ONLY YOU
三代目暝帝丸十屋
第1話 Only you
学校を休んだ、特に目指していたわけではないが無遅刻無欠席だった。
家族には学校へ行くとは言ったが、その足で中央線の終着まで乗って、新幹線で大阪か福岡に行きたかったがそもそも新幹線のきっぷの買い方を知らない上に手持ちがギリギリ五桁に満たないレベルなので学校と逆方向にあるスワンボートのある公園でぼうっとそらを見上げている。冬の朝は憎いど美しくそしてきれいだった。
僕がそういった初歩的不良行為を行っている理由というのが、単純明快に言えば
僕は多分十把一絡げの男なのだろう。誇れる事は大してなく、男性的魅力は姉さんいわく全く存在し得ない。
問題はこれからの事だ、今から学校へ行ったとしても確実に遅刻扱いで遅刻した理由も聞いてくるだろう。それは明日登校しても同じ事だ。つまりは今日に限っては時間があるという事だ。
独白。
彼女と遭ったのは今年の四月だ。
自己紹介で「
それが僕を初歩的不良行為に走らせるきっかけとなったのは十月の文化祭の時にたまたま同じ作業を割り当てられた事があった。
作業に飽き飽きしていたのだろう、僕はふと鼻歌を口ずさんでいた。
そうしたら隣の彼女も同じ曲を口ずさんできて、ニッコリと笑った。
その笑顔に惚れてしまったのだ。
だからと言ってそこから何か努力したかと言えば嘘になる、そもそも努力とは実って結果を出してこそはじめて努力といえることだと思っている。
何も努力しなくても彼女と会話できるだけで幸せだった。
ある日僕は用事があってこの街に来ていた、大した用事じゃない。そして駅の南側にあるディスカウントショップを冷やかしに行った、地下の食品売場に行くと彼女がお米売り場で悩んでいた。
それは本当にストーキングとかじゃなくてたまたまだった。その頃には挨拶ぐらいは交わす仲だったから、挨拶を交わして「何をしているのか」と聞いた。
彼女は「お米を買おうと思ってる」と淡々とした口調で答え「自炊してるんだ」と僕は聞いて「ええ、
それが昨日、まぁ昨日の今日ので同じ街に来ることも無いとは思うがここ以外に心が休まる場所を残念ながら知らない。
それでいて大分傷心も収まってきて、ふと違うことが頭を過ぎった。昨日達成しえなかった事を今やりに行くのだ。
ベンチから立ち上がり、公園を突っ切り石段を登る。
そうしてから信号を渡り商店街の中にあるとある店に向かった。
その店の前まで来たが今がまだ九時前という事を忘れていた。店は十一時からの開店でありかなりの時間を寒空の下で過ごす計算となる。
僕はとぼとぼと駅の方へ向かって歩いた。
「やあ、そこな道ゆく少年」
僕は誰かに呼び止められて振り返る、そこにはセーターとスラックスを着た若い男性がいてその左手には犬のリードが握られている、犬は行儀よく待っていた。
若い男性は歳は顔立ちや体つき二十代半ば位なのだが格好は中年や初老の男性を思わせる、胡散臭い感じがするのだが同時に立ち止まって話を聞こうと思える魅力も感じられる。
「レコード屋に用事があったんだろ? 十一時からだぜ」
「ええ、見ました」
「もしよかったらウチの店で休んでいかないか? コーヒー代ぐらいは貰うけど美しくもひどく寒い日だ、もしこの先のバーガー屋で100円のコーヒー買って固い椅子に腰を下ろして喧騒の中で日常を過ごすっていうんなら止めないが今日みたいな日は少しぐらい贅沢してもバチは当たらないと思うぜ。悩んでいるならそこの店の前で待っているといい、ビクターを置いたらすぐにくるから」
彼は目の前の雑居ビルを指差す、喫茶店のある雑居ビルだ。少し不思議な形をしていて段違い状に半地下、一階、二階、三階とあり、半地下の上の階が二階で一階の上の階が三階みたいな構造になっている。喫茶店の入り口はビルの中ではなく手前の階段を降りる感じになっている。形と半地下の不思議な雰囲気を除けば普通の雑居ビルだ。
