しさに溢れた男性が、 木製のグラスの中のワインを手で転がしながらポツリと零した。
彼こそが三人の兄弟達の父親であり、 トゥールーズ領の領主を務めるラグナ=フォン=トゥールーズその人である。
「あら、 喧嘩の一つもしないなんて男の子らしく無いわよ? 」
そのラグナの座るソファーの隣に一緒に腰掛けていた女性が、 クスクスと笑いを堪えながらも相槌を打った。
彼女が“氷の魔女”の異名を持つラグナの妻で三人の母、 アリア=ヴァン=トゥールーズ。
冬の海よりも深い藍色に染まった長い髪を、 肩から後ろに流してお腹を抑えながら笑うその姿は“魔女”と呼ぶには余りに可愛らしいものだったが。
「あんまり面倒を見てあげられなくて、 悪いなぁって思ってたんだけど…… 」
領のすぐ外が魔物の
領主であるラグナやその妻アリアは、 率先してその役割を担っており、 日中は家を空けざるを得ない事が多いのだ。
特に最近では領の西側の南部大森林――大陸全体から見ると南部にある――において、 何やら不穏な気配が感じられているので最年少のリュートの世話は
そう思っての母・アリアの発言だったのだが、 どうやら心配する必要は無かったようだ。
彼等の息子達は、 親の
「ふむ……なら放っておいて良いか 」
ラグナはそう決断し、 グラスのワインを
現代ならご近所への迷惑等を考えてしまう所かもしれないが、 此処は異世界の、 しかも辺境だ。
文句を言うような輩は存在しなかった。
「マガトはもう少し厳しい訓練を課しても、 大丈夫みたいだな 」
「スウェントもそろそろ参加させたら? 貴方 」
兄弟達の知らない所で、 訓練の内容が変更されようとしていた。
果たしてマガトとスウェントは、 無事に還って来れるのだろうか……全ては二人の努力にかかっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます