I wish I were ~土下座から始まる異世界冒険譚~

PEE/ペー

第一章

第1話

 グランディニア大陸歴 XXX年 とある空間






 そこは白い空間だった。

 他の色が何一つ無い空間……二人を除いては。

 黒髪に黒目、 黒いスーツのズボンに白いカッターシャツ、 更には黒いベストと何処にでも居る訳では無いが、 ビジネス街や小洒落たバー等に行けば出会えるような姿。


 もう一方も黒髪に黒目、 だが服装が違った。

 まるで体育の授業中からそのまま抜け出して来たかのような、 緑のジャージに白い運動靴。

 場面だけを切り取れば授業に遅刻した生徒が、 教師に謝罪して許しを乞うているようにも見えた。


  勿論そうでは無い。

 二人の間柄は生徒と教師では無いどころか旧知の仲ですら無かった。

 決定的と言えるのは、 周囲の白い空間と二人の会話の内容であろうか。


「お願いします! チートなスキルを俺に下さい!! 」


  先程から繰り返されている光景、 ジャージ姿の少年――少年と呼んで差し支えない身長と顔立ち——が、 スーツ姿の男性——こちらは三十代だろうか——に両膝と両手を床に付け、 深く頭を下げていた。

 日本を飛び越え海外どころか何処か遠いファンタジーの世界でも既に通じそうな謝罪を表すスタイル……つまりは土下座であった。


「お願いします! 折角転生しても、 このままじゃ未来に希望が持てません!! 」


「……はぁ 」


  スーツの男はため息を深く、 とても深く吐いた。

 彼が何度説明を繰り返しても、 この少年は土下座を止めなかった。

 少年は、 余程自分の将来が不安なのであろう事が想像出来る。


「繰り返すようで悪いが…… 」


 スーツの男の言葉を、 ジャージの少年は“聞きたくない”とばかりに耳を塞いだ、 勿論土下座は続けたままで。


「お前の初期スキルは【騎乗補正 (微)】と【言語補正 (微)】のみだ。 理由は説明した通り、 お前の前世、 つまりは生前の能力が考慮された・・・・・結果だ 」


 ジャージの少年は身動きもしない、 と言うよりは出来ないのだ……悲しくて。

 確かに可哀想ではあった。

 先に挙げた二つのスキルは、 少年がこれから行く―—事になっている——世界では明らかに頼り無い物だ。


 敵を鮮やかに剣で切りつけられる訳でもなく、 魔物相手に一矢報いる効果も無い。

 出来うる事と言えば、 とあるように、 ほんの少しだけ馬や馬車に乗ったときに酔いにくくなる程度であり、 ほんの少しだけ知らない言語が聞き取りやすく、 理解しやすくなる程度のスキル。


 故に少年からすれば土下座を止めない、 止められ無いのであった。

 少年には頼る相手が、 目の前で腕を組み困惑するスーツ姿の男以外には居ないのだから。


 転生先が一般家庭になるならまだ良いかもしれない。

 万が一、 孤児であったら。

 万が一にも奴隷であったらならば……その様な恐怖が、 少年の体を突き動かしていた。

 姿勢は土下座のままなので、 端から見ると何とも締まらない光景であったが。


「うぅぅ、 あんまりだ…… 」


 少年は土下座したまま、 すすり泣く。

 スーツの男の言葉を借りるならば、 物語で主人公が転生する際によくあるチート・・・を授かる展開等は無く、 生前の能力に準拠したまま転生するらしい。

 少年の初期スキルが先の様に決まった経緯は、 既にスーツの男によって伝えられていた。

【普通自動車免許】と【英検3級】、 この二つである。


 少年には前世の記憶が無かったが、 これは仕様・・なのだそうだ。


  だが、 少年にはここから確認出来た事もあった。

 少年に残っている知識に依れば、 自動車の免許は十八歳以上からと定められており、 仕様・・と言われて納得――と言うか理解――してしまっている業の深い、 深かったであろう自分・・がここに居るからである。


 以上の事から、 恐らく生前の自分は成人していたであろうと少年は考えた。

 その上で先の二つの資格や技能しか、 転生先に反映されるような能力を持っていない状態……これでは荒事の経験等、 望むべくも無い。


 彼にとって幸いな事に、 転生先に対する予習は可能だった。

 最低限の知識はスーツの男によって与えられたのだ。

 だがその予習が、 何より少年を不安にさせた。


 行く世界の名は“グランディニア”。


 文明レベルは中世以上で現代未満。

 振れ幅が大きいのは、 【スキル】や【魔術】の存在によって少年の過ごした地球とは単純な比較が難しく、 何より問題なのが“魔物”の存在であった。


 街から一歩でも外に出れば直ぐ様襲われる、 と言うことは無いようだが、 一度街道から外れてしまえばそこはもう魔物の領域テリトリーとなり、 危険過ぎてファンタジーではお馴染みの盗賊ですら街の外では暮らせない程に危険な世界らしい。


 そんな世界に頼り無い初期スキルのみで転生しようものなら、 間違いなく即死する自信が少年にはあった。

 だから彼は必死に頭を下げる続けるのだ。


 それなのにこのスーツの男は、 少年にスキルを授ける事は出来ないと言う。

 その理由が少年にはよく理解が出来なかったのだが――


「俺はじゃない 」


  ――と言う事らしい。

 つまりスキルを授けられるのは神様であり、 スーツの男は神様では無いから不可能だと――


「っざけんなぁぁぁぁ!! 」


 ――罵声と共に、 少年はスーツの男に猛然と襲い掛かった。

 左の拳を固く握り締め、 男に向けて振りかぶる。

 一方の男はただ面倒くさそうに、 腕を組んだまま右の手首を軽く動かしただけであった。


「ごわぁっ!? 」


  それだけ、 ただそれだけで少年は後方へと吹き飛ばされる。

 ちなみに、 このやり取りはもう何度となく繰り返されていた。


「はぁ……少しは考えたらどうだ? 」


 スーツの男は少年に告げる。

 その目は授業に着いていけない、 落ちこぼれの生徒を見る時のような憐れみを多分に含んでいた。


このまま・・・・何万回俺に挑もうが、 お前はかすり傷すら負わせられない 」


 男は吹き飛ばされ、 項垂れたままの少年に告げた。

 少年は自分の胸部を左手で握り締め、 呟いた。


「ちくしょう……くそっ、 くそぉぉ 」


 言葉だけなら威勢良く聞こえるが、 その声に力は無かった。


 男に挑み、 吹き飛ばされ、 頭を下げる。


 文字にすればこれだけなのだが、 何度繰り返しても寸分も結果が変わらない、 進展が何一つも無いのだ。

 少年は、 心が、 体のどこかで自分の心が折れたような音が聴こえた気がした。


「何で、 俺が、 こんな目に…… 」


 声が、 声にすらならないような音が思わず口からこぼ れた。


「その事については、 正直に言って同情している 」


 相手に聞こえるとは思っていなかったのか、 思わず少年が顔を上げた。

 スーツの男は先程から何も変わらず、 腕を組んだまま困ったような表情で少年を見ていた。


「さっさと諦めて覚悟を決めろって事かよ…… 」


 少年が一人、 呟く。

 スーツの男は今度は何も言わない。

 少年は諦めた表情を浮かべたまま、 崩れた体勢から胡座をかいた。


 少年が一度・・死んだ理由は判明している。

 どうやら途方もない不幸に見舞われたらしい。

 神様・・とやらに実験台として適当に、 本当にいい加減な意味での適当に選ばれた結果、 死んでしまい今ここに至る。


 何故少年がそれを知っているのかと言えば、 これもスーツの男が少年に教えてくれたからだ、 ご丁寧に映像付きで。


 神様・・を名乗るが少年をこの白い空間にて磔にして、 真剣な表情で大層な口上を述べたかと思えばニヤニヤしたまま踊り、 歌い、 それに飽きたかと思えばまたニヤニヤしたまま踊り出し……随分と長い間その様な行為を繰り返した後、 血走った目で少年に向けて杭を降り下ろす……その様な映像を少年は見せられた。


 何となく、 が言っている事が理解出来たのは、 彼にとっては皮肉以外の何物でも無かったが。


 頼んだのが少年自身である事に、 間違いは無い。

 少年は気付いた時には今の姿であり、 目の前にはスーツの男が居た……だから少年は頼んだのだが――


『何があったのか、 教えて欲しい 』


 ――まさか見せられたのが、 興奮した変態が踊り狂い、 自分に杭を打ち込まんとする映像だとは予想していなかった。

 何故か少年には理解が出来た、 理解出来てしまったのだ。


『あれは間違いなく、 俺だ…… 』


 すん での所で少年はスーツの男に助けられ、 とやらの毒に当てられた為に、 魂の浄化が必要であり、 その過程において少年は記憶を失った。

 以上が少年が今、 記憶を失いながらもこの空間に居る事の顛末てんまつである。


 完全にスーツの男の言い分を基にした話ではあったが、 少年には信じる以外の選択肢が与えられていなかった。

 何せ自身以外にはスーツの男しかここには居ない上に、 一番居る可能性が高い第三者があの変態神・・・……少年は、 男の言い分を支持せざるを得なかったのだ。


 スーツの男が何故自分を助けてくれたのか等は、 少年には正直に言って釈然としなかったが、 少年が当人に尋ねても――


『たまたま悪いプラーナ を感じただけだ 』


 ――としかこの男は言わないのだ、 少年には判断を下す材料が余りにも少なかった。

 仕方なく少年は、 この男の事を見届け人のような存在であると考える事とした。


 訳も解らず転生させられる少年が余りにも不憫ふびんに思えた為、 こうして最低限ではあるが知識と言う情報を与え、 いささか内容が偏ってはいるが少年の質問へと応じてくれる、 正しく介錯人・・・のような存在……。


「彼が介錯人ならば、 自分は罪人・・か? 」


 感じた事を口に出しただけで、 少年の腹の底から笑いが込み上げて来た。


「一体俺が何の罪を犯したと? 」


 少年の罪状が、 “神の怒りに触れた事だ”と告げられたのであれば、 確かに少年には受け入れるしか道が残されていない。

 勿論、 少年の知る神など、 変態の一柱しか居ないのだが。


『俺はじゃない 』


 少年の感性は、 男の言葉を信じて良いと告げていた。

 あんな者と一緒にされて喜ぶ人間等、 存在しないのかもしれないが少なくとも彼はと讃えられて喜ぶ側ではないことが分かったからだ。


 少年は、 その様にしてくだらない事を考えていたお陰なのか、 ――感覚的ではあるが――自身の心が落ち着き始めた事を感じていた。


「さて……俺の明日はどっちかな…… 」


 胡座をかいたままの少年は、 一人呟いた。

 先程迄の悲観的な思考は何処へ行ったのか、 その表情はいつの間にか先程よりは明るいものへと変化していた。

『辞世の句は何にしよう 』等と考えていた少年は、 ふとある事に気が付いた。


「何だ、 何だこの違和感は? 」


 思わず立ち上がる少年、 視線の前にはスーツ姿の男。

 ネクタイは何故か着けていないようだ。


「何故だ? 何でそんな事が気になる? 」


 少年は一人呟く。

 スーツの男は何も言わず、 少年を見つめていた。


 少年は慌てて周りを見回すも……周囲に・・・変化は見当たらなかった。

 彼の周りには、 ただ白い空間が広がっているだけだ。


 そうして幾分か経った後、 少年が途轍もない、 それでいて極些細な変化に気が付く時が訪れた。


「彼の背が縮んだ……いや? 俺が成長したのか!? 」


 少年とスーツの男の間にあった身長の差が、 先程よりも少しだけ縮まっていた。

 一つ気が付けば、 少年の心に次々と疑問が湧き始めて来た。


「俺は死んだ……もしそれが事実なら、 そもそもここは何処だ? 」


 少年は自問自答を繰り返すが、 スーツの男は何も答えない。

 だが先程迄の困惑した表情は既に無く、 何処か好奇心を孕んだ瞳で少年、 いや青年・・を見つめていた。


「何故俺はこの姿に? いや、少年だった・・・!? 」


 スーツの男は何も答えない。

 だがその表情は、 幾分か口角が釣り上がっていた。

 ここまでくれば、 もう答えは直ぐ近くに有るのかもしれない。


 少年にとって、 自身が転生する事は確定事項だ、 それは仕様・・なので彼には仕方がない事であったが……スーツの男は先程語っていた。


『前世の能力が考慮される・・・・・


このまま・・・・では俺に勝てない 』


 少年にとって、 自身の発言はより鮮明に思い出す事が出来た。

 あの言葉が意味を持つとするならば――


覚悟を決めれば・・・・・・・転生が始まる 」


 ――つまり少年が覚悟を決めなければ、 転生は始まらない。


「きっとこれも、 仕様・・だ…… 」


 賭けの要素が強い事は、 承知の上であったが少年には何故か直感染みた自信があった。

 極めつけは、 スーツの男のあの言葉――


『スキルを授ける・・・事は出来ない 』


 ――確かに男には、 スキルを少年に授ける事は出来ないのかもしれない。

 だが“他の事なら”と言う思いが少年の頭をよぎった。


 実際に、 彼は少年へと知識を授けてくれていたのだ。

 “グランディニア”の情報しかり、“魔物”の情報しかり。

 以上の仕様・・を確認した上で、 少年が先ずはスーツの男に尋ねるべきだと決めた事を尋ねた。


「一つ、 聞かせて欲しい事がある 」


 スーツの男は何も答えないが、 顎を動かし質問の続きを求めていた。


今の・・俺の初期スキルを教えて欲しい 」


 スーツの男は腕を組んだまま、 ニヤリと笑みを浮かべて口を開いた。


「【騎乗補正 (微)】、 【言語補正 (微)】、 それに……【知力補正 (微)】って所だな 」


 少年の結論が出た。



「俺がここ・・で望むべき物は、 まだまだ沢山有りそうだ 」


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