僕は彼と別れて半地下の入り口で待つ事にした。今からファストフード店に行こうと思ったが、今日みたいな日ぐらい贅沢をしようと決めた、そうしたらほんとうにすぐに彼は店の中から現れ、僕は驚いた。
先程みたいなセーターとスラックスではなく、ビシッとした黒スラックスと白シャツに蝶ネクタイと黒いベスト、エプロンを着た格好をしていた。
「どうぞどうぞ、入って」
彼はドアの鍵を外すと僕を招き入れる、店内は暗かったがかなり趣のある店構えらしい。カフェというよりもダイナーに近いような店構えだ。安っぽくなくかといってこういう店舗特有の自己主張の激しいアイテムなどは見られない辺り中々いいセンスだ。
「好きな席座ってくれていいよ」
彼は手早く店に火を入れる、暖色の照明が照らされるとそこがまるで異世界のように思えてきた。
僕は一番手前のカウンターに腰を掛けメニューをみる。100円と比べ全体的にやや高いが贅沢をすると決めたのだ。それぐらいは押し通したい。
コーヒーはブレンド、カフェオレ、エスプレッソ、カフェラテから、コロンビアコーヒー、トルココーヒー、ベトナムコーヒー、香港コーヒー等想像のつかないメニューが多い。ただ想像のつかないメニューの下には可愛らしい字体での説明がついている。
紅茶は、ホット、アイスからロシアンティー、トルコティー、チャイ、チベット紅茶、キーマン紅茶等があり例のごとく説明がついている、最後の方には何故か緑茶、烏龍茶等があり最後の最後にたんぽぽコーヒーがあった。たんぽぽ?
たんぽぽコーヒーには説明文が無かった。
少し悩んでから「たんぽぽコーヒーお願いします」と頼んだ。
彼は「かしこまりました」と言ってからキッチンへ消えた。改めて辺りを見回す店の奥にレコードプレーヤーとレコードボックスが詰められた棚があった。興味本位からそこへ向かった。
レコードボックスの中身は向きや上下は整理されているが内容に統一がとれていない、洋楽と演歌と外国語だけのジャケットのレコードの合間に軍歌や古いアニメソングが挟まっている感じである。
その箱の中で知っているレコードを一枚見つけた。そうだ、僕が鼻歌で彼女と一緒に歌った曲だ。
途端、涙腺に涙が溜まってきて目から水がしたり始める。
「何か、訳アリだね?」
振り向くと、彼がコーヒーカップと何故かパスタを持って立っていた、その場にパスタ一皿を置き、僕を手招きする。
「このパスタは……この寒空の下学校をサボりレコードを見ながら涙して腹を空かせているであろう訳アリの少年に僕が食べさせたくて作ったものだ、ほんとうは僕の朝食なのだがそんなものはまた作ればいい」
促されるように僕は着席した、マグカップには黒いたんぽぽコーヒーがなみなみと注がれていて、平皿には美味しそうなペペロンチーノが湯気を立てていた。
僕はたんぽぽコーヒーを一口飲む、飲んだ瞬間普通のコーヒーにすればよかったと思った。なんだろうコーヒーじゃなくて野草を煮詰めたような味だ。
そうしてからペペロンチーノを食べる。温かさと旨さが口に広がってから喉の奥に消えていく。
ふと気がつくとカウンター越しに彼がにっこりとその様子を観察していた。
「あの、何か?」
「美味しそうに食べるから作った甲斐があったなと思って」
「はぁ……」
馴れ馴れしくもかといって彼から不愉快さは全く感じられない。
「平日に学校をサボってレコードを見ながら泣いていた理由を聞いても?」
少し、ほんの少し悩んだが
「……ほんのすこし君に対して失礼な話をしようと思う。気持ちを伝えずに身を引くというのは
彼は「おかわりいるかい?」と僕にたんぽぽコーヒーを勧めてきたので僕は断った。彼は新しいマグカップにたんぽぽコーヒーを入れて自分で飲む。
「それと、彼というのは一般的にはボーイフレンド等とそれと男性の三人称に使われるものだ。その論理で行けば少なくとも半分は君の想像と違う、たとえば家族ではないけど男性の同居人という可能性もあるんじゃないかな?」
「それ、どんな状況ですかね?」
「さあ?」
彼は肩をすくめる。
「それは本人に聞かないとわからないんじゃないかな」
「そうですよね……」
「に……しても、これ不味いなぁ」
「ですよねぇ」
「ああ、
彼の娘というと何となく高学年の小学生を思い浮かべる。年代的にもっと下なのだろうが何となく早婚なイメージがあった。
ふと時計を見ると十一時半ぐらいになっていた。
「そろそろ時間なんで出ます」
「290円ね」
「あの、スパゲッティの代金は?」
「いいよ、いいよ。僕が勝手に食べさせただけだから」
僕は彼に300円支払って10円を貰って外に出た、気温のせいか食べたおかげか大分身体が暖まってきた。
そうしてから隣のレコード屋で注文していたCDを受け取って家に帰り、あの子と一緒に歌った曲をヘッドホンで流しながら眠った。
夢であの子と演壇で歌っていた気がしたが起きた時にはもう忘れてしまった。
――――――――――――――――――――――――
わたしはとある雑居ビルの階段を登っていく、地下はウチのお店で一階はそのバックヤード、二階には不動産会社、三階には旅行代行手配の会社があり四階と五階が我が家だ。
よく
洗濯物は外に干せないし、バス通りと線路に前後を挟まれているせいか深夜までうるさいし家の前にゴミや吐瀉物が捨てられていることは驚く気力も沸かないぐらいには日常と化している。
わたしは一度部屋に戻って着替えてビクターの餌と水やりをしてから裏階段で店に出る。
店はいつもどおりの客入りで彼一人で捌いているみたいだった、わたしはバックヤードに向かい何が減っているのか確認した。
珍しくたんぽぽコーヒーが売れていた。誰が飲んだのだろうか?
発注をまとめてから表を手伝う。
「おかえり」
「ただいま」
彼と挨拶を交わして、レコードをかける事にした。
最近のお気に入りを手に取る。
「最近、それをやたらよく聞くね」
「なんか気に入っちゃって」
「そういえば今日来たお客さんもそれを手に取ってたよ」
「へぇ」
彼の話を耳半分で聞きレコードをセットする。
聞き慣れたメロディが店内に響く、これは今わたしが一番好きな曲だ。
そうしてから書き入れ時の店内を彼と一緒に切り盛りする。
一緒に生活しているとうっかり忘れそうになるが彼には不思議な魅力があるらしい。親しみやすく馴れ馴れしくない性分なのか一度店に入った人は大体常連として来てくれている。
十時まで働いてから作り置きしたたんぽぽコーヒーを水筒に入れ上へ上がりビクターにリードをつけて散歩に出る。
商店街を抜け大通りを公園沿いに歩き、川に突き当たると川沿いを歩く。星空が綺麗な夜だった。途中で川の欄干に腰を掛けてコーヒーを飲む。ビクターは礼儀正しくその場に座って待っている。
ビクターはチベタン・マスティフのオスで齢は十歳位の老犬だ、なにより重要なのは礼儀正しく賢いところだ。わたしにリードを預けてくれているがそれは多分わたしがビクターの散歩をしているのではなく自分の散歩にわたしが必要であることを知っているからだと思う。
そういう意味ではわたしと彼の関係性とも似ている、ただビクターと違うのは賢くなくわたしは
彼はわたしの保護者で実父だ、未だに実感を感じないのは去年の母の葬儀まで実父の存在を知らなかったのと彼が異様に若いからだ。
本当は「おとうさん」と呼ぶべきなのだろうがどうしてもそれに抵抗があり彼はそれを許してくれている、それ以外でもそうだ。もっと自立しなければならないのにどうしても甘えてしまう。
空を見ていると涙を流したくなってきた。
寒くなってきたので家へ帰ろう。
